誰もが共感できる彼女の強さと弱さが静かに胸を打つ映画『Girl/ガール』
長編デビュー作にして、カンヌ国際映画祭に選出されカメラドールを受賞したルーカス・ドン監督。コンテンポラリー・ダンスの旗手シディ・ラルビ・シェルカウイが振り付けに参加したことでも話題の映画『Girl/ガール』。
ヨーロッパで絶賛され、ついに日本で公開される今作を舞踊・演劇ライターの高橋彩子さんが読み解きます。
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...
プロのダンサーを志す若者を描いた映画は、これまで数え切れないほど世に送り出されてきた。多くの場合、主人公は夢を目指して奮闘し、挫折を経験しつつも成功をつかみ取る。
しかし、91年生まれの映画監督ルーカス・ドンによる新作『Girl/ガール』は、そうしたバレエ映画とは一線を画す作品だ。
トランスジェンダーのバレリーナ、ララ
「ララ!」
『Girl/ガール』は、主人公の名前を呼ぶ子どもの声で始まる。呼んでいるのは、ララの弟ミロ。柔らかな朝日が差す部屋でミロがララを起こす場面は、微笑ましさと温かみに満ちている。だが、“ララ”は主人公の生まれながらの名ではない。かつてヴィクトールという男性名をもっていたララは、バレリーナになることを望むトランスジェンダーだ。
念願叶って名門バレエ学校で学ぶことを許され、父と弟と共に学校の近くに住み始めた彼女。待望のホルモン治療もスタートする。だが、ララには2つの壁が立ちはだかっていた。
まず、ポワント(トウシューズを履いて、つま先で立って踊ること)。男性だったララには、その経験がない。15歳になってからポワントの訓練をすることはかなり過酷である。
もう一つは、年齢上可能なホルモン治療は限られており、性別適合手術に至っては18歳になるまで受けられないという現実。レオタードを着て女子更衣室を使いながらも、股間にテーピングをし、シャワーも浴びられない日々が続く。その状態でカウンセラーから「君はもう女性だよ」と言われ恋愛を勧められても、すんなり受け入れるのは無理というものだろう。積もり積もったストレスから、ついにララの心身は限界を迎えてしまう……。
監督が18歳で出会った、実在のダンサーから生まれた物語
ドン監督は18歳だった09年、実在するトランスジェンダーのダンサー、ノラ・モンスクールについて報じた新聞記事と出会ったという。10年にモンスクールとコンタクトを取ることに成功して以来、交流を重ね、彼女の全面協力の下、初の長編映画として18年に発表したのが、この『Girl/ガール』なのだ。
ララ役に抜擢されたのが、シスジェンダー(性自認と身体的性が一致している)男性ヴィクトール・ポルスター(ララの前名と同じファーストネームなのは偶然だろうか?)であることが批判の対象にもなったが、ララの感情や立場を繊細に映し出すポルスターの表情と佇まいは素晴らしい。ロイヤル・バレエ・スクール・アントワープに通うダンサーの卵だけに、バレエシーンも本格的だ。
振り付けは森山未來との『テ ヅカ TeZukA』『プルートゥ PLUTO』の演出・振り付けでも知られるシディ・ラルビ・シェルカウイが手がけている。ほとんどはクラスレッスン風景だが、ごくわずかに映る作品では、どこか呪術めいた手の使い方などにシェルカウイの個性が垣間見える。
静かに描かれる、ララの弱さと強さ
この映画の特徴は、難しい状況に身を置くララを、過剰な説明や感情移入なしに、ある意味では淡々と見つめていること。私たちは彼女の家庭環境や過去について何も知らされないし、心象風景が画面いっぱいに広がるようなこともない。むしろカメラは、女性になりきれないララを興味深げに追っているようにすら見える。その戸惑いの表情を、女性らしくなれない身体を。それはまるで、彼女を取り巻き、追い詰めもする周囲の視線のようだ。
偏見との闘いや、バレエを巡る嫉妬・羨望・争いといった単純なストーリーラインも敷かれない。
惜しみなくサポートしてくれる父親を筆頭に、バレエ学校も同級生たちも、ララの状況に対して基本的には協力の姿勢を見せる。ララが特別レッスンを受けたり稽古場で抜擢されたりすることで仲間内にさざなみが立ち、ある事件へと繋がりはするものの、そこから映画全体が一挙にクライマックスへと突き進むわけではない。
わかりやすい物語に収斂されないララの現状を、今いる地点を、私たちはただ見守るのみ。だからこそ、映画の中で彼女が見せる弱さと強さが胸を打つ。
それと同時に、自分の気持ちを表すことはおろか自分自身でもつかめずにいる青春期、暗いトンネルの中で明るい未来が来ることなど信じられずにいる日々、自己像と実像のギャップにもがく苦しさなどを知る人は皆、ある種の共感を抱かずにはいられないだろう。
ラスト、“オンブラ・マイ・フ”が流れる中、歩き続けるララに何を見、思うのか。観客一人ひとり違うであろうその感覚を味わいに、映画館へ足を運びたい。
7月5日(金)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
© Menuet 2018
配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES
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