読みもの
2024.01.17
鈴木淳史の「なぜかクラシックを聴いている」#5 

声を大きく張り上げないからこそ、伝わってくるもの~小さなピアノの世界を聴く

音楽評論家の鈴木淳史さんが、クラシック音楽との気ままなつきあいかたをご提案。膨大な音源の中から何を聴いたら分からない、という方へ。まずは五感をひらいて、音のうつろいにゆったりと身を委ねてみませんか?

鈴木淳史
鈴木淳史

1970年山形県寒河江市生まれ。もともと体育と音楽が大嫌いなガキだったが、11歳のとき初めて買ったレコード(YMOの「テクノデリック」)に妙なハマり方をして以来、音楽...

James McNeill Whistler:At the Piano

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日本産ミニピアノから立ち上がる繊細なニュアンス

派手な身振り手振りを交えた大声での主張よりも、声をひそめて静かに伝えられたもののほうに、真実味を感じたり、記憶に残りやすいということがある。欧米なら、そりゃないわ、声はでっかく、はっきりと、表情も豊かに主張したほうがずっとわかりやすいじゃん、と言う人が多いだろうけれど。抑えた表現にモノを言わせるのは、日本的な文化の一つなのかもしれない。

20世紀前半、ミニサイズのピアノが日本で生産されていた。金属棒をぶっ叩く系のトイピアノとは違い、本格的な打弦式アクションを備えている。鍵盤数を抑え、サイズだけ小さくしたピアノだ。ヨーロッパでも、持ち運びがしやすいなどの理由で、こうした楽器が作られていたが、それが日本の住宅事情とも相まって、独自に発展を遂げたのだろう。

河合楽器がミニピアノ、日本楽器(ヤマハ)がピアネッテという商標で生産していたが、定まった総称がない。いっそのこと、ガラパゴス・ピアノ(略称ガラピ)などと呼ぶのもいいのかもしれない。

この小さなピアノを使って、古楽鍵盤奏者のホープ、川口成彦新しいアルバムを録音した。使用楽器は4台。大正時代(1923年)のピアネット、昭和初期(1930年)のミニピアノ、終戦後(1948年)のミニピアノ、平成期(1995年)に復刻されたマスコットピアノだ。それぞれ個性も強い。大正のピアネットはクラヴィコードっぽい響きのなかに大正琴のニュアンスも忍ばせ、昭和初期のミニピアノは、かつてのベーゼンドルファーを思わせる柔らかさがあるように。

川口成彦がミニピアノで弾くハチャトゥリアン《小さな歌》

古典派以前の音楽には、古楽器のタンジェントピアノのテイストを感じさせ、近代作品はノスタルジックな情調をまとわせる。いずれも、モダン・ピアノの化け物じみた表現力の前には散り散りになりそうな繊細なニュアンスがふっと立ち上がるのが新鮮だった。声を大きく張り上げることがないからこそ、伝わってくるものがある、というわけだ。

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オルタナティヴな楽器としてのトイピアノ

そして、先ほど名前を出したトイピアノ。こちらは表現力をざっくり削ったような音がする。文字通り玩具として作られ、広く家庭に普及している(わたしも幼い頃に所有していた)。ピアノというよりも鍵盤による鉄琴。あからさまに金属的で強弱の幅もない。いかにもチープそのもの。だからこそ、チープな素材こそがもたらす豊饒さというべきか、サティと禅の精神を受け継いだジョン・ケージ《トイピアノのための組曲》を作曲したのは必然だったといえよう。

ジョン・ケージ《トイピアノのための組曲》

ケージの組曲が書かれた前は、単なるおもちゃであって、楽器とは見なされてなかった。そして、今から半世紀ほど前、世界初となるだろうトイピアノ・アルバムがリリースされた。マーガレット・レン・タンが弾いた『トイピアノの芸術』だ。店頭で大喜びして、秒速で購入した記憶がある。後年リリースされていく同種のアルバムに比べると、いささか生ぬるい感もあるものの、このレン・タン、そしてフィリス・チェンといった演奏家(2人ともアジアにルーツをもつ)を中心に委嘱が行なわれ、トイピアノは現代の作曲家にとってオルタナティヴな楽器としてそのレパートリーを拡大させていく。

マーガレット・レン・タン『トイピアノの芸術』

トイピアノのために作られた音楽は、俳句のように切り詰められている。作り手のシャープな感覚と素朴な感性がそのまま出てしまうようなところが面白い。そして、その無機質な響きのなかにノスタルジーも宿る。

ネイサン・デイヴィス《メカニクス・オブ・エスケープメント》は、そのチープな響きに焦点をあてた音楽だ。前半は、ゆっくりとリズムを形成するように始まり、テンポが速くなると玄関ベルを思わせる動機がしきりに繰り返される。居留守を使っているときに、「本当はいるんだろ! 出てこいよ」と言われているような気もしてくる。後半のチャイムとのデュオでは、シンプルな音をもつ2つの楽器が呼応、ときに混ざり合って、幻想的な音空間を作り出す。

ネイサン・デイヴィス《メカニクス・オブ・エスケープメント》

あるいは、おもちゃのサンバ・ホイッスルを吹きながら、あるいはリズムボックスをバックに、といった、いかにもチープさを強調することで、不思議と湧き上がってくる感興。

アントニオ・ジャコメッティ《チョリーニョ・サンバド・パラ・オ・シュローダー》

ジュリア・ウルフ《イースト・ブロードウェイ》

トイピアノで《ゴルトベルク変奏曲》を弾いてしまった演奏家

なかには、この楽器で、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を弾いてしまった演奏家もいる。もちろん、1台では音も音域も足りないので、何台ものトイピアノを並べて。一人ガムランによるバッハのよう。

塚谷水無子のトイピアノによる《ゴルトベルク変奏曲》演奏風景

小さなピアノがもたらす大いなるイマジネーション。抑えまくった表現が雄弁にモノを語り始める。とはいえ、こういうのばかり立て続けに聴いたあとに、ポゴレリチの演奏会なんかに行ってしまうと、ドカーンと耳に飛び込んでくるキョーレツな響きと表現力にひっくり返りそうになるのだけれども。

鈴木淳史
鈴木淳史

1970年山形県寒河江市生まれ。もともと体育と音楽が大嫌いなガキだったが、11歳のとき初めて買ったレコード(YMOの「テクノデリック」)に妙なハマり方をして以来、音楽...

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