
リヒャルト・シュトラウスが描いた、虚像と実像がせめぎ合う《英雄の生涯》の音世界

20世紀初頭の音楽史に足跡を残したリヒャルト・シュトラウスの代表作、交響詩《英雄の生涯》。この壮大な音楽の各場面の聴きどころや作曲の背景をご紹介します。

青山学院大学教授。日本リヒャルト・シュトラウス協会常務理事・事務局長。iPhone、iPad、MacBookについては、新機種が出るたびに買い換えないと手の震えが止ま...
美化なき自己描写——客体化された自我
リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)が作り続けた音楽の理解には、「自画像」というキーワードが欠かせない。ベートーヴェン以降の作曲家は自我を作品の中に投影させ、とりわけオペラの作曲家はその主人公にみずからを擬した。とはいえ、シュトラウス自身は、自我を投影させた音楽中の人物とみずからを「重ね合わせる」ことはなかった。この作曲家が自画像的な作品を手がける際に常としていたのは、自己を客体化して見つめ、ときには突き放し、醜いところもそのまま描き出すことであり、自己の美化ではなかった。
この自画像癖を「悪趣味」と貶す評論は初演当時から存在し、いまなお否定的に評価されることもあるが、シュトラウスは基本的にナルシシズムとは無縁な芸術家であった。シュトラウスがなぜこのような視点を持ち得たかについてはさまざまな理由が考え得るが、ここではショーペンハウアーやニーチェに親しみ、その思想を我がものとし、無神論者として生涯を送ったこと、ゲーテをはじめとする文学作品の数々に深く親しんだこと、そして現実主義的な性格などをその要因として挙げておこう。


《英雄の生涯》が音楽家としてのみずからの来し方行く末、《家庭交響曲》が妻と息子に囲まれたみずからの家庭生活をもとに構想されたことは大変有名だが、その枠組みの中に《ドン・キホーテ》(1898年初演)が含められることはあまりない。しかし、シュトラウス自身が《ドン・キホーテ》と《英雄の生涯》は一対の作品であり、前者を聴かないと後者を完全に理解することはできない、と発言していることは見逃せない。
リヒャルト・シュトラウス《ドン・キホーテ》
「英雄の生涯」というタイトルが決まるまで
快活な騎士アロンゾ・キハーナは、騎士道物語を読み過ぎて精神の平衡を失い、みずから騎士「ドン・キホーテ」と名乗って冒険の旅に出る。このドン・キホーテが陥った精神の闇、さらには、さまざまな冒険の経験を糧に成長することはなく、同じような失敗を繰り返す主人公の姿は、変奏曲という形に仮託して表現され、作曲家の最大の共感を持って描かれた。
そもそも、《英雄の生涯》という題名が決まるまでには、さまざまな紆余曲折があった。はじめは《英雄と世界 Helden und Welt》という題名が想定されていたことが、その日記(1897年4月16日)からわかる。コジマ・ワーグナーから1891年に贈られた、哲学者ハインリヒ・フォン・シュタインの同名の書に影響を受けたのだろう。《英雄交響曲》という呼び方もしていたようである。シュトラウスが交響曲の作曲にとりかかっている、という噂は、1898年8月の「一般音楽新聞」に「英雄的な性格を有した4楽章の交響曲」と紹介されたことで広まった。
作曲家の周囲は、もしかするとシュトラウスが交響的な交響詩ではなく、本当の交響曲を書くのではないか、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーのような交響曲を作るようになるのではないか、と思っていた節がうかがえる。「いまやベートーヴェンの《エロイカ交響曲》は人気がなく、滅多に演奏されなくなったので、それに代わる曲を書いている。《英雄の生涯》という題名で、葬送行進曲こそないが、変ホ長調で、多くのホルンを用いる」という当人の(交響詩とも交響曲とも断定しない曖昧な)発言は、このような世論を受けてなされたものでもあった。
みずからを英雄に擬し、誰と戦うのか。第一義的には、新しい時代の音楽に対して批判を繰り返す評論家であり、1890年代後半には前衛的な音楽を書き続けるシュトラウスに対するその舌鋒はさらに鋭さを増していた。たとえば、前作《ドン・キホーテ》に対し、シュトラウスは絶対音楽の規範に対する全般的な「攻撃」をはじめた、と捉えられ、「音楽ならざるもの」「音楽の終わり」といった批判が登場するようになる(これらは羊の鳴き声を擬音的に曲の一部として採り入れたことに対するショック反応でもあっただろう)。
もっとも、シュトラウスにとっても、交響詩でこそ次々と成功を収めてはいるものの、1894年にヴァイマールで初演された初めての楽劇《グントラム》は失敗に終わり、その後再演されることは(現在に至るまで)ほとんどない。
リヒャルト・シュトラウス《グントラム》
ミュンヘン宮廷歌劇場での指揮活動も、「カペルマイスター」としての称号を94年に受け、96年にはヘルマン・レーヴィの後任として「宮廷カペルマイスター」となるものの、故郷での活動も盤石な体制と言うにはなお遠く、98年には、はるかに良い待遇を示したベルリン宮廷歌劇場へと移ることになる。作曲活動・指揮活動、双方に多少の行き詰まりを抱えていたシュトラウスが、いささか厭世的な気分にとらわれていたことは事実であろう。
この作品には、総譜には記載はないものの、次のような標題が付けられて解釈されることが多く、作品そのものもソナタ形式の枠内で説明されることが多い。図式化すると以下のようになる。
第1部 Der Held 英雄
| 冒頭 | 変ホ長調 | 提示部・第1主題 |
第2部 Helden Widersacher 英雄の敵
| 13-9 | ト短調 | 経過句 |
第3部 Des Helden Gefährtin 英雄の伴侶
| 22-2 | イ長調+変ホ長調、変ト長調 | 提示部・第2主題 |
第4部 Des Helden Walstatt 英雄の戦場
| 42-1 | ハ短調、変ホ長調 | 展開部 |
第5部 Des Helden Friedenswerke 英雄の業績
| 80-1 | ト長調 | 再現部 |
第6部 Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft 英雄の隠遁と完成
| 101-7 | 変ホ長調 | 終結部 |
(数字は「練習番号 – 小節番号」。練習番号は初版のロイカルト社出版のものを使用)
前作《ドン・キホーテ》で主人公に仮託したみずからの姿は、この《英雄の生涯》において、ベートーヴェン以来「英雄」を描く際に用いられる変ホ長調の勇壮なテーマで始まる「あるひとりの英雄」へと形を変える。途切れることなく演奏される6つの部分から成る本作においては、「第1部:英雄」「第2部:英雄の敵」「第3部:英雄の伴侶」が、それぞれソナタ形式における第1主題、スケルツォ的な移行部、第2主題を提示する箇所と位置づけられるだろう。
英雄とその敵が戦う様子を描いた第4部:戦場での英雄が展開部、第5部:英雄の業績、第6部:英雄の引退と完成が、それぞれ再現部、終結部(コーダ)を成す、と解釈することは可能ではある。単一楽章の曲でありながら、いくつかの楽章によって構成される交響曲とも解釈しうる構成は、リストが提唱した交響詩の理想にも沿うものであった。それまでの作品と比べても演奏時間はあきらかに長く、異なる構成原理によって本作が作られたことをうかがわせる。
《英雄の生涯》で追求したのは「わかりやすさ」
この作品が、《ドン・キホーテ》と比べると、より多くの聴き手に好評をもって受け入れられたのは、シュトラウスがそれまでの作品とは次元の違う形で、古典派的な作品と直結する「わかりやすさ」を追求したからでもある。先述の通り、「英雄」という言葉からは、ベートーヴェンの《交響曲第3番》が連想され、調も同じ変ホ長調。ホルン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスによって演奏される、勇壮な、そして2オクターブを優に超える跳躍を含む第1主題の後に続くのは、優美で繊細なヴァイオリン独奏が活躍する第2主題。しかもその経過句には敵役たる敵の様子が木管楽器で描かれる(これとて、ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕前奏曲などで特徴的な、敵役ベックメッサーを描くときの木管楽器の用法を下敷きにしたもの)。
ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕より「前奏曲」
木管楽器による狂騒的なモティーフの陰に隠れ、テューバ2本による、あくびを模したような音型がやや異彩を放つ(このモティーフは後にも登場)。ソナタ形式がもつ、「男性的なる」第1主題と「女性的なる」第2主題が対立し、そして止揚を迎える、という従来のイメージに、少なくとも前半は完璧に合致している。
調の選択にも、シュトラウスらしさがすでに顔を覗かせている。英雄を表す第1主題は、ベートーヴェンのイメージ通りの変ホ長調、これに対して、ヴァイオリン独奏によって主導される英雄の伴侶、第2主題はおもにイ長調で演奏される。この音程関係は、後年シュトラウスがやはり自伝的作品《家庭交響曲》で夫と妻の調性を、それぞれヘ長調、ロ長調に設定したことと対応する。両者の関係はどちらも増4度。
リヒャルト・シュトラウス《家庭交響曲》
相容れない男と女の関係を描くために、シュトラウスはもっとも遠い調性に両者を配し、それを巧みな音楽的技術によって結びつけている。このことをとっても、英雄=シュトラウス、伴侶=妻のパウリーネ、という図式がはっきりと浮かび上がる。第3部の終わりが変ト長調で落ち着くのも(練習番号35)、変ホ長調とイ長調の間にある調、つまり両者が歩み寄れる場所としての(一時的な)音楽であるとも考えられる(同様の手法は《家庭交響曲》においても、夫と妻の間に息子をニ短/長調で配する手法に受け継がれた)。低い変ト音を第2ヴァイオリンに演奏させるため、最も低い音のG線を半音下げる指示が見られることでも有名な箇所である。
第4部の「英雄の戦場」は、英雄の調たる変ホ長調の平行調、ハ短調であり、英雄の主題もこの調で繰り返される。木管楽器と弦のピッツィカートが「敵」を描写し、英雄のモティーフと複雑に、不協和に絡み合う。妻が英雄を励ましているとおぼしき主題(練習番号53 など)はニ長調。英雄たる夫(変ホ長調)になるべく近いところで寄り添おうとしているのか。ついに「敵」に勝利した英雄の凱旋のテーマ(練習番号77)が、実質的な再現部の開始箇所ということになるだろう。
第5部となる「英雄の業績」がト長調で始まるのは、主要な主題として引用されている《ドン・ファン》の第2の女性との情事を示す、ゆったりとしたオーボエの主題を活かすためであろう。この場面に、ドン・ファンから作曲時に至る主要作品の引用が数多く登場することが、「英雄=シュトラウス」であることの直接の論拠となっている。これだけ多くのモティーフを、ほとんどをオリジナルの原調のままで引用し、なおかつ本作の主題と有機的に絡めることができているのだから、総譜を見れば見るほど唖然とするほかはない。
この作品は、この引用部分から少しずつ、ソナタ形式らしさを失っていく。それはすでに、《ツァラトゥストラはかく語りき》において、自然と人間を示す2つの主題を、その主題を溶け合わせることなく、並置したまま終わらせることで、従来型の「止揚」を放棄したこととも通底する。
リヒャルト・シュトラウス《ツァラトゥストラはかく語りき》
メンゲルベルクとコンセルトヘボウ管への献呈
これだけ戦い、業績を重ねた英雄が、結局は諦めの境地へと追い込まれるきっかけは、テノール・テューバとバス・テューバによる、あくびを模したようなモティーフが第5部の冒頭(84-8)、そして第6部の冒頭(93-8)でも演奏されることで端的に示される。弦楽器がユニゾンで荒れ狂いながら英雄の葛藤を表現しつつ、ついに音楽は英雄本来の変ホ長調へと穏やかに着地する(101-7)。かつての戦いの想い出が蘇ることもありながら(103-2)、ヴァイオリン独奏によって伴侶が英雄を優しく慰める(106-1)。はじめは伴侶固有のイ長調によって演奏されるものの、やがて身をよじらせるようにして、英雄の変ホ長調に着地する。最後の最後で夫唱婦随、というところか。初稿ではホルン独奏とヴァイオリン独奏が絡み合うようにして終わっていたが、この終結部が同年12月23日から27日の間のどこかの時点で、管楽器によるファンファーレのような現在の形の終結部を作曲したと考えられている。
本作は、当時において最高の演奏レベルを保ち、《ツァラトゥストラはこう語った》の卓越した演奏で同作の理解を世に広めたウィレム・メンゲルベルク、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に捧げられている。1899年3月3日、フランクフルト博物館協会の第11回演奏会の演目はすべて自作で占められ、《ドン・キホーテ》、オーケストラ用に編曲された3つの歌曲《わが子に》《解き放たれて》《胸打つ鼓動》(独唱:パウリーネ・シュトラウス)、そして《英雄の生涯》の初演と続いた(初演の会場には英雄と敵と伴侶、全員が揃ったことになる)。
先述の経緯を踏まえれば、《ドン・キホーテ》との同時演奏にシュトラウスがこだわった理由も納得されよう。この作品に対する聴衆の反応は大きく分かれた。輝くようなオーケストラの表現力を誉め讃える一方で、評論家が自らのことを風刺されていると感じる「英雄の敵」の部分を気に入らないのは当然と言えば当然だろう。とはいえ、おそらくシュトラウスの交響詩作品の中で、《ティル・オイレンシュピーゲル》と並んでもっとも成功した部類に入るこの作品は、初演直後から何度も再演されることになる。
本作を、《ドン・キホーテ》で描いた内容をさらに敷衍し、作曲家みずからの来し方行く末に重ね合わせた作品、と捉えるならば、妻と手を携えて評論家と戦い、これまでに作曲した自作を回想し、物思いにふける、という従来の標題的な聴き方にこだわっても、見えてくることは少ない。そもそも、この作品の構想時期は、ミュンヘン歌劇場で指揮者として一旗揚げようと考えるも、当時の劇場総支配人だった男爵カール・フォン・ペルファル(強力なアンチ・ワーグナー派だった)によって、それ以上の活躍を阻まれてしまった頃と軌を一にしている。自分の足を引っ張ろうとする評論家もさることながら、若い音楽家という立場では決して超えることのできない大きな壁のような存在、組織の上司が目の前に立ちはだかっている。どれだけ華々しい活躍を重ねようとも、その壁を決して乗り越えることはできない自身もまた単なる道化、ドン・キホーテではないのか。その終結部では、夫婦(夫=ホルン、妻=ヴァイオリン)で互いを慰め合う幕切れは、諦めの境地すら漂う、後味の悪いものではある。
初稿の終結部ではホルン独奏(英雄)とヴァイオリン独奏(英雄の伴侶)が互いを慰め合うように終わっていたが、後に管楽器のファンファーレへと改訂された。かなり形の崩れたソナタ形式など、そして(派手に改訂されたとはいえ)落ち着いた雰囲気で終わっていく終結部など、ベートーヴェン的な意味における「交響曲」の理念からは遠い部分もある。とはいえ、それ以降のふたつのオーケストラ作品、《家庭交響曲》と《アルプス交響曲》には堂々と「交響曲」と名付けるに至ったシュトラウスの心理的変化のきっかけが、この《英雄の生涯》にあったことは疑いない。
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