第2回《ばらの騎士》〜シンプルな思考に勝るものなし?
音楽ライターの飯尾洋一さんが、現代の日本に生きる感覚から「登場人物の中で誰に共感する/しない」を軸に名作オペラを紹介する連載。第2回はリヒャルト・シュトラウスと台本作家ホフマンスタールが、細やかな人物描写で「時の移り変わり」を切なく描く《ばらの騎士》。主要登場人物の中で一番共感できるのは?
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
傑作《ばらの騎士》の心の主役を探せ!
主要な名作オペラについて、自分なりの「心の主役」を探す連載第2回は、リヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》。音楽とストーリーの両方がそろって味わい深いという点で、あらゆるオペラのなかの頂点に立つような傑作だ。若者も若者なりに登場人物に共感でき、なおかつ年輪を重ねてもまた別の視点から登場人物への共感度が増すのがこのオペラの魅力。大枠では抗うことのできない「時の移り変わり」がテーマになっているが、後味は悪くなく、辛辣さが勝っていないところも吉。
まずは簡単にあらすじを紹介しておこう。
舞台はウィーン。陸軍元帥夫人マリー・テレーズは、愛人の青年貴族オクタヴィアンと情事を重ねていた。元帥夫人のもとを従兄のオックス男爵が訪ね、新興貴族ファニナルの娘ゾフィーと婚約するという。そして婚約者に銀のばらを贈る「ばらの騎士」をだれにすればよいかと相談する。元帥夫人はオクタヴィアンを推薦する。
だが、オクタヴィアンはゾフィーと出会って一目で恋に落ちてしまう。ゾフィーに対する無作法なオックス男爵のふるまいに怒ったオクタヴィアンは、オックスと決闘騒ぎを起こしてしまう。かすり傷を受けただけでオックスは大げさに騒ぎ立てるが、小間使いから逢引の誘いの手紙を受け取って機嫌を直す。
小間使いの正体は女装したオクタヴィアン。小間使いを口説くオックスは計略にひっかかり醜態をさらし、ゾフィーとの婚約は破談になる。元帥夫人はオクタヴィアンとゾフィーの若いふたりを祝福し、静かに身を引く。
発表! 《ばらの騎士》のキャラクター別 共感度
元帥夫人 共感度 ★★★★☆
素直に観れば、このオペラの主役は元帥夫人。若い愛人が自分のもとを去り、ふさわしい相手と出会って新しい人生を歩もうとする。悲しみとともに、あるべき形を受け入れ、若者たちの門出を祝福する元帥夫人の胸の内を男性が正しく理解できるかといえば、それは難しい。しかし、若い男性であっても、このオペラを最初に観たときに共感するのはオクタヴィアンではなく、内面の葛藤が描かれている元帥夫人のほうだろう。男女問わず憧憬の念を抱くことができる稀有なキャラクターなのでは。
第1幕、鏡を見て自身の老いを感じ、思い出に耽ったり、自虐をしたりと、心の内を歌う元帥夫人のモノローグ。
オクタヴィアン 共感度 ★★★☆☆
初めてこのオペラを観た20代の頃、オクタヴィアンは眩しく見えた。17歳の青年貴族、しかもモテる。怖いものなしだ。幕が開けたら元帥夫人の愛人で、幕が下りる頃にはゾフィーの恋人。野卑なオックス男爵にカッとなって剣を抜く姿に胸がすく。だが、自分がすっかりオジサンになってみると、オクタヴィアンの純粋さが疎ましくなってくる。なに青臭いこと言ってるの、恵まれすぎた境遇に胡坐をかいているお前だって、すぐにオックスみたいになるって。去りつつある時代はまさに君のような貴族を置き去りにしようとしているのに大丈夫? そんなお節介な気持ちがわいてくる。
2幕冒頭、使者「ばらの騎士」としてゾフィーに銀のばらを届けるオクタヴィアン。オクタヴィアンは女性歌手が男装して演じます。
ゾフィー 共感度 ★★☆☆☆
貴族との結婚に胸躍らせてやってきたのに、オックスにまるで家畜のように品定めされるゾフィー。おまけに父親のファニナルは娘がどんなにひどい扱いをされてもオックスの味方をするのだから、まったく気の毒というほかない。最後にオクタヴィアンと結ばれるからといって、万事良しという気分にはなれない。共感するというより同情すべき存在で、ゾフィーのような人生を送りたいかと問われれば、あまりしたくない。
第3幕の最終場面、戸惑うゾフィーとオクタヴィアン、心を決めた元帥夫人が歌う三重唱。シュトラウス自身、自分の葬式にはこれをと遺言し、実際に演奏されたお気に入りの曲。シュトラウスは誰に共感していたのでしょうか…..。
ファニナル 共感度 ★☆☆☆☆
娘ゾフィーを貴族と結婚させようとする成金で、娘の意思などまったく問題にしていない。最初、この人物の影は薄かった。だが、だんだんとファニナルにもファニナルの論理があるのだということがわかってくる。どうやらファニナルは軍需産業で財を成したようなのだが、健康状態がよくなく、妻には先立たれ、子は娘ひとり。現代なら娘に事業を継がせようとしたかもしれないが、この時代であれば有力者に嫁がせるしかないのだろう。共感はしづらいが、これも親心といえばそうなのかも。
オックス男爵 共感度 ★★★★★
下品で粗野、やたらと自分の血筋を自慢するのは、ほかになにひとつ誇れるものがないから。賢くもないし、勇敢でもない。こんな大人にだけはなりたくないもの。最初はそんなふうに思っていた。が、一方で彼は元帥夫人と同じく、過ぎ去りつつある時代を代表する人物でもある。オクタヴィアンもやがて下品なオッサンになるだろうが、オクタヴィアンがオックスのような享楽的な人生を生きられるかといえば、おそらくそうはならない。オクタヴィアンは実業家が活躍する時代に適応しなければならない。その点、オックスはいい時代を生きた。豪快で、率直で、憎めない男。あんなふうに人生をシンプルに受け止められたら、世界はずいぶん違って見えることだろう。そう思うと羨望するほかない。
元帥夫人の小間使い(実はオクラヴィアンが女装した姿)から、「会いたい」という手紙(実は策略のための罠)をもらい、オックス男爵が「わたしがいなければ毎日寂しい、わたしがいれば夜も短い」とご機嫌で歌う2幕最終場のワルツ。
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