飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.14

シャーロック・ホームズの音楽帳 その2〈オペラ&コンサート篇〉

読みもの
2019.06.03

人気音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。連載第14回は、シャーロック・ホームズ第2弾! 劇中でよくヴァイオリンを弾いているホームズですが、忙しい推理の合間を縫って、度々コンサートにも足を運んでいます。実在の音楽家の名前も登場! ホームズが活躍していた1800年代末期のロンドンでは、どんな演目が流行っていたのでしょうか?
第1回〈ヴァイオリン篇〉とあわせてお楽しみください。

この記事をシェアする
メインビジュアル:1891年の『ストランド・マガジン』に掲載された『唇のねじれた男』の挿絵
ナビゲーター
飯尾洋一 音楽ライター・編集者
飯尾洋一
ナビゲーター
飯尾洋一 音楽ライター・編集者
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

19世紀の大ヒットオペラ『ユグノー教徒』を観にいくホームズ

前回は、シャーロック・ホームズが名器ストラディヴァリウスを操る即興演奏好きのヴァイオリニストであることをご紹介した。

ホームズはヴァイオリンを弾くのみならず、小説中でなんどかオペラやコンサートにも足を運んでいる。彼は熱狂的な音楽愛好家なのだ。長篇『バスカヴィル家の犬』にはこんな場面が出てくる。

さあ、ワトスン、ここ数週間、きつい仕事をしてきたんだから、ひと晩くらいは楽しいほうへ気分転換をしてもいいんじゃないかい。『ユグノー教徒』のボックス席をとってあるんだ。ド・レシュケの歌は聴いたことがあるかい? よければ、三十分ほどでしたくをしてくれるとありがたいな。途中でマルチーニの店に寄って、軽い食事をしていこう

(「バスカヴィル家の犬」 アーサー・コナン・ドイル著、日暮雅通著/光文社文庫)

 

そう、19世紀屈指の大ヒット・オペラ、マイアベーアの「ユグノー教徒」だ。あいにく現代の日本ではマイアベーアも「ユグノー教徒」もさっぱり人気がないが、このオペラは同時代でもっとも成功を収めたオペラとされている。

1836年2月29日に初演された『ユグノー教徒』のピアノ・ヴォーカル譜の表紙。

ここでホームズが言及するド・レシュケはポーランド出身の実在のオペラ歌手。ド・レシュケは兄弟でオペラ歌手を務めており、「ユグノー教徒」では兄でテノールのジャン・ド・レシュケがラウル役、弟でバスのエドワール・ド・レシュケがマルセル役を歌ったという記録がある。彼らが実際にロンドンにやってきた際に、作者のコナン・ドイルが聴いたとしても不思議はない。ちなみに、英国を代表するオペラ劇場、ロイヤル・オペラ・ハウスが1858年に再建された際のオープニングの演目が「ユグノー教徒」であった。

それにしても、オペラ劇場へ行くにもホームズはワトスンを誘うしかないわけで、このふたりは実に仲がよい。ワトスンが結婚してベーカー街の下宿を出たあとは、ホームズはずいぶん寂しい思いをしたことだろう。

ジャコモ・マイアベーア(1791-1864)
ジャン・ド・レシュケ(1850-1925)

ヴァランティーヌ、ラウル、マルセルの大三重唱

稀代のヴァイオリニスト、サラサーテのライブ演奏を聴いているホームズ

ホームズは自身がヴァイオリン弾きだけあって、ヴァイオリニストの演奏会にも出かけている。多忙の合間を縫って、あのサラサーテの演奏会を聴いているのだ。

今日の午後、セント・ジェイムズ・ホールで、サラサーテが演奏するよ。どうだい、ワトスン、診察の合間に二、三時間都合がつくかい?(中略)プログラムではドイツの曲が多いようだった。ぼくはイタリアやフランスの曲よりドイツの曲のほうが好みなんだ。ドイツの曲は内省的だ。そしてぼくはいま、内省したい。さあ、いこう!

(「シャーロック・ホームズの冒険 新訳版」収録「赤毛連盟」より 石田文子訳/角川文庫)

 

ここでもホームズはワトスンを誘っている。サラサーテ本人の演奏を聴いたとは、なんともうらやましいかぎり。そして、ロジックと信念の人であるホームズが、イタリア音楽やフランス音楽よりドイツ音楽を好むというのは、実に納得のゆく話ではないだろうか。

また、「緋色の研究」では、これも実在の奏者であるノーマン・ネルーダを聴きに行く場面がある。

さあて、早いとこ昼食をすませて、ノーマン・ネルーダを聴きにいくとしよう。アタックといい、ボウイングといい、彼女はじつにすばらしい。特に抜きんでている、あのショパンの小品は何といったかな? トゥラ・ラ・ラ、リラ・リラ・レイ……

(「緋色の研究」日暮雅通訳/光文社文庫)

 

この「ショパンの小品」は聞き捨てならないところ。ショパンはヴァイオリン曲をまったく書いていない。作者コナン・ドイルの誤りなのか。いや、ここまでホームズが音楽好きなら、作者もある程度以上の愛好家であると考えるのが自然だろう。
思うに、これはヴァイオリン用に編曲された小品なのではないか。たとえば、サラサーテ編曲のノクターン第2番変ホ長調は、現代でもときどき演奏される。サラサーテ、イザイ、ウィルヘルミといった往年の大ヴァイオリニストたちがショパンの作品をヴァイオリン用に編曲しているので、それらのいずれかにちがいない。ヒントは「トゥラ・ラ・ラ、リラ・リラ・レイ」……。

ツイートする
シェアする

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ