読みもの
2023.01.07
毎月第1土曜日 定期更新「林田直樹の今月のCDベスト3選」

務川慧悟のラヴェル/パーヴォ&ドイツカンマーのハイドン/香港フィルの歴史的録音

林田直樹さんが、今月ぜひCDで聴きたい3枚をナビゲート。CDを入り口として、豊饒な音楽の世界を道案内します。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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DISC 1

大きな包容力で人間ラヴェルを明らかに

「ラヴェル:ピアノ作品全集」

務川慧悟(ピアノ)

収録曲
ラヴェル:古風なメヌエット、 亡き王女のためのパヴァーヌ、 水の戯れ、 ソナチネ、 鏡、夜のガスパール、ハイドンの名によるメヌエット、高雅で感傷的なワルツ、 ボロディン風に、シャブリエ風に、前奏曲、クープランの墓
[Nova rerord NR-02203]

世界3大コンクールの一つであり難関とされるエリーザベト王妃国際コンクールで第3位(2021年)、ロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで第2位(2019年)など、若手の中でも最も実力派として注目される務川慧悟が、かねてから思い入れの強かったラヴェルのピアノ作品全集を一挙にレコーディングした。

その結果は素晴らしい。務川は、自身が解説にも書いているように、ラヴェルの磨き上げられた宝石のような音楽における「完璧性の仮面」の裏に密かに存在している「人間的な感情の数々」を、つまり二面性をこの演奏で明らかにしようとしている。

この演奏は、いかにも怜悧なよそよそしいラヴェルにはなっていない。《鏡》や《夜のガスパール》に表れているように、務川は懐の深い、スケール豊かな音楽を実現している。これまでもそうだったが、彼の中には大きな包容力と愛が脈打っているように感じられる。ピアノの質感とまろやかな音色を伝える録音の良さも特筆される。

DISC 2

ベートーヴェンにも通ずる“意志の音楽”としての新しいハイドン像

「ハイドン:交響曲第101番《時計》&第103番《太鼓連打》」

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

収録曲
ハイドン:交響曲第101番《時計》 &第103番《太鼓連打》
[ソニーミュージック SICC-10403]

古楽オーケストラのしなやかさと、モダン・オーケストラの豊かさを兼ね備えたドイツ・カンマーフィルは、楽団員全員が経営にも責任を持つ徹底した自主運営のベンチャー企業として成功を収めていることでも知られる。一つのプロジェクトに深く取り組むため、ワークショップや研究会を通して一人の作曲家を深く学ぼうとする探求心旺盛なオーケストラでもある。

そんな彼らが、2004年以来芸術監督をつとめるパーヴォ・ヤルヴィとともに、ハイドン円熟期の「ロンドン交響曲集」(第93番~第104番)の録音プロジェクトをスタートさせている。その第一弾がいよいよリリースされた。

長年にわたり良好な関係を続けているパーヴォとの相性は抜群で、ドイツ・カンマーフィルは今回も期待以上の見事な演奏を聴かせてくれる。きびきびとしたスピード感、単刀直入な率直さ、断固たる力強さ、これらの特徴はベートーヴェンにも通じるような意志の音楽として、新たなハイドン像を提示してくれる。

国内盤ライナーノートも充実している。ハイドンにおけるユーモアを語るパーヴォのインタビューはもちろんのこと、作曲家・ライター・プロデューサーのジェラルド・マクバーニーによる楽曲解説は、1791年にハイドンがドーヴァー海峡を渡ってイギリスに向かう描写に始まる力のこもった読み物となっている。

DISC 3

香港の民主化運動弾圧のさなかに行なわれた歴史的ライブ録音

「マーラーとショスタコーヴィチ、2つの交響曲第10番」

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮 香港フィルハーモニー管弦楽団

収録曲
マーラー:交響曲第10番(W. メンゲルベルク&C. ドッパーによる演奏会用版、世界発録音)、ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
[ナクソス・ジャパン NYCX-10360]

マーラーが1911年に亡くなったときに未完のまま残された「交響曲第10番」は、もし完成されていたら、あの「第9番」以上の大傑作になっていたのではないかと思わせるほど、多くのマーラー・ファンを惹き付けてやまない。それほどまでに、デリック・クックによる全5楽章の補筆完成版は魅力的であった。

しかし、今回世界初録音されたメンゲルベルク&ドッパー版による演奏は、まったく新しい視点をこの交響曲にもたらしてくれる。ほぼ完成されていた第1楽章と第3楽章にオランダの大指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)がおこなった校訂は、大胆な「足し算」の発想によるもので、ごてごてと加えられた打楽器と濃厚な表情付けは、聴いていて実に面白い。もしマーラーがもっと長生きしてこの曲に手を加えたなら、そういうやり方もありえたのではないかという不思議な説得力さえ感じさせる。

ショスタコーヴィチの「第10番」は、楽曲の深みをじっくりと噛みしめるような演奏。留意しておきたいのは、このディスクが香港の民主化運動への中国政府当局の弾圧の真っただ中でおこなわれた「“9番”の呪縛を越えて」と題するコンサート(2019年12月13、14日)のライブ録音だという点である。

近年中国ではショスタコーヴィチへの注目が高まっているという。この「第10番」がソ連共産党の最高指導者スターリンの死のすぐ後に発表された交響曲であり、作曲家がどれほどこの独裁者に苦しめられたかという歴史的背景を、香港の演奏家たちもおそらく知っていたことだろう。そう考えてみると、この録音の意義は一層深いものに思えてくる。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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