読みもの
2025.02.12
それぞれの街に、それぞれの想いを残したマエストロ

追悼・秋山和慶~記憶に残る「大阪フィルの秋山」サウンド

2025年1月26日、指揮者の秋山和慶が肺炎のため亡くなりました。享年84歳でした。
日本各地のオーケストラにポストを持ち、献身的な活動を展開した秋山さん。1967年の初登場以来、60年近くにわたる関係を築いた大阪フィルハーモニー交響楽団を擁する関西の音楽ファンも強い想いを抱いていることと思います。
大阪生まれ大阪在住の音楽評論家、増田良介さんが「大阪フィルの秋山」の思い出を、印象的なコンサートとともに振り返り偲びます。

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

大阪フィルとの最後の共演となった2023年「京都特別演奏会」©︎佐々木卓男

記事中の画像はすべて、公益社団法人 大阪フィルハーモニー協会の協力により掲載しています

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それぞれの街に、それぞれの秋山和慶

秋山和慶は日本を代表するマエストロだったが、その活動の全体像を知ることは簡単ではない。秋山の活動の中心が、1963年から40年にわたって音楽監督などを務め、楽団の再建と発展に大きく貢献した東京交響楽団(東響)だったことは言うまでもない。しかしその一方で、秋山の活動の舞台は東響だけではなく、全国に及んでいたからだ。

秋山がポストを持った国内のオーケストラは、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、広島交響楽団、九州交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、岡山フィルハーモニック管弦楽団と、東響を含めて8つに上る。ほかに、吹奏楽のOsaka Shion Wind Orchestra芸術顧問、海外ではバンクーバー交響楽団、アメリカ交響楽団、シラキュース交響楽団の音楽監督も務めている。

そして、秋山はどこでも誠実に献身的に活動し、それぞれのオーケストラの演奏水準の向上に貢献した。だから、東京の人にとっては「東響の秋山」であるのと同じように、札幌や広島や福岡や小牧や大阪や岡山の聴衆にとっては、それぞれの秋山和慶がいるはずなのだ。

残念ながら、私は地元・大阪以外のオーケストラでの秋山和慶の演奏は、まったく、あるいはたまにしか聴くことができなかった。だからせめて、札幌のことは札幌、広島のことは広島の人に、どんどん語っていただき、ともに秋山マエストロを偲びたい。

ここでは、そのような思いとともに、マエストロに素晴らしい演奏をたくさん聴かせていただいた聴衆のひとりとして、まずは大阪フィルでの秋山和慶の功績を振り返り、個人的な演奏会の思い出を書いておきたい。

60年近くにわたる大阪フィルと秋山の関係

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大阪フィルと秋山和慶の縁は長い。デビューから3年後の1967年以来、1994年までの28年間、秋山は毎年欠かさず定期演奏会に登場した。年2回登場した年も多かった。3回という年もある。

1986年から1994年までは首席指揮者という地位にあった。もっとも、音楽監督の朝比奈隆がいたので、これはトップという意味ではない。だが、秋山が振ったときの大阪フィルはすばらしかった。われわれは、大阪フィルを作り育てた朝比奈隆を熱烈に愛していたが、正直、朝比奈よりも秋山が振ったときのほうが美しい音がするし、アンサンブルも格段にいいということは、野暮だから言わないだけで、多くの人が知っていた。

1978年の149回定期演奏会で指揮をする秋山。大阪フィルが所有する中でもっとも古い共演写真

大阪フィルでの秋山は、フランク、フォーレ、ラヴェル、イベールといったフランス音楽、あるいはスクリャービン、ニールセン、シェーンベルク、バーンスタインといった近・現代ものを振ることが多かった。おそらく、朝比奈があまり得意でなかったレパートリーを任されていたのだろう。

定期初登場の1967年7月6日(第60回定期)も、ショーソンの交響曲、ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(独奏は海野義雄)、ストラヴィンスキーの《カルタ遊び》というものだった。

秋山の大阪フィル定期・初登場となった1967年7月6日「第60回定期演奏会」のパンフレット
当時のプログラムには当日の指揮者のプロフィールが載っておらず、ひとつ前の定期演奏会のプログラムで次回の演奏の紹介が掲載されていたという。写真は音楽評論家・松本勝男氏による秋山の大阪フィル初登場に寄せた「紹介文」

大阪フィル×秋山の思い出の名演

筆者がよく聴いたのは1980年代後半からだ。思い出深い演奏会はたくさんある。1990年6月22日のシェーンベルクの《グレの歌》(第249回定期)は東響との合同演奏で、大阪の直後に東京のオーチャードホールでも2回演奏されている。東響は86年にすでに秋山の指揮でこの曲を演奏していたが、関西では初演だったので、これは特別なイベントだった。この複雑な大曲を明晰にさばきつつ、大きなうねりを作り出す秋山のタクトは見事で、最初から最後までわくわくしながら聴いた。

1990年6月22日の第249回定期演奏会。関西初演となったシェーンベルク《グレの歌》
公演チラシ

1992年3月23日(第263回定期)のオール・バーンスタイン・プロも印象に残っている。「《キャンディード》序曲」、当時コンサートマスターだった藤原浜雄のソロで《セレナード》、そして羽田健太郎をピアノ独奏に迎えたバーンスタインの「交響曲第2番《不安の時代》」という、ひじょうに意欲的な曲目だった。秋山は《不安の時代》を大阪フィルと、1968年6月13日(第66回定期)にも演奏していて(ピアノは内村美苗)得意にしていたようだが、あまり予備知識なく聴きに行った筆者は、《不安の時代》のペシミズムに衝撃を受けた記憶がある。

1993年7月19日(第274回定期)でのメシアン《トゥランガリーラ交響曲》もすばらしかった。1991年に井上道義が京都市響とこの曲をやっていたので、こんなにすぐにもう一度聴けるかと喜んだものだが、井上の刺激的な演奏とはまた違った、どこか温かみのあるメシアン演奏には感激したものだ。

1995年以降は定期を振らない年が次第に増えていったが、2002年7月12日(第360回)のベルリオーズ《レクイエム》(下野竜也、松沼俊彦、吉田行地が副指揮者を務めた)、2009年6月28、29日(第429回)のウォルトン《ベルシャザールの饗宴》など、語り草になっている演奏会は少なくない。

近年は、大阪では日本センチュリー交響楽団の指揮台に立つことが多くなり、そちらもすばらしい演奏が多くあったのだが、それは別の機会に譲ろう。

2009年の第429定期演奏会ではウォルトン大作オラトリオ《ベルシャザールの饗宴》を取り上げた
©︎飯島隆

記録は少なくても、記憶に残り続ける名演奏

さて、このように大阪フィルとはつながりが深く、大きな存在だった秋山和慶だが、この組み合わせのディスクはほとんど出ていない。1973年7月12日(第109回)のヴォーン・ウィリアムズの「交響曲第1番《海》」はライヴ録音され、LP(日本コロムビア OP7103)が出たようだが、CDになっていない。ほかには、2001年2月19日の『三善晃《交響四部作》』(日本伝統文化振興財団 VZCC1021/2)ぐらいだろうか。

つまり、秋山と大阪フィルのすばらしさについては、そのとき会場にいた人たち以外にはほとんど知られていないということになる。これではちょっと寂しい、というわけで、このような小文を綴らせていただいた次第だ。

大阪フィル第199回定期演奏会で指揮をする秋山
増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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