追悼ジェームズ・レヴァイン——メトロポリタン・オペラを築いた栄光と影
世界有数のオペラハウス、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場などで、数々の輝かしい功績を遺したアメリカの指揮者、ジェームズ・レヴァインが、2021年3月9日に逝去しました。2017年のスキャンダル以来、表舞台から去っていたレヴァインの訃報に、現地ではどのような反応だったのでしょうか。ニューヨーク在住のジャーナリスト、小林伸太郎さんに、寄稿していただきました。
ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...
今日のメトロポリタン・オペラの演奏の礎を築いた活動
ジェームズ・レヴァインが亡くなった。3月9日、カリフォルニア州パームスプリングの自宅で自然死だったと発表されたのは、死後1週間以上経った3月17日のことだった。77歳だった。
メトロポリタン・オペラ(以下、MET)のピータ・ゲルブ総裁は、カンパニー・メンバーに向けて「MET137年の歴史において、ジェームズ・レヴァインほど深いインパクトを与えたアーティストはいない」との声明を発表した。レヴァインは、ラヴィニア音楽祭、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、そしてボストン交響楽団などの音楽監督や首席指揮者のポストを務め、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シカゴ交響楽団などとも長きにわたる芸術関係を築いた。バイロイト音楽祭、ザルツブルグ音楽祭などでの活躍も記憶に残る。彼はまた素晴らしいピアニストでもあり、カーネギー・ホールでのクリスタ・ルードヴィヒ引退公演のピアノ伴奏、モーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りなどを筆者も思い出すことができる。しかし、彼のレガシーがもっとも鮮明に感じられるのは、1971年のデビューから45年以上にわたり、85作品2500以上の公演を指揮したメトロポリタン・オペラであることは間違いない。
METの管弦楽団を、まずまずの専属バンドからコンサートホールでも活躍できる一流アンサンブルに育て上げ、コーラスを磨き、ヤングアーティストのためのトレーニングプログラムを通して数多くの歌手やピアニスト/指揮者を送り出したとされるレヴァイン。バロックからワーグナー、現代オペラまで、幅広いレパートリーを自在にこなす今日のMETの優れた演奏は、彼の40年以上にわたる努力の賜物と考える人は少なくない。
とりわけ彼の歌手とのコラボレーションは伝説的で、前述のルードヴィヒやビルギット・ニルソン、ルチアーノ・パヴァロッティなど、どんな歌手でもさらに上手く歌わせてしまうという彼の手腕は、数多くの名歌手から賞賛された。プラシド・ドミンゴもソーシャルメディアに、愛情に満ちた追悼の言葉を寄せている。
疑惑が発覚、今も残る複雑な事情
しかし、METは2017年12月、「数多くの性的不正行為の疑い」を理由に彼を停職処分とし、翌年3月には正式解雇、並びに名誉音楽監督のタイトル剥奪に至った。レヴァインはMETを名誉毀損で訴え、METは彼を逆提訴したが、のちに両者はMETがレヴァインに350万ドル(約3億8,000万円)支払うことで示談した。METは一貫して彼の行為を知らなかったと主張してきたが、レヴァインの性的虐待は長年にわたり公然の秘密だったと主張する関係者も少なくなく、それを看過したMETの責任を追及するべきだとする声は、今も根強い。ちなみにドミンゴも、セクシャルハラスメントを理由としてアメリカの歌劇場から完全に姿を消した。
そんな経緯から、アメリカのレヴァイン死去に対する反応は、控え目に言っても非常に複雑だ。METにしても、社会的にはレヴァインを糾弾したいところだろうが、例えば彼が指揮した豊富な映像や音源は今も収入源の1つでもあり、彼を完全否定はしたくないのかもしれない。いずれにしても、天才の才能を評価するために、その不正行為に目を瞑るようなことは、今後もあり得ないだろう。
レヴァインとMETの最後の演奏は2017年12月2日、ヴェルディ「レクイエム」だった。虐待疑惑が広く発覚したのは、その晩だった。
関連する記事
-
井上道義が現役最後に取り組むオペラ《ラ・ボエーム》が秋に全国7都市で公演
-
続々 ワグネリアンのバイロイト案内 祝祭劇場で《パルジファル》がどう響くか疑似体...
-
札幌文化芸術劇場 hitaru「オペラ・プロジェクト」が北海道ゆかりのキャスト/...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly