アウトリーチはいかにあるべきか? 音楽のミッションを考える
さる1月31日、アウトリーチを通して、民間ホールが社会に果たす役割を考える『フォーラム「音楽がヒラク未来」音楽の力と民間ホールの役割』が開催されました。東京・晴海にある第一生命ホールを拠点にアウトリーチ活動を継続して行なっているNPO法人「トリトン・アーツ・ネットワーク」(以下トリトンアーツ)と、ピアニスト仲道郁代が発起人/芸術監督を務める一般社団法人「音楽がヒラク未来」が連携して行なった本イベントの講演内容をレポートします。
編集プロダクションで機関誌・広報誌等の企画・編集・ライティングを経てフリーに。 四十の手習いでギターを始め、5 年が経過。七十でのデビュー(?)を目指し猛特訓中。年に...
そこにクラシック音楽があれば、皆が愛おしくなってくる
まず、一般社団法人「音楽がヒラク未来」の発起人であり芸術監督を務めるピアニストの仲道郁代氏が、基調講演「アウトリーチの意義」を行なった。音楽界でアウトリーチという言葉が語られるようになった当初から活動を続けている彼女ならではの、経験に基づく心境を語りつつ、この日の抱負を述べた。
「私は20年ほど前から、アウトリーチ活動を行なっています。トリトンアーツとともに中央区の小学校を訪ねたこともありました。私としては『クラシック音楽の素晴しさを伝えたい』という気持ちがあるのはもちろんですが、受け入れる側からは歓迎されていない空気を感じることもありました。
音楽は健康食品のようにトクホ認定を取得する、なんていうこともできませんし、『クラシックは素晴らしい!』という御旗を掲げて乗り込んでいっているような、どこか上からの目線を相手に感じさせてしまうところもあったのかな、と思います」
そこにどんな意義があるのか、考えてもなかなか答えが出なくてつらい。しかし、続けているのには理由がある。
「愛おしいんです。歓迎してくれない先生たちも、不思議そうな顔をして『何をするの?』という子どもたちも、そこにクラシック音楽があれば、皆が愛おしくなってくる。作曲家の人生の喜怒哀楽を、ピアノの音という媒体を介して共有できることは、かけがえのない、愛おしいこと。人の心から心へ、先に手を延ばすのは私たち演奏家かもしれませんが、相手にも心を開いてもらえたような、お互いにプラスに作用するような感覚をもちたいんです。
私はクラシック音楽の音楽家として、クラシック音楽がなぜ価値をもつのか、ということをしっかりと保証できる活動をしたい。だから『音楽がヒラク未来』を設立しました。
演奏家だからこそ大事にしたいこと、伝えたいことがある。今日は若い方々とも話をして、経験をシェアしたい。そして、芸術の豊かな恵みをどうしたらアウトリーチ活動にフィットさせることができるのか、コンサートホールはどんなミッションを持って、クラシック音楽と何ができるのか、積極的に社会とつながることがどのように可能なのか、トリトンアーツ主導のもと、皆さんと一緒に考えていきたいと思います」
ホールの観客を増やす活動から、社会を変える起爆剤へ
話は少し飛ぶが、アウトリーチの歴史と、その考え方を知るために、午後の部の講演に触れておきたい。まず、吉本光宏氏(ニッセイ基礎研究所 研究理事)の講演から。
「現在のアウトリーチにつながる企画として、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックで立ち上げたヤング・ピープルズ・コンサートがあります。『音楽には耳、音楽を聴く準備ができたエチケットのある耳が重要だ』と、自らが指揮し、ピアノを弾き、解説もするという形式で子どもたちに向けた演奏会を行ないました。このコンセプトは現在、カーネギーホールのリンクアップというプログラムに引き継がれています。そして、年月を経て、彼の想いは『残りの人生を若手音楽家の教育に捧げたい』と、毎年札幌で行なわれている教育に力を入れた音楽祭PMFの設立につながっていくわけですが、仲道さんが考えていらっしゃることと共通するものがありますね」
カーネギーホール「リンクアップ」プログラムのプロモーション映像
吉本氏は、1990年代にニューヨークでアウトリーチ活動の実態を目の当たりにした。
「ニューヨークのパブリック・シアターを取材した際、スタッフさんから『劇場に来ない人にどうやってリーチアウトするかが最大の課題だ』と言われたことを、今でもはっきりと覚えています。
日本では同じ頃に『一般財団法人 地域創造』が公共ホール音楽活性化事業を始め、2001年に地域創造の調査・研究が行なわれ、同じ年に第一生命ホールが誕生して、トリトンアーツの活動も始まります。その後、2000年代にはアウトリーチはホールの定番メニューになり、ホールの聴衆を増やす目的のほか、教育や福祉などの地域政策にも効果があるのではないか、などと、さまざまな研究も行なわれました。
そして今後は、あくまで仮説の域を出ませんが、芸術が社会を変えていく起爆剤として作用する時代、つまり『アウトリーチのビックバン』がやってくるのでは、と思っています。ホールで行なわれるコンサートを補完するという意味では、アウトリーチはどちらかというと脇役と考えられがち――トリトンアーツの場合は『両輪』――なのですが、今後はそのステージが変わり、音楽が社会を変えていく。そんな時代が来るといいなと思いますし、仲道さんが『音楽がヒラク未来』を設立された背景にも、そういう思想があるものと私は解釈しています」
ホールの存在が人々の意識を変える
次に、政策研究大学院大学教授の垣内恵美子氏による講演。これまでの氏の研究から、社会的便益という観点で日本のコンサートホールの存在を考察した。
「劇場は地域経済に一定の経済波及効果をもたらす資産だと位置づけられていますが、劇場に来る人の統計をとって分類すると、圧倒的に高学歴という結果が出ています。加えて高所得、高年齢。もちろん、美術館のように一日中入れるわけではないという特性も影響していると思われます」
アウトリーチ活動は地域の人々の意識を変える力がある。しかし、ホールに足を運ぶという行動までには至らない可能性が高いという。
「アウトリーチを行なっても、劇場を訪問する人は社会の一部というのは変わらない傾向があります。所得や時間の制約があり、お金を払ってコンサートを観るのはまた別の話なんですね。
ですが、意識は変わっていく。例えば川崎の例でいうと、ミューザ川崎ができて10年後のアンケート調査では、それまでは『労働者の街』というイメージが大きかったのが、若者を中心に『音楽の街』へと変わってきています。劇場の活動は、来ない人も含め、多くの人に価値を提供しているといえるのではないでしょうか」
音楽家はミッションを持つことが大切
「演奏家、教育者、そしてキュレーターとして活動する私の『ミッション』は、音楽を通じて社会にポジティブな変化をもたらすことです」
アメリカ・フィラデルフィアにあるカーティス音楽院で、キャリア教育科主任を務めるメアリ・ジャヴィアン氏は、この日、午前午後ともに講演し、音楽家と社会との関係について語った。
「カーティス音楽院では、学生たちと共に社会に飛び出すプログラムを行なっています。具体的には学校、医療機関、ホームレス保護施設、刑務所を定期的に訪ね、子どもたちやホームレスの方々などと協働してオペラや音楽を作り上げる。
大事なのはプロジェクトのゴールを設定すること、そして必ず(プロジェクトがゴールを達成したかどうか)評価をすることです。そして、私たちのアイデアが、相手が属するコミュニティの文化と深い関係をもつ、つまり親近感を持てるものであることも重要。それは必ずしもクラシック音楽ではない場合だってありえるし、他ジャンルのアーティストと協力し合うこともあります」
講演では、白人以外の人種が多数を占めるフィラデルフィアの地域特性を考慮し、ガーナの絵本をもとに子どもたちとオペラを制作した事例が紹介された。
そして、音楽家はミッションをもつことが大切だ、とも。
「学生たちには、必ずミッション・ステート(活動方針)を書いてもらいます。自分はどんな音楽家を目指すのか。それを明らかにすることで、自分の時間を何に費やすのかがはっきりしますから。プロの音楽家も、誰に習ってどのコンクールで入賞したかということに加えて、自らが目指す姿、ミッションもプロフィールに加えるべき。そうでないと、どんな音楽家なのかわかりませんよね」
アウトリーチはホールに来られない人たちも音楽に触れる貴重な機会
音楽を通じて、社会とつながる。ホールが、そして音楽家が確とした使命をもって、地域の人たちにクラシック音楽の価値を伝え、コミュニティに貢献する。そう言うのは簡単だけど、実践していくことの難しさは想像に難くない。
そんななか、この日集まった人々にとって、格好のサンプルになったのが、本イベントを主催したトリトンアーツだ。第一生命ホールを拠点として、年間約30回の主催公演と、40回ものアウトリーチ活動を行なっている。当日は、彼らが小学校などで行なっているコンサートを実際に体験することもできた(内容的には実験的な部分も入っていたとのこと)。
「ホールに来るお客様の前で演奏するのは、ある意味、楽なんです。お客様は、音楽を聴きたくて足を運んでくれる方々ですから。小学校では、子どもたちのバックボーンもそれぞれ違うし、音楽を聴きたくない子だっているかもしれない。そんななか、いかに先入観なく音楽を受け入れてもらえるか。そして、彼らの創造的感性を感じとることができるか。現場では彼らから学ぶこともたくさんありますね。子どもたちと演奏者は対等の立場なんです」
こう語ったのは、トリトンアーツが実施しているアウトリーチセミナーの講師を務めるヴァイオリニストの松原勝也氏。
「アウトリーチの場では、演奏家は音を聴かせるということにとどまっていてはいけません。例えば色だったり感触だったり、子どもたちの内面に触れる何か、五感に訴えるアプローチをすることが大切だと思います。決して、盛り上がったものだけが成功とは限らないのもアウトリーチの難しさですね」
クラシック音楽の歴史は数百年、日本においては百数十年、対してアウトリーチはまだ三十年足らず。まだまだ試行錯誤は続いていくのだろう。
「アウトリーチというのは、ホールに来たことがない、あるいは何らかの事情で来られない人が、音楽に直接触れることができる機会。そのしつらえとして重要なものだと思います。彼らが音の先にあるものを感じてもらえるように取り組んでいきたいですね」(松原氏)
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