《カヴァレリア・ルスティカーナ》間奏曲~悲劇の前にひときわ輝く美と平穏
クラシック音楽評論家の鈴木淳史さんが、誰でも一度は聴いたことがあるクラシック名曲を毎月1曲とりあげ、美しい旋律の裏にひそむ戦慄の歴史をひもときます。
大映ドラマのテンションの高さが好きだ。とりわけ1980年代に放送された『不良少女とよばれて』や『スクール☆ウォーズ』『少女に何が起ったか』など、強い個性をもった役者たちによる強烈なテンションが、荒唐無稽なストーリーを成立させてしまう力業がじつにまぶしかった。
『不良少女とよばれて』第1回には、若い男女がオーケストラの演奏会場から出てくる場面がある。その演奏曲目が画面にちらりと映る。なんとマーラーの交響曲第2番《復活》とストラヴィンスキーの《春の祭典》の豪華二本立て。
大編成の大曲を2本並べるという、現実的にはありえないプログラムだ。デリカシーもインテリジェンスもない、ただパワフルなだけの。演奏家も聴衆もぐったり疲れそうだが、ドラマのなかの人たちが「感激したわ」とか「クラシックもいいわね」みたいな牧歌的な会話を交わすのがひどくシュールだったりする。
とはいえ、大映ドラマのスピリットであるテンションの高さや荒唐無稽さが、誰も注目しないであろうこんな細部にまで行き渡っていて、つい感心させられてしまうのだ。
ドラマにおける不吉な前兆
この『不良少女とよばれて』は、80年代の不良カルチャーと日本の伝統芸能が交わり、主人公が物語の半分くらい女子少年院に収容されているという、頭がおかしくなりそうな設定のドラマだ。ストーリーのなかに、主人公と激しく敵対し、意地悪ばかりしてきた陰湿なライバルが出てくる。そんな彼女が、あるときに主人公の優しさに改心し、主人公の親友のような関係になる。突然やってくる、ほのぼのしたトーン。
こうした展開は、なにか良くないことが起きる予兆だな、と背筋がぞわぞわした。いわゆる「フラグが立つ」というやつだ。事実、次の放送回でそのライバルだった彼女は、主人公を助けるために、嗚呼、非業の死を遂げてしまうのである。
高校のラグビー部を舞台とした『スクール☆ウォーズ』でも、女子マネージャーの一人が、急にクローズアップされた回がある。これまで脇役だった彼女のエピソードに焦点があたり、細やかにその麗しい人柄が描き出される。ぞわぞわした。やはり、次の回で彼女も唐突な事故で死んでしまったのである。
ちなみに、『スクール☆ウォーズ』のオープニングには、不良少年がバイクで学校の廊下を突っ走るシーンがある。このロケ地となったのは、旧東京工業試験所。つまり、今の新国立劇場が建っている場所であるということは、オペラ・ファンならなんとなく知っておきたい。
オペラで「フラグが立つ」瞬間
さてさて、そのオペラの話にここから入るのだが、オペラ作品のなかにも、そんな「予兆」に満ちた部分がある(あるいは、そういうものを音楽によって張り巡らせているといってもいい)。
もっとも知られているのが、マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》の間奏曲だ。「田舎の騎士道」と訳されるオペラのなかで、のちに起こる悲劇を静かに、暗黙のうちに感じさせてくれる音楽だ。
オペラの舞台はシチリアの村。トゥリッドゥは、ローラという恋人がいたが、彼が兵役に就いているあいだに、馬車屋のアルフィオと結婚してしまっていた。トゥリッドゥは新しい恋人サントゥッツァと関係を深めるものの、
恋人の裏切りに気づいたサントゥッツァは、怒りのあまり、その事実をアルフィオに話してしまう。妻の裏切りに激昂したアルフィオは復讐を高らかに宣言。祭りの日の浮いた雰囲気を押しのけるような、登場人物たちの殺伐たるやり取りが続き、音楽もどこか緊張感をはらんでいる。
そこで登場するのが、この間奏曲だ。張り詰めた空気を和らげ、高まった感情をいったん冷却させ、そのあとの悲劇を静かに見すえる。突然やってくるほのぼのとしたトーンに、観客の心のなかで「フラグが立つ」瞬間だ。
マスカーニ:《カヴァレリア・ルスティカーナ》間奏曲
オペラのなかで、その平穏をたたえた音楽を耳にしていると、こいつらは問題を抱えた人間ばかりだけれども、本当はみんないい人たち、なんて言葉にするとその凡庸さに恥じらんでしまうことさえ思い浮かんでしまう(彼らが子どものときのあどけない笑顔の映像が舞台には投影される感じだろうか)。
そんな平和な時間も束の間。復活祭のミサが終わり、人々は居酒屋に集う。そこでトゥリッドゥはアルフィオに出会い、決闘を約束。アルフィオが出ていったあと、サントゥッツァを気遣う言葉を残してトゥリッドゥも決闘の場に向かう。悲鳴のともに、トゥリッドゥが非業の死を遂げたことが伝えられる。
美しい音楽は悲劇を欲する
《カヴァレリア・ルスティカーナ》は、ヴェリズモ・オペラの嚆矢とされる。神様や王様は出てこず、庶民ばかりが登場人物になり、そこで起きる暴力や殺人を含んだ生々しい事件をテーマに、強い感情表現を用いて描いたオペラだ。今でいえば、テレビのワイドショーが喜んで取り上げそうな事件を題材としたのだ(「不倫の末に、男を殺害!」みたいな)。
こうした切羽詰まった展開のなかで、この間奏曲はコントラストの面でも強い効果をもたらすのは確かだ。ただ、この曲は「人気曲」として、単独で取り上げられることも多い。とりわけ、ヒーリング・ミュージックとして、その手の癒しを目的としたアルバムにも必ずといっていいほどに取り上げられる。
だが、このオペラ全曲(といっても1時間程度の短い作品なのだが)に接したあとで、この間奏曲は、ただキレイなだけの音楽には聴こえなくなる。その柔らかな旋律の裏にさまざまな感情が隠されているように感じるからだ。そして、そのあまりにもの美しさに、心がぞわぞわ騒いでしまう。
危険な音楽である。まるでその美しさが、血が流れることを求めるかのように。
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