読みもの
2023.03.03
ジャケット越しに聴こえる物語 第9話

文化都市パリ、3つの世紀の革新〜ベルリオーズとマン・レイがCDジャケットで出会う

配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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21世紀、CDの新時代を作ったレーベル

今回は「現代の新しい古典」と言えそうな、21世紀初頭の1枚を。

パリ管弦楽団が、当時音楽監督だったクリストフ・エッシェンバッハの指揮で録音したベルリオーズ《幻想交響曲》です。

2002年10月にこれがリリースされた当時は、CDというメディアの総売上もピークを過ぎ、NapsterやiTunesといったデジタル音源配信サービスの登場も世を騒がせ始めていて、レコード産業は大きな曲がり角にさしかかりつつありました。クラシック音楽シーンは比較的安泰だったものの、NaxosやBrilliant Classicsなどの良質廉価レーベルが存在感を強める一方、小回りの利く新興小資本レーベルが続々誕生、欧米のディスクレビュー誌でも20世紀以来のメジャーレーベル群を追い落とさんばかりの勢いを見せていました。

このアルバム、まさにそんな新世紀の息吹に追い風を得たNaïveというフランスのレーベルからリリースされています。

今やすっかり一般的になった紙製スリーヴ仕様ジャケット(いわゆるデジパック)をいち早く使い始め、従来のイメージにとらわれないセンスで、CDショップのクラシックコーナーでひときわ目を惹く美しいジャケットアートを連発してきたレーベル。フランスではファッション雑貨店や書店、美術館など他分野のショップにも置かれるようになり、クラシック音盤シーンを新しい世界へ牽引してゆくのでした。

Naïveを有名にしたシリーズの一つに、《四季》で有名なヴィヴァルディの現存譜をすべて録音してゆくという「ヴィヴァルディ・エディション」があります。そのジャケットは、一見まるで録音内容とは関係なくみえる女性の美しいポートレートで統一され、クラシックCDというよりファッション誌の表紙のような趣き。しかし演奏内容は一貫して最前線の古楽プレイヤーたちによる名演で、ライナーノートも音楽学的に充実した情報がたっぷり記されています。当初は戸惑いを禁じえなかったリスナーたちも、すぐにその魅力の虜となってゆきました。

そんなNaïveレーベルから登場したアルバムだけに、このジャケットも一見、なんとなく美しい女性の耽美なイメージによって、洒脱の国フランスのオーケストラの録音を彩ったように思った方も多かったはず……ですが、その一方で最初から「あ!」とお気づきになった方も、同じように決して少なくはなかったと思われます。

なにしろこの写真、近代芸術史上きわめて重要な写真家マン・レイの有名作の一つなのですから。

20世紀、新時代の芸術家たちのミューズ

両目を閉じて静かに顔を横たえているこの女性は、20世紀初頭に世界各地から芸術家たちが集まっていたパリのモンマルトルを拠点にしていたモデルのキキ。モディリアーニやキスリング、藤田嗣治といった外国人画家たちの作品をはじめ、エコール・ド・パリの名品群にも彼女が描かれているものが少なくありません。

マン・レイ(1890~1976)「黒い女と白い女」(初出はフランスの『ヴォーグ』誌1926年5月1日号)

ブルゴーニュ生まれの少女アリス・プランが、パリで厳しい暮らしを強いられていた母親との生活に悩み、モンパルナスで彫刻モデルの仕事を始めたのは、膠着状態が続く第一次大戦の最中、遠いロシアで帝政崩壊の革命が起こった頃のこと。モデルの仕事をめぐり母と諍い合った末、少女はベラルーシ出身の画家スーチンのもとに転がり込みます。やがて世界大戦が休戦協定にこぎつけ、西も東も大混乱のヨーロッパ各地からパリに流れてきた芸術家たちの中で、キキは大いに存在感を発揮しました。

母親の治療費確保のためもあり、1930年からはカフェ=コンセールの舞台でも人気を博し、ミヨーのヒット曲にあやかって名付けられたカフェ「屋根の上の牛」でも注目を浴びました。彼女を直接モデルにして制作せずとも、トリスタン・ツァラやルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアールなどのように、モダニズムの文人たちにもキキと無縁ではなかった人を数多くあげることができます。

カフェ「屋根の上の牛」で多く仕事をした芸術家たちの中に、マン・レイもいました。ミヨーをはじめとするフランス六人組の年長連中と同世代で、当時パリに来たばかりのチェコ人作曲家マルティヌーと同い年だったこの若きアメリカ人写真家もまた、キキとの親しい関係が続いたことで知られています。数年後キキの愛人となった出版経営者アンリ・ブロカによると、モンパルナスの芸術家たちが足繫く出入りしたカフェ=ブラスリー『ラ・ロトンド』に同席する二人の姿がよく見られたとのこと(とはいえレイは数年後、ブロカとキキが隣り合うポートレートも撮影しています)。

彼女を撮ったマン・レイの作品では、同じカフェの常連モディリアーニも好んだアフリカの儀式用仮面を使った上述の「黒い女と白い女」(1926)の他に、「アングルのヴァイオリン」(1924)もよく知られていますね。

マン・レイ「アングルのヴァイオリン」
1926年、レオナール・フジタ(藤田嗣治)と歩くキキ(中山岩太撮影)

19世紀、恋に敗れた青年が巻き起こした新時代

さて――この「アングルのヴァイオリン」という題の元になった人物、画家アングル(1780~1867)が生きて時折ヴァイオリンを奏でていたのと同じ頃のパリで、キキとマン・レイとは少し違う形ながら、舞台で喝采を浴びていた女性に刺激を受けて傑作をものにした芸術家がいました。その生涯のひとこまを作品化したという《幻想交響曲》、すなわち今回話題にしたアルバムの収録作を書いた作曲家ベルリオーズです。

1827年初秋のある日、青年作曲家コンクール「ローマ賞」の当落に気もそぞろな齢23の若き作曲家は、崇敬してやまないシェイクスピアの『ハムレット』をオデオン座で観劇中、出演していたハリエット・スミスソンという女優に強く惹かれます。何通もの手紙を出したものの思いは届かず、彼女がパリを離れてしまったことへの絶望から生まれたのが『幻想交響曲』でした。

1832年に描かれた若き日のベルリオーズ
『ハムレット』オフィーリアを演じるハリエット・スミスソン

作品が初演された1830年時点のパリでは、交響曲という分野は確実に「ドイツ語圏由来の文化」でした。その魅力が徐々に受け入れられていった背景には、ドイツ語圏から来た作曲家・指揮者たちの活躍があり、その中にはシュターミッツやハイドン、コジェルフ、プレイエル、ベートーヴェン、ライヒャなど、当時まだドイツ語話者の君主や政府首脳によって統治されていた中東欧諸国出身の音楽家も含まれていました。

付け加えるなら、ドーフィネ地方の片田舎からパリに出てきた作曲家自身も、パリではブルゴーニュ出身のキキとその母親のように「よそ者」として生活をスタートさせた一人だったのです。

キキとマン・レイが生きた20世紀のパリ、ベルリオーズとハリエット・スミスソンが活躍した19世紀のパリ、そしてNaïveレーベルが世を賑わせた21世紀のパリ……世界中の人々を惹きつける文化都市は、いつだってさまざまなかたちで諸領域の芸術が交錯しあっているのですね。

ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
今回のCD
ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14

クリストフ・エッシェンバッハ指揮 パリ管弦楽団

Naive(フランス)2002年10月発売

V4935 ※日本語解説なし輸入盤のみ日本流通

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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