連載
2025.06.24
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 37

フォーク・リヴァイヴァルの立役者レッド・ベリーの生涯に迫るドキュメンタリー映画『レッド・ベリー ロックの礎を築いた男 ビートルズとボブ・ディランの原点』

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2025年6月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

©2024 House of Lead Belly

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囚人の歌「ミッドナイト・スペシャル」を世界に広めた

2025年5月に『レッド・ベリー ロックの礎を築いた男 ビートルズとボブ・ディランの原点』という異常に長いタイトルのドキュメンタリー映画が公開になりました。今の時代にレッド・ベリーの音楽を知っている人は少ないかもしれませんが、たしかに画期的な存在でした。

1942年に撮影されたアコーディオンを弾くレッド・ベリー

しかし、彼が生きた時代は1888年から1949年。どうしてそんなとんでもない影響力を及ぼしたのかというと、それは1954年のロンドンで録音されたロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」という歌が56年にイギリスで大ヒットしたことがきっかけです。

アクースティック・ギターを中心としたシンプルな構成のこの音楽はスキフルと呼ばれ、たちまちイギリス中の若者が安いギターを手に入れて自分たちで同じような演奏をしはじめました。ちょうどエルヴィス・プレスリーが騒がれ出した時期でしたが、その両方に憧れた一人がジョン・レノンです。彼が間もなくリヴァプールの学校の仲間と一緒にクォリメンというグループを組み、それがビートルズに発展していくのはすでに伝説の話です。

「ロック・アイランド・ライン」は汽車のことを歌った曲で、1934年にアメリカ南部の刑務所で、ジョン・ローマックスという民族音楽学者がアメリカ議会図書館の記録のために録音したものです。急速に近代化するアメリカで、黒人たちの間で古くから歌い継がれてきた歌が途絶えないうちに、南部の刑務所を回って、隔離された状況に置かれた受刑者の歌を直接ディスクに刻んでいたわけです。その一人がレッド・ベリーでした。

ルイジアナ州の悪名高いアンゴラ刑務所に収監されていた彼の本名はヒュディ・レッドベター。レッド・ベリーというニックネイムの由来について諸説ありますが、多くの受刑者がニックネイムで呼ばれる社会の中で、本名が化けたという単純な可能性が高いです。

レッド・ベリーがミュージシャンとしての活動を始めたのは10代半ば、まだ20世紀の初めです。彼が育った当時のルイジアナはかなりの無法地帯だったようで、大きな12弦ギターをゴキゲンに鳴らしながらよく通る声で歌っているとそうとう女性にもてたそうです。そして男連中には睨まれることが多々あり、時には相手から攻撃されることもありましたが、田舎の黒人社会では警察が守ってくれるはずもなく、自己防衛するためにナイフやピストルを使うことが常でした。こんなトラブルのために何度か刑務所行きとなったレッド・ベリーは塀の中で彼のもっとも有名な曲の一つ「ミッドナイト・スペシャル」に出会います。

夜中に刑務所の横を通過する列車のライトが牢屋の格子越しに当たればその人が自由の身になるという神話があり、受刑者たちの間で人気の歌だった。これはレッド・ベリーのヴァージョンを経由して、フォーク・リヴァイヴァルの時代に世界中で歌われるようになったほどです。

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「名もなき者」につながるソングスターのエピソード

戦前のルイジアナなどの南部というと圧倒的にブルーズのイメージが強いものの、ラジオ放送もなく、レコードもまだ普及する前のアメリカで、人が集まってパーティなどをする時、ミュージシャンは一つのジャンルにこだわってはいられませんでした。客に頼まれればどんな曲でも演奏できる人が少なくない時代で、彼らのことを「ソングスター」と呼んでいました。フォーク・ソングも、ブルーズも、センチメンタルなバラッドも、何でもこなした自称「12弦ギターの王」レッド・ベリーは記憶力がすごかったらしく、数百曲のレパートリを持っていたのですが、ジョン・ローマックスの原始的なセッションで収めた議会図書館のための録音の他に、釈放された後ニューヨークに移住して、1940年代にフォークウェイズ・レコードなどのちゃんとしたレコーディングも多く行なっています。

皮肉なことに、ニューヨークでウディ・ガスリーやピート・シーガーなどと仲よくなって、ライヴではファンが増えつつあったレッド・ベリーが、ALSを患って1949年に死亡した半年後に、ピート・シーガーがメンバーだったヴォーカル・グループ、ザ・ウィーヴァーズが歌った彼の「グッドナイト・アイリーン」はアメリカのヒット・チャートの1位を何週も独占しました。その大成功を本人が知ることを許されなかったのは何とも残念です。

「グッドナイト・アイリーン」は彼が作曲したわけではありませんが、若い頃からずっと歌い続けたこの歌は彼のテーマ曲となって、ザ・ウィーヴァーズのヒットの影響でいくつものカヴァー・ヴァージョンがあるスタンダードとなっています。彼の曲でもっともカヴァーが多い「コットン・フィールズ」について、ノーベル文学賞の受賞スピーチの中で、ボブ・ディランはデビュー前の自分がレッド・ベリーの歌でその曲を聞いたことによって人生が変わってしまったことを語り、「それまで歩いていた暗闇に突然光が差したようだった」と話しました。

映画ではさまざまな面白いエピソードがあり、「名もなき者」の世界につながる物語としても興味深く見られます。レッド・ベリーの色々な時期の歌をアルバムや配信で聞くことができます。中でも1940年代にフォークウェイズに収めた「ザ・スミソニアン・フォークウェイズ・コレクション」という豪華解説つき5枚組のボックス・セットは目立ちます。「ロックの礎を築いた男」をきっかけにぜひ彼の歌に接してください。

レッド・ベリー ロックの礎を築いた 男 ビートルズとボブ・ディランの原点
公開情報
レッド・ベリー ロックの礎を築いた 男 ビートルズとボブ・ディランの原点

監督:カート・ハーン

2024 House of Lead Belly

2025年5月23日池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺他全国順次公開中

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

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