連載
2026.03.29
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 46

グレイトフル・デッド解散後、遺産を継承したリズム・ギタリスト

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2026年3月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト:酒井恵理

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ジェリー・ガルシア亡きあとデッドの遺産を継承した

1月10日に78歳で亡くなったボブ・ウィアは、グレイトフル・デッドではどうしてもジェリー・ガルシアの陰にいる存在でした。しかし、1995年に他界したガルシアの死亡で解散を余儀なくされたデッドの遺産を、他のどのメンバーよりも真剣に継承したウィアは、この30年間いくつものバンドでグレイトフル・デッドのレガシーを展開し続けています。

2015年にオリジナル・メンバーによる再会公演が行なわれましたが、そのゲストの一人だったジョン・メヤーを誘って、デッド&カンパニーというバンドで精力的にライヴ活動を行ないながら、多くのライヴ・アルバムも発表してきました。

最近のインタヴューでボブは、デッド&カンパニーのコンサートの最中に幽体離脱したことを語っていました。高いところから自分たちの姿を見下ろしていたのですが、その姿はたぶん20年後のもので、ジョン・メヤーは白髪になっていて、ボブ自身の代わりに別の人がいたと言うのです。

自分たちがいなくなってもグレイトフル・デッドの音楽が200年も300年も聴かれるものだとよく言っていました。死ぬことも歓迎すると話していました。生き甲斐のある人生のご褒美のようなものだ、と。

彼の故郷サン・フランシスコで「Homecoming」と名付けられた大規模な追悼会が行なわれ、最初と最後にチベットのラマ僧がお経を唱えました。1時間半ほど続いたこの会に多くのミュージシャンが参加したものの、生の演奏は2曲だけでした。一つはあとからデッドを意識するようになったというジョーン・バエズで、ボブと同様に裸足で歌うのが好きだったと笑いながら、「フリーダム」という昔のゴスペル曲をアカペラで歌いました。

もう一つの歌はジョン・メヤー。彼が心のこもった追悼の言葉の冒頭で話したのは、ボブ・ウィアと同じ誕生日で、ちょうど30年の違いがあることでした。不思議な縁で約10年間活動を共にすることになったのですが、ボビーがいなくなってもたぶんジョン・メヤーはデッドの曲を演奏し続けるでしょう。

面白いのは、2人ともジェリー・ガルシアのレパートリーを歌っていたことです。デッドのライヴではだいたいジェリーとボブは交互にそれぞれのオリジナル曲、あるいはカヴァーを歌っていたのですが、ガルシアの亡きあと、特にデッド&カンパニーではボブはジェリーの曲も歌うようになったわけです。

「Homecoming」でジョン・メヤーがアクースティック・ギターの弾き語りで歌ったのは、ジェリーの曲「Ripple」でした。ほとんどフォーク・ソングのようなこの曲の歌詞のなかには、こんなくだりがあります。「水面に波紋 小石を投げず 風もない」、なんだか俳句のような美しいイメージは、ガルシアの作詞の相棒ロバート・ハンターによるものです。デッドのファンの間で大人気のこの曲は、追悼会に集まった全員が舞台に集まって合唱していました。

Ripple

感動的だったコンサートでの「Sugar Magnolia」のリフ

「Ripple」は1970 年の名盤『American Beauty』に収録された曲で、グレイトフル・デッドの音楽にあまり関心のない人にとっても、このアルバムは聴きやすいものです。ボブ・ウィアが作曲した「Sugar Magnolia」というラヴ・ソングもまたこのアルバムのハイライトの一つで、コンサートで聴いたら必ず一緒に歌いたくなる明るい雰囲気に溢れています。

Sugar Magnolia

ぼくも、1972年にデッドのコンサートをロンドンのウェンブリー・エンパイア・プールで見た際、伝説の曲「Dark Star」の延々と続く即興のなかから少しずつ聴こえてきた「Sugar Magnolia」のリフに気づいたときの感動は、言葉では表現できません。この間ラジオでその話をしたら、思わず感極まってしまいました。

『American Beauty』の最後を飾る「Truckinʼ」も名曲です。珍しくガルシア、ウィア、ベイシストのフィル・レッシュ、そしてロバート・ハンターの作詞作曲となっています。常にツアーを続けるバンドのドラマに満ちた生活を皮肉に綴った、この曲の歌詞の一節「What a long, strange trip itʼs been」(何という長く奇妙な道のりか)は、度々デッドのキャリアを語るうえで使われる表現です。

この曲の早口の歌詞を饒舌に歌ったのもボビーでした。オリジナル・ヴァージョンは5分程度(シングル用にもっと短く編集された)でも、ライヴではその数倍におよぶこともあって、何百回も演奏された定番とレパートリーとなりました。

Truckinʼ

年とともに枯れた味わいを帯びシンプルな曲を聴かせた

ボブ・ウィアが作る曲の特徴といえば、変拍子があげられます。その最たるものは、たぶん「Playing In The Band」でしょう。1972年に発表された彼の最初のソロ・アルバム『Ace』に収録されたこの曲も、グレイトフル・デッドのもっとも演奏回数の多い曲の一つになり、作った本人による演奏がもう二度と聴けないと思うと寂しいです。

Playing In The Band

子どものころから、ボブはカントリーとかカウボイ・ソングが好きで、デッドのライヴでも、たとえばマーティ・ロビンズの「El Paso」などを歌うのが彼でした。最後のソロ・アルバム、2016年の『Blue Mountain』のジャケット写真では、白くなった髪とぼうぼうの髭で、かつての長いポニー・テイルと極端に短い短パンがトレイドマークだったグレイトフル・デッドの若者リズム・ギタリスト(誰の影響も感じられないユニークなギターだとジェリー・ガルシアが語っていました)とは別人のようでした。

そのとき60代終盤のボビーは、ふたたびカントリーやフォークの世界に戻って、年とともに枯れた味わいを帯びてきたヴォーカルをシンプルな曲で聴かせました。アメリカ民謡とも言える「シェナンドア」を基に作った「Only A River」は、実に心に響く曲です。合掌。

Blue Mountain

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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