読みもの
2020.07.14
7月特集「ダンス」

アメリカ開拓民の暮らしを描き、大戦中に発表されたバレエの傑作《アパラチアの春》

アメリカ・モダン・ダンスの地位を築いた舞踏家・振付師のマーサ・グラハムと、作曲家コープランドのコラボレーションが実現したバレエ《アパラチアの春》。アメリカ開拓時代の質素な暮らしを描いた本作は、第二次世界大戦の終戦直前にピューリッツァー賞を受賞。今日でもグラハム舞踊団で良く取り上げられる演目です。この作品の背景をご紹介します。

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谷口昭弘
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谷口昭弘 フェリス女学院大学音楽学部教授

富山県出身。東京学芸大学大学院にて修士号(教育)を取得後、2003年フロリダ州立大学にて博士号(音楽学) を取得。専門はアメリカのクラシック音楽で、博士論文のテーマは...

Martha Graham and ensemble in Appalachian Spring.

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コープランドの代表作でありマーサ・グラハムを象徴する作品でもある《アパラチアの春》

《アパラチアの春》は、アメリカの作曲家アーロン・コープランド(1900-1990)の代表作です。アメリカの広い大地を思わせるサウンド、活気あるエネルギッシュなリズム、そして信仰の自由を求めてヨーロッパからやってきたピューリタン(清教徒)を思わせる敬虔さがあります。

舞踊作品としてもアメリカ・モダン・ダンスの中でユニークな地位を築いたマーサ・グラハム(1894-1991)を象徴する作品で、現在もグラハム舞踊団の代表的演目として挙げられる傑作です。

アーロン・コープランド(1900-1990)
© CBS Television
マーサ・グラハム(1894-1991)© Yousuf Karsh / Library and Archives Canada / PA-212251
《アパラチアの春》あらすじ

物語の舞台は、19世紀前半のアメリカ・アパラチア高原の村。見知らぬ土地へやってきた花嫁を新しい家を建てた農家の花婿が迎えます。陽の光に照らされた朝を迎えた今日は、結婚式の日。牧師に伴って若い少女たちもやってきます。これから夫となる男性を篤く信頼する花嫁ですが、慣れない土地ゆえ不安も隠せません。そこへ地元のことを良く知る開拓村の女性がやってきて、励ましの言葉をかけます。集まった人たちは真新しい家で家庭を築いていく二人を祝福し、愛し合う二人は神に感謝するのでした。

アパラチア山脈を構成するグレート・スモーキー山脈
© Tetra09

舞台セットは、日系アメリカ人のイサム・ノグチ(1904-1988)によるデザインです。二人の新居は屋根を型どった枠組みで表され、外には横長のベンチが、中にはロッキングチェアがあります。敷地は柵一つで区切られ、舞台後方には牧師の説教壇となる木の切り株があります。すべてが質素でミニマルです。

《アパラチアの春》で踊るマーサ・グラハムと、アンサンブル(1944)

グラハムとコープランドのコラボレーションが実現するまで

コープランドとグラハムの出会いは、1931年のコープランドのピアノ変奏曲をグラハムが『ディデュランボス』という舞踊にして発表したことに始まります。ピアノ変奏曲は、コープランド作品の中でも極めて抽象的でリズムも複雑でした。グラハムからこの作品で踊りたいと聞いたコープランドは笑いながらのけぞってしまったほど。しかし彼女の志の高さと芸術性に感動したコープランドは、いつかグラハムとコラボをしたいと考えるようになります。

コープランド「ピアノ変奏曲」(演奏:ウィリアム・マセロス)

ところが、実際にコラボの話を切り出したのは、グラハムのほうでした。1941年、彼女はギリシャ悲劇の『メデア』を題材にした舞踊作品を提案します。この計画は頓挫しますが、翌1942年、当時グラハムのパートナーだったエリック・ホーキンズは新たな計画を思いつきます。彼は音楽のパトロンとして有名なエリザベス・スプラーグ・クーリッジに、グラハム舞踊団の新作の音楽を同時代の作曲家に委嘱する提案をします。

コープランドのほうはといえば《ビリー・ザ・キッド》(1938)、《ロデオ》(1944)など、アメリカ文化に根ざしたバレエ音楽を書いていたところでした。

コープランド《ロデオ》《ビリー・ザ・キッド》(演奏:レナード・バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック)

ただグラハムとコープランドの共同作業は、もっぱら手紙のやりとりで進みます。グラハムは全米各地で公演をし、コープランドは主にメキシコにいたのです。グラハムは物語の概要や各場面の長さをコープランドに書き送り、それに応じて作曲が進みます。当初のタイトルは『勝利の家』。南北戦争時代の話で、脱走した奴隷や先住民の少女も登場することになっていました。

その後、台本にはさまざまな変更があり、とりあえずコープランドは曲を《マーサのためのバレエ》と名づけました。《アパラチアの春》となったのは、1944年10月3日のこと。初演の30日までは1ヶ月もありませんでした。ハート・クレーンの「踊り」という詩の一節からグラハムが思いついたタイトルでした。

コープランドが起用したことで一躍有名になったシェーカー派の賛美歌

13人の演奏者によるコープランドの音楽は、やさしく静かに始まります。木管楽器と弦楽器はイ長調とホ長調の和音を同時に鳴らす現代的手法を使っていますが、全体は協和音に溢れており、音域を広く使っているため、否応なしにアメリカの大草原を聴き手に喚起させます。《アパラチアの春》というタイトルが後付けだったとはまったく考えられません。またオープニングにつづく、変拍子を巧みに使った生命力溢れる音楽は、当初考えていた振付を、想定以上に激しくしたといいます。

コープランド《アパラチアの春》(演奏:レナード・バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック)

さらに《アパラチアの春》の音楽といえば、シェーカー教徒の賛美歌《質素な贈り物》を使った変奏曲の部分が特に有名ですが、この賛美歌、初演時はまったく無名な存在でした。コープランドがこの作品に使ったことで一躍有名になったのです。

シェーカーたちは物質文明を離れたコミュニティで慎ましい生活を送りつつ、礼拝では体を揺り動かす(シェイクする)ことで知られていました。アメリカの原点でもある植民時代の開拓民を想起させるところがシェーカーたちの生活にあったのかもしれません。

シェーカー派のグループを写した写真 © James E. Irving 1818-1901

《Simple Gifts》コープランド作曲/デイビット・L・ブロナーによる編曲(演奏:National Youth Choir of Scotland)

発表されたのが第二次世界大戦まっただ中ということもあり、アメリカ人の琴線に触れる純朴で活力溢れる踊りと音楽による《アパラチアの春》は初演当時から暖かく人々に受け入れられ、作品は1944年のピューリッツァー賞を受賞します。この受賞を知らせる記事が『ニューヨーク・タイムズ』の第1面を飾ったのは1945年の5月8日のこと。同じ面には、ドイツの降伏と欧州戦線における終戦を告げる記事が大きな写真とともに掲載されていました。

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谷口昭弘 フェリス女学院大学音楽学部教授

富山県出身。東京学芸大学大学院にて修士号(教育)を取得後、2003年フロリダ州立大学にて博士号(音楽学) を取得。専門はアメリカのクラシック音楽で、博士論文のテーマは...

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