読みもの
2024.01.10
ジャケット越しに聴こえる物語 第13話

作曲家ショーソンと知る人ぞ知るベルギー人画家の「海」〜世紀転換期にバトンを繋いだ芸術家

配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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大洋への航海を話題にした前回に引き続き、海を扱ったジャケットをもうひとつ。

今回は作曲家の活動環境にもう少し近いヨーロッパの海岸にまつわる話です。

海と作曲家たち、そして画家たち

漁村や船乗りの間に伝わる歌、海辺や大海原を描いた劇音楽の一場面、そして海のイメージが呼び覚ます感興の描写——ヨーロッパの音楽は、昔から何かと海という自然環境と深い関係を築いてきました。ヴィヴァルディ《海の嵐》、ワーグナー《さまよえるオランダ人》、ドビュッシー《海》、ディーリアス《海流》……有名作が次々と思い浮かびます。

画家たちも同じように、昔の大きな地図で「ここは海」とわかる図柄が必要になったり、新聞や小説で海に関する話を伝えるために海景図を描いたり……といった必然性ある描写はもちろん、何かを象徴的に伝えるものとして海の絵を使うこともあれば、刻一刻と光の加減で変化する現実の海の表情を捉える描き方に画家や鑑賞者の関心が向かうこともありました。

船舶画家ヴィレム・ファン・デ・フェルデ2世(1633~1707)の『オラニェ公ウィレム(ウィリアム3世)と公妃マリー(メアリ)のオランダからの船出』(1677年以降・ロンドン国立海洋博物館所蔵)。ファン・デ・フェルデ父子はブクステフーデ父子と同世代で、いずれも北海周辺を中心に国際的な名声を馳せた。
ベートーヴェンと同じ時代を生きた英国ロマン主義の海景画家ウィリアム・ダニエル(1769~1837)の版画『スコットランドのスレインズ城』(1822頃)

オランダや英国など海洋貿易が盛んな国は、必然的に海景図や船舶画が昔からよく描かれましたし、漁村や港町では海にまつわる歌も多く生み出されましたが、やがて19世紀に入り鉄道網が発達し、ふだんは自然と縁遠い暮らしをしていた人々までも山や海の絶景を意識することが多くなってくると、海は新たな形で芸術表現の世界を彩るようになります。

今回とりあげるのは、フランス近代の作曲家エルネスト・ショーソン(1855~1899)が海にまつわる詩をもとに10年がかりで書き上げた『愛と海の詩』と、彼の唯一の交響曲を収めたフランス国立リル管弦楽団のアルバム。そのジャケットに使われているのは、隣国ベルギー随一の海浜都市オーステンデ(オステンド)で生まれたレオン・スピリアールト(1881~1946)の海の絵です。

スピリアールトはショーソンの早世直後、彼と入れ替わるようにして1900年代からフランス語圏で活躍しはじめる画家ですが、ショーソンに対する評価が本人の歿後なお続いて21世紀まで蓄積されてきたことを思えば、この微妙な年代差は大きな問題ではないようにも思われます。逆に両者のことを知れば知るほど、彼の絵が選ばれていたことの意義深さを実感できるのです。

蒸気機関、そして海水浴場の発展

18世紀に蒸気機関の開発が進んだ結果、19世紀には蒸気機関車による鉄道輸送網がヨーロッパ中に広がり、それまで考えられなかったほどの速度で遠くの都市や要所まで行けるようになりました。

鉄道を介した移動や物流のおかげで遠隔地の魅力的なものごとと出会いはじめた人々は、やがて遠方への旅の面白さにも目覚めてゆくと同時に、たとえば建物がほとんどないかわり自然豊かな風景や、昔から何気なく飲んでいた地酒といった、自分たちの生活圏で半ば見飽きていた思わぬものごとが、遠方の人々には新鮮に映り、ありがたがられることもあるのだ、と気づき始めます。

折しも印刷出版業が活性化し広告商売も飛躍的に商機を伸ばしてゆく時代でもあったところ、旅情をさそう惹き句やポスターが次々作られるようになり、観光ビジネスという新たな産業が、やおら活気を帯びてきます。19世紀はそういう時代でした。

19世紀英国の画家オーガスタス・エッグ作「旅の道連れ」(1862年)

都市生活者たちは遠方ばかりでなく、日々の慌ただしい都市生活を忘れてのびのび過ごせる郊外や遠くの名勝にも頻繁に出かけるようになりました。とくに川や湖、海などの岸辺での日光浴や遊泳は多くの人々を惹きつけ、季節によっては週末ごと大勢の人々がつめかける海岸も増えてゆきます。

フランスでは1824年(ウィーンでベートーヴェンの第九交響曲が初演された年ですね)、元王太子妃のベリー女公マリー=カロリーヌが英国王室の先例にならってノルマンディのブーローニュやディエップで海水浴をするようになります。やがて屋外での水浴は健康増強にも効果ありという認識がヨーロッパの人々に浸透。海水浴場への小旅行は休日の楽しみとして人気を得てゆくのでした。

フランス王太子(ベリー公)妃マリー=カロリーヌ(1798~1870)の肖像。英国の人気肖像画家ローレンスによるもの(ヴェルサイユ宮殿所蔵)。流行に敏感だったことで知られていたほか美術や音楽にも造詣が深く、この肖像が描かれた1825年にはフランス歌劇史上に名高い傑作オペラ《白衣の婦人》を人気作曲家ボワエルデューから捧げられている
ウジェーヌ・ル・ポワトヴァン「ノルマンディ地方エトルタでの海水浴」(1866頃)。トロワ美術考古学博物館(フランス)所蔵

海辺育ちの画家スピリアールト、パリ育ちの作曲家ショーソン

海水浴が一般的になるにつれ、平素は海を見ないで暮らしていた内陸部の都市生活者たちにとっても海はぐっと身近な存在となり、詩や小説、絵画などでも海というモチーフが効果的に活用されるようになります——海はもはやその実態を越え、海を見に行ったり眺めたりする状況が生じる時に人が感じうる諸々の気分を象徴するモチーフとして使われたり、さまざまな表情をみせる海辺の景色や水面そのものをどう描き出すか、そこにどんな情感表現を投影させるか、そういったことが人々の関心対象になってゆくのです。

外光派や印象主義の画家たちなど、水辺や海の描写の味わい深さで名をなした風景画家たちに続いて、19世紀末には象徴主義の表現として海景を好んで描く画家たちも現れました。

スピリアールトもその一人で、リゾート都市として躍進中だったベルギーのオーステンデで海を間近に感じながら育ち、近代人たちの孤独や恐怖、憧憬などが入り混じった複雑な心理を海に託し、多くの海景画を描き注目を集めました。

レオン・スピリアールト作「自画像」(1907年)

ベルギーはおおまかにオランダ語圏とフランス語圏からなる国ですが、当時は本来オランダ語圏側にあるオーステンデも含め、都市生活者や知識人たちの暮らしは全面的にフランス語中心で営まれており、1830年の独立後急速に豊かになっていった同国の文化人たちは、そのおかげで隣国フランスにも自由に出入りし、フランス文化史に確かな足跡を残せた人も少なくありません。

ロダンバックやマーテルランク(メーテルリンク)といった文学者たち、フランクやイザイのような音楽家たち、そしてエンソル(アンソル)やクノップフといった画家たちの先例を追うようにして、スピリアールトもパリに足掛かりを得、国際的な名声を築きました。

ある時は薄暗く、またある時は光さす海辺の風景を描くにあたり、彼はしばしば一人または数人の人物のシルエットを手前に配し、その人物と海との関係を想像させつつ、余韻豊かな象徴主義的表現をしてみせています。今回のアルバムのジャケットに使われた元絵もまさにそうしたものの一つです。

スピリアールトの作品

「オスタンドのそよ風」(1900~01頃。オスタンドはオーステンデのフランス語名) オーステンデ海洋博物館所蔵
「憂鬱」(1910)ブリュッセル、ベルギー王立美術館所蔵
「漁村の女」(1912)個人蔵

他方、ショーソンはスピリアールトとは逆にパリで生まれ、折に触れて海辺の空気をもとめた人でした。生活に不自由しないで済む家に生まれた彼は、若い頃から旅行を好み、とくに社交場として脚光を浴びていた南方の大西洋沿岸の保養地ビアリッツや、ノルマンディ地方のトゥルヴィル=シュル=メールといった海辺をよく訪れました。

エルネスト・ショーソン

『愛と海の詩』は、そんな若い頃の彼が1876年、同い年の詩人モーリス・ブショールが前年に綴った詩と出会い、これを歌詞として1882年から10年の歳月をかけて織り上げた充実作です。開放感あふれる海辺の空気を自分の恋心に投影させていた人物が、無言の間奏曲を経て、後半では失われた恋の憂鬱を延々と嘆き続ける——オーケストラの色彩感豊かな響きを添えてショーソンが織り上げたこの作品は、まさにスピリアールトの海辺の絵と同じく、描写的表現が人心の機微を代弁する、象徴主義絵画のような音楽に仕上がっているのです。

社会変化が要求するスピードと、その中で起こった不運な作曲家の最期

スピリアールトの若い頃、つまりショーソンの後年にあたる1890年代はまた、自転車人口が急増した時代でもありました。1890年にはフランス国内で約50,000の駐輪場が用意されていたところ、1900年には980,000箇所、10年で実に20倍も増えています。

リュミエール兄弟が1890年代半ばに発表した世界初の映画と言われる映像『リヨンの工場の出口』にも多数の自転車通勤者が写っていますが、人々は休暇に自転車で遠くまでツーリングする楽しみにも目覚め、多くのツーリングクラブが発足したのもこの時期でした。

ショーソンがパリ郊外リメで自転車を走らせている時に転倒、石に頭をぶつけて急逝したのは、そうした時代の不幸でした。事件は目撃者がなく詳細不明ですが、急速に広まった自転車生活にまだフランスの道が追いついていなかったのかもしれません。

時代の急速な変化は、そこに生きる人々の心をしばしば置いてきぼりにします。スピリアールトの絵には孤独や恐れをテーマにしたものが多く(その点で同時代のムンクやハマースホイら北欧の画家たちに通じる作品も少なくありません)、海水浴やウィークエンドの楽しみが飛躍的に進んでゆく時代であればこそ、彼のような内向的象徴主義美術も発展したのだと思えてなりません。

スピリアールトの父は、オステンドで調香師をしていた人。“香り”の世界もまた19世紀後半、社交の必要性の拡大からやはり需要拡大が進んだのでしょうが、そういえばショーソンの「愛と海の詩」もまさしく、香りについての歌から始まります。人と人がふれあう場を演出するために手をかけて組み立てられる香りとはまったく違う、自然と季節の変転が生み出す香りと、そこから連想される人と人のふれあいについての。

Brise qui vas chanter dans les lilas en fleur

Pour en sortir toute embaumée,[…]

Faites-moi voir ma bien-aimée!

 

そよ風は、花ざかりのリラのあいだを抜けて歌い

その香をいっそう匂い立たせる[…]

どうか姿をみせておくれ、わが最愛のひと!

ショーソンとスピリアールトの同時代人ルネ・ラリックによる香水瓶。1917年(クリーヴランド美術館所蔵)
ショーソン:愛と海の詩、交響曲
今回のCD
ショーソン:愛と海の詩、交響曲

ヴェロニク・ジャンス(ソプラノ)アレクサンドル・ブロック指揮 フランス国立リル管弦楽団

ALPHA(フランス)2019年3月発売

ALPHA441(原盤)/NYCX-10048(日本語解説付仕様)

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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