フランスのロックダウン、その後〜パリ地方音楽院は学生の格差にどう向き合うのか
3月28日に公開した記事「芸術大国フランスの音楽界は、新型コロナウイルスとどう戦っているのか」から2ヵ月経ち、フランス社会や音楽教育現場で起きたことを、再びパリ在住の船越清佳さんにまとめていただいた。
岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...
ロックダウンで浮上した実態
フランスで3月16日から8週間続いたロックダウン生活は、さまざまな面で社会の格差を浮き彫りにするものであった。
普段それぞれに忙しい親子が揃って過ごし、家族の絆を深めた人々もいる。田舎のセカンドハウスや、庭付きの一軒家など、子どもたちがのびのびと遊べるような豊かな環境があれば、不自由さも多少緩和されただろう。一方、狭いアパートで重なり合うように生活する大家族もいる。閉ざされた環境で起こる家庭内暴力件数も増大し、テレビでは厚生省のキャンペーンCMと相談電話番号が1日に何度となく流れた。
全面休校の学校ではオンライン授業が始まった。共働き家庭が一般的なフランスの家庭では、親が自宅でテレワークをしながら、先生代役として子どもたちの学校から送られてくる宿題を監督することになる。成績の良い子ども、あるいは親が教師替わりになれる家庭なら問題はないが、フランス語が不自由な移民系の家庭、家にインターネット接続がなく、パソコンもタブレットも所有しない家庭の子どもたちはどんどん脱落していった。
国民教育省によると、ロックダウン中に連絡が取れなくなった生徒は全体の5~8%に上る。深まっていく教育格差の溝も、5月11日に解禁が急がれた理由の一つである。
公立音楽院がオンラインレッスン、そして開校準備へ
義務教育ではないピアノのような習い事はどうだろうか。
フランスでは1970年代から〈文化の民主化〉をうたって設立された公立音楽院が各市にあり、多くの家庭の子どもたちがリーズナブルな月謝(市の方針や生徒のレベルによって異なるが、おおよそ年間約400~600ユーロ/約4万7000円〜7万1000円)で音楽教育を受けている。楽器の個人レッスンとグループでのフォルマシオンミュジカルの授業が毎週受けられるほか、合唱や室内楽、オーケストラ活動もある。
筆者が勤めるパリ郊外の市立音楽院でもオンラインレッスンが提案され、ロックダウン2週目以降は、大体の家庭がSkypeなどを使ったレッスンを希望してきた。
反応が早かったのは、やはり教育熱心だったり、親御さん自身も音楽好きな家庭である。ずっと家にこもっている生徒たちにとって、たとえ画面越しでも、毎週のレッスンは息抜きとなっているのが感じられた。普段は姿を見せないパパが、レッスン中にカメラ係として楽しそうにサポートしてくれたり、勉強が忙しくなってきた中学生たちが、外出できないので普段より練習に励んだりといった、嬉しいサプライズもあった。
一方で「我が家は夫婦二人とも、テレワークと小学生の子ども3人の学校の課題に追われて、とてもピアノまで手が回りません」と、正直に話してくれたママもいた。その場合は、脱落を防ぐために、時間帯を親御さんの負担が少ないときに合わせるなどの配慮も必要であった。他方、少数派だが、メールを送信しても音沙汰のなくなった生徒も存在する。
5月28日、政府より規制緩和の内容が発表された。既に少しずつ開校し始めていた小学校に加え、6月2日からは中学校、職業高校も開校し始める。音楽院に関しては、各市の対応にばらつきがあるが、それぞれの楽器の特性を考慮した安全なレッスン環境を準備するために、9月開校とせざるを得ないケースも多い。
入試でハンディを負わせないために〜パリ地方音楽院学長の言葉
新学期が9月のヨーロッパでは、5月から6月にかけては試験シーズンである。今年はバカロレア(高校最終学年の大学入学資格試験)も中止、成績表を通算する形での採点となった。
音楽分野でも多くの国際コンクールが軒並み延期となったが、一方で延期が利かないのが、生徒の進路にかかわる入試である。
フランスの地方圏立音楽院の最高峰、パリ地方音楽院には、勉強と音楽の両立を図る小学生から、国際コンクール準備のプロ学生まで1700人の生徒が学ぶ。有能な教授陣を始め、刺激的な環境が整っていることから、パリ国立高等音楽院、あるいはドイツやスイスの高等機関への登竜門としても知られ、在籍する多くの外国人学生には、毎年120人を超える日本人留学生が含まれている。半数の生徒が無料で学んでいるのも大きな特長だ。
「今のような状況こそ、生徒の不安を払拭し、9月から通常の勉強を再開できるよう最善を尽くさなければなりません」とは、同音楽院学長グザヴィエ・ドゥレット氏。音楽から舞踏、演劇まで90科の入試に約2500人の受験生が応募しており、前代未聞のビデオ審査の導入と共に、可能な限り実演審査も保持された。
ドゥレット氏は、ロックダウン開始直後、同音楽院のピアノ教授が開催したビデオ発表会の映像を見て、生徒の自宅練習環境の差に改めて考えさせられたという。
「皆が情熱的に取り組んでいるにもかかわらず、素晴らしいグランドピアノを2台持っている生徒もいれば、ひどいアップライトで練習している生徒もいるのが現実です。パンデミックは社会の不平等に拍車をかけました。一部の生徒にこれ以上のハンディを負わせてはなりません」
ビデオ録画ひとつとっても、皆が良質の録音機材を持っているわけではない。録画はスマートフォンかタブレット使用で統一し、Audacity 、FFmpegなど無料ソフトウェアを使ったビデオ制作のガイドラインを作成。舞踏科の入試には、在学生がそれぞれの自宅の廊下やキッチンなどでモデルタイプの動画を制作した。
実演審査に向けて、さまざまな感染防止策が取られた。受験者とピアノ伴奏者の間にはプレクシグラス(アクリル樹脂)パネルを設置、スタッフによる各演奏後の鍵盤や譜面台、椅子の消毒、院内はマーキングして一方通行にし、8か所に手指消毒液を設置、また扉は開放しノブへの接触を最小限に減らした。建物内の人数制限、マスクのストックなども含めた万全対策で、舞台芸術教育の安全管理委員会の承認を得、1か月間の入試期間がスタートした。
文化の未来を担う学生への支援策
ロックダウン中に、ある音楽教育振興団体が、舞台芸術分野の学生1031人(その内の72%が18~25歳)を対象に行なったアンケートを見ると、さまざまな叫びが聞こえてくる。
皆が親の金銭的援助を受けられるわけではない。それが可能なら幸運だが、実家に戻った学生は「あなたは音楽で食べていけなくても、私たちが面倒を見てあげる」という両親の言葉に違和感を感じ、余計落ち込んだという。
また、仕事を始めたばかりなのに、公演が中止となり〈アンテルミタン・デュ・スペクタクル〉制度への加入条件を満たせない奏者、演奏会も個人レッスンもできなくなり、家賃の支払いに困窮する若者。唯一のコミュニケーションツールのスマートフォンは、契約の通信容量が足りず、オンライン授業やリサーチにも不自由する学生……。
今、若い音楽家には「この職業を目指したのは間違いだったのでは?」という疑問に苛まれている人さえいる。ドゥレット氏はいう。
「フランスの文化の未来を担うのは彼らなのです。パリ地方音楽院では、困窮する学生の在籍を1年延長し、彼らが奨学金を申請できるよう配慮します。
パリ市は文化支援に1500万ユーロ(約17億6000万円)を投入し、文化活動を再燃させるべく、8月にはパリの広場や公園などの野外スペースで、さまざまなイベント(Un mois d’ août de la culture)を開催します。若いアーティストの雇用促進という目的もあります。
今後は、コンサートもソーシャルディスタンスに沿った座席配置で、17時と20時半の2回公演にするなど、新しい形を考えていくべきではないでしょうか。困難に陥っているのは文化セクターだけではありません。未曽有の状況下で、私たち皆の柔軟性、独創性が問われているのです」
パリでは6月2日よりカフェやレストランのテラス席がオープン、22日より、安全を考慮した座席配置でイベント会場や映画館もオープンとなり、一歩ずつ通常の生活へ向かおうとしている。
「音楽は自分の存在意義そのもの」と信じる若者たちがいる。そして「表現したい」「創造したい」「分かち合いたい」という一人ひとりの情熱がある限り、文化という大河は決して枯れることはないだろう。
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