レポート
2025.12.30
〈いま、ここ〉で交錯する クラシック音楽とアジア

角野隼人、デュトワ、ゲルギエフらが名を連ねる北京の音楽風景

近年クラシック音楽において目ざましい発展を遂げているアジア諸国。10月に行なわれたショパン・コンクールでは、アジア出身のピアニストたちが台頭したことが記憶に新しいのではないでしょうか。そんな盛り上がりを見せるアジアのクラシック音楽の「いま」とはどのようなものかをお伝えしていきます。今回は、北京国際音楽節を中心とした北京でのさまざまな公演のレポートです。

木名瀬高嗣
木名瀬高嗣 雑学者

1970年仙台市で生まれ、札幌市などで育つ。早稲田大学政治経済学部、東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学などを学び、現職は東京理科大学教養教育研究院教授。近年はフ...

半楕円形のフォルムが特徴的な国家大劇院。
夜になると建物が水面に反射され、幻想的な光景が生みだされる
©Takashi KINASE

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10月18日からの一週間、筆者は北京に滞在し、第28回北京国際音楽節(Beijing Music Festival、BMF)を中心にいくつかの公演を鑑賞した。

BMFは、保利劇院、国家大劇院、中山公園音楽堂など市内中心部の音楽空間を会場とし、今年は10月10日から24日まで開催された。開幕コンサート(10月10日・国家大劇院 音楽庁)では余隆(ユー・ロン)指揮、中国フィルハーモニー管弦楽団が登場。国内外のオーケストラやソリスト、指揮者が参加するプログラムは、クラシックの正統的なレパートリーに加え、中国初演や新作、国際共同制作といった企画を織り込んだ多様な作品群から成る。

ベルク《ヴォツェック》の中国初演

個人的に今年もっとも注目していたのは、ベルク《ヴォツェック》の中国初演(10月18日・保利劇院)である。去る6月にオペラ・バレエ・フランデレンで上演され、高い評価を得ていたプロダクションだ(演出:ヨハン・シモンズ)。白を基調とした舞台では、生と死、現実と幻影の境界が意図的に曖昧にされ、その不安定さが観客の知覚を揺さぶる。本作に初めて取り組んだシャルル・デュトワの指揮は、表現主義的な尖鋭さよりも、ベルクの音楽に内在するロマン派的な叙情性が際立っていたように思う。上海交響楽団の厚みのある響きもそれを支え、抽象度の高い舞台世界のなかに情感豊かな構造美を現出させていた。

ヴォツェック役のロビン・アダムス(左)と大尉役のミヒャエル・シャーデ (右)© Beijing Music Festival
《ヴォツェック》を初めて指揮したシャルル・デュトワ
© Beijing Music Festival
喝采を浴びたカーテンコールから
© Beijing Music Festival

角野隼斗が北京で初公演

北京の若い聴衆を惹きつけたのが、角野隼斗(p)の二つの公演である。20日のBBCフィルハーモニックとの演奏会(国家大劇院 音楽庁、ヨン・ストルゴールズ指揮)では、黄若(ホアン・ルオ)《浮声之城(City of Floating Sounds)》--都市をめぐりながらモバイルアプリで音楽を聴いたのち、会場で約40分間の実演を聴くという二部構成の作品--とショスタコーヴィチ「交響曲第9番」に挟まれるかたちで、角野はプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」を演奏した。彼自身は細部の明晰さと推進力を失わなかったものの、ややオーケストラと呼吸が噛み合わない場面もあった。

翌21日のリサイタル(保利劇院)は、ショパンやJ.S.バッハといった正統的なレパートリーから、得意のグルダやカプースチン、さらには自作や編曲作品までを自在に配したプログラム。音響がより直接的で反応の速い空間に移ったことで、タッチやフレージングが明確に立ち上がり、音楽の輪郭が前日よりも鮮明に感じられた。初めての北京での公演を終えた角野は、取材に応じる場面で慎重に言葉を選んでいたが、その佇まい自体が、この都市で演奏することの緊張感を静かに物語っていた。

10月22日のリサイタルから。近年2台のピアノを使ったコンサートをしばしば行なう角野隼斗(p)は、そのスタイルを北京でも披露し、ラヴェル《ボレロ》を演奏した© Beijing Music Festival
10月22日のリサイタル終演後、花束を受け取る角野© Beijing Music Festival

中国で精力的に活動を続けるゲルギエフ

BMFと時を同じくして、国家大劇院ではヴァレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー管弦楽団の公演も行なわれていた。これに先立つ上海ではマーラーの交響曲全曲を5日間で連続演奏して話題を呼んだが、北京でも連日ヘビー級のプログラムが続いた。21日は国家大劇院管弦楽団(NCPAO)との合同演奏会で、殷承宗(イン・チョンゾン)ほか編曲「ピアノ協奏曲《黄河》」、ショスタコーヴィチ「交響曲第7番《レニングラード》」。いずれも第二次世界大戦と深い関わりのある楽曲であり、抗日戦争勝利80周年のメモリアルイヤーならではの演目といえるだろう(この日筆者は角野のリサイタルに足を運んでいたため、残念ながら聴いていない)。

22日はプログラムになかった中国人民解放軍軍歌の演奏で始まり、ショスタコーヴィチ「祝典序曲」、プロコフィエフ「交響曲第3番」、マーラー「交響曲第3番」という計3時間。23日には演奏会形式のチャイコフスキー「歌劇《スペードの女王》」。いずれも、この指揮者ならではの「強度」を感じさせる過密な公演であった。

21日と22日にコンサートマスターを務めていたのは、ローレンツ・ナストゥリカ=ヘルシュコヴィチである。かつてミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを長く務めた彼は、近年、中国での活動を増やしている。終演後、花束嬢から手渡されたのはパンダのぬいぐるみだった。恰幅のよい体躯から「パンダ」の愛称で親しまれているという。

10月22日の国家大劇院での公演から。
花束を受け取るヴァレリー・ゲルギエフと、パンダのぬいぐるみを手にするコンサートマスターのローレンツ・ナストゥリカ=ヘルシュコヴィチ©Takashi KINASE
10月23日の「歌劇《スペードの女王》」(演奏会形式)の公演から。ボリショイ劇場やマリインスキー劇場で活躍しているゲルマン役のオレグ・ドルゴフ(中央左) とリーザ役のイリーナ・チュリロワ(中央右)
© National Centre for the Performing Arts

滞在最終夜(24日)は、ギル・シャハムが登場するBMF最終公演(保利劇院)にはあえて行かず、本番を翌日に控えたヴェルディ「歌劇《オテロ》」のゲネプロを見学した。2013年に初演された国家大劇院のプロダクション(演出:ジャンカルロ・デル・モナコ)を、ゲルギエフとマリインスキー管がピットに入って上演するというものだ。会場の北京芸術中心は、図書館や博物館をふくむ新しい文化拠点として構想された副都心エリアに位置する。市の中心部からはかなり距離があるものの、こちらで開催される公演は増えつつあり、首都の芸術文化地図の書き換えが徐々に進んでいるようだ。

2023年に竣工した北京芸術中心。総建築面積は約12.5万平方メートルで、屋内劇場4つ(歌劇院、音楽庁、戯劇場、小劇場)と屋外劇場1つで構成されている。古代の穀物倉庫をベースにしたデザインから「文化穀倉」という異名も持つ
©Takashi KINASE
10月24日に北京芸術中心 歌劇院で行なわれたヴェルディ「歌劇《オテロ》」のゲネプロから
©National Centre for the Performing Arts

2025年10月の北京で筆者が立ち合った公演の数々は、〈いま、ここ〉にあるべき音楽とはなにかを聴く者たちに問いかけつつ、この巨大都市における文化的多層性のありようを浮き彫りにする。日本ともヨーロッパとも異なるエートスが漂うその風景は、わざわざ足を運んで経験するに十分値するものだ。ただし、その内部で展開されている国際的な音楽実践は、成立しているあいだは何事もないように見えながら、実際にはきわめて繊細なパワーバランスの上に置かれている。それがどれほど不安定な条件に支えられていたかに気づかされるのは往々にして、その均衡が目に見えるかたちで揺らぎ始めたあとになってからなのである。

木名瀬高嗣
木名瀬高嗣 雑学者

1970年仙台市で生まれ、札幌市などで育つ。早稲田大学政治経済学部、東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学などを学び、現職は東京理科大学教養教育研究院教授。近年はフ...

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