読みもの
2021.05.19
連載「1行の音楽から物語は始まる」第12回

ピアノ・トリオとパートナーシップの行方——十市社『亜シンメトリー』

かげはら史帆さんが「非音楽小説」を「音楽」から読み解く連載。第12回は話題のミステリー、十市社(とおちの・やしろ)著『亜シンメトリー』。3人の若者の背景に流れ続ける、ビル・エヴァンス・トリオの『枯葉』。人間関係のミステリーを、音楽から解読します。

音楽から本を読み解く人
かげはら史帆
音楽から本を読み解く人
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

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以下、結末に関連する内容を含みますので、未読の方はご注意ください。

 

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ジャズだって、デュオもあれば、トリオもカルテットも、ソロもファイブ・ピースだってあるじゃないですか。ビッグバンドも。それぞれにちがった難しさはあるし、それぞれでしか出せない音がある──ほんとはきっと、それだけのことのはずなんです

十市社『亜シンメトリー』新潮社、2021年(以下、すべて本書が引用元)

トリオはなぜトリオになるのか

音楽作品と、その作品を生んだアーティストの人生には、切り離して考えるべき部分とそうではない部分がある。

たとえば、あるアーティストが失恋の悲しみをうたった3人編成の曲を作ったとする。失恋の曲だからといって、彼/彼女の現実の失恋経験が反映されているとは限らない。しかし、彼/彼女がトリオという編成を選んだ(デュオやカルテットを選ばなかった)理由は、アーティストの人生のなかに答えがあるケースが多い。  楽器の編成は、アーティストのその時々の音楽環境や人間関係によって決まる。もし身近に魅力的なトリオがいればトリオのための曲を書くし、カルテットがいればカルテットのための曲を書く。音楽的霊感に導かれて好きな編成の曲を書く、というケースは稀だ。

十市社(とおちの・やしろ)の短編集『亜シンメトリー』は、さまざまな解釈と謎解きが可能な作品である。しかし全4編のうち、あえて物語上連続した2編『枯葉に始まり』(第1編)と『三和音』(第3編)に着目するならば、楽器の編成になぞらえた人間関係の物語、と解くこともできるだろう。

トリオなのに、ドラムの音が聴こえない

ビル・エヴァンスの叙情性あふれるピアノの旋律と、スコット・ラファロの対位法的に併走するウォーキング・ベースの対旋律とを──その奔放でありながら完璧にコントロールされたハーモニーを、半世紀以上の時を超え、豊かな音量でよみがえらせるジャズ喫茶<ボーギー>

第1編『枯葉に始まり』は、タイトル通り、ジャズ喫茶<ボーギー>に往年の名曲「枯葉」が流れているシーンから始まる。

ボックス席に集うのは、大学生2人と、高校生1人。性別でいえば男1人、女2人。女子高校生の紫子は、先輩の女子大学生・美緒に恋愛感情を抱いている。しかし美緒は、大学のジャズ研究会の後輩男子・顕にひそかに好意を持っている。いわば三角関係だ。

この短編のメインテーマは、美緒が持参した、とあるインタビュー原稿をめぐる謎解きである。しかし彼らは、決して和気藹々とした探偵トリオではない。いったいどの2人が恋人として結ばれ、誰がはじかれるのか。どう転げるかわからない不安定な三角形である彼らの会話は、つねに緊張をはらんでいる。

顕は恋愛に対してきわめてドライだ。研究会の内部でカップルができると、「ああいう、その場その場で現地調達していける人たちってすごいですね」「軍隊とか、刑務所なんかの機会的同性愛も、現地調達も、本質的には大して変わりませんよね」と辛辣な言葉を吐く。実は、彼は小学生の頃に女子から好意を寄せられ、それが原因でトラブルに発展した過去を忘れられずにいた。そして美緒もまた、高校時代に女子校で体験した、友情とも恋ともつかない「鉄の鎖で縛り合うような人間関係」へのトラウマを抱いていた。

「現地調達」は、音楽でいうところの即興演奏とも言い換えられるだろう。顕と美緒はそれぞれの過去が原因で、他人との予測不可能なセッションを恐れている。だから顕は他人の恋愛を醒めた目で見るし、美緒は(ギタリストとして即興演奏を愛してはいるが)顕に自分の心を打ち明ける勇気を持てない。現地調達という言葉の乱暴さをとがめるのは紫子ひとりだ。彼女は、三角形をかき乱すのを恐れない唯一の人物である。

彼らの背後では、「枯葉」が繰り返し流れ続けている。だが、その描写はよく読むと奇妙だ。

ビル・エヴァンスの叙情性あふれるピアノの旋律と、スコット・ラファロの対位法的に併走するウォーキング・ベースの対旋律

エヴァンスとラファロの奔放なアドリブが、今では古典となった五十年以上も前のこもった柔らかい音色が、天才たちが生きた過去からの見守りの眼差しのように吹き抜けていった

あたかもピアノとベースのデュオによる「枯葉」であるかのような描写。しかし実は、ここで流れている「枯葉」は、ピアノ、ベース、そしてドラムによるジャズ・ピアノ・トリオなのだ。

それなのに、彼らの耳にはピアノとベースの音しか入ってきていない。カップル(=デュオ)がいつ成立するのかという不安が聴覚に魔法をかけているかのように。

3人がドラムの音を取り戻すとき

彼らの耳にドラムの音が復活するときは来るのだろうか?

第3編『三和音』にその答えがある。

舞台は『枯葉に始まり』から9年後。彼ら3人は、学生時代の思い出のジャズ喫茶<ボーギー>にふたたび集う。

美緒が椅子に腰を落ち着けたところで流れだすのは、ビレリ・ラグレーンとシルヴァン・リュックのギター・デュオアルバム『duet(デュエット)』から「タイム・アフター・タイム」だ。美緒が「目指すべき理想形の一つ」と長年考えてきたデュオ・アルバムだ。

しかし──彼女はいまシングルマザー(=ソロ)として、2歳の娘を育てながら生きている。

決して不本意にそうなったわけではない。美緒は未婚のシングルマザーとして生きようと最初から決めて子を生んだ。一方で彼女は、顕とカップル(=デュオ)になりたい、という学生時代からの想いも捨てきれずにいた。久々の再会によってそれが実るかもしれない、という美緒の期待は高まる。

ところが顕と紫子が切り出したのは、この3人の中の誰かと誰かがカップルになり、もうひとりが去るという提案ではなかった。彼らは言う。もうカップルにとらわれるのはやめよう。この3人でもって「三和音」を紡ごう──つまり2人ではなく3人でパートナーシップを結び、子を育む共同体になろう、と。

ジャズだって、デュオもあれば、トリオもカルテットも、ソロもファイブ・ピースだってあるじゃないですか。ビッグバンドも。それぞれにちがった難しさはあるし、それぞれでしか出せない音がある──ほんとはきっと、それだけのことのはずなんです

美緒がその提案にどんな返事をしたか、彼らがどんな道を選んだのかは、ここでは触れずにおきたい。ただ、彼らが議論を繰り広げているあいだにも、すでに彼らの耳に変化は起き出していた。いつの間にかアルバム『duet』は終わり、懐かしいビル・エヴァンス・トリオの「枯葉」が流れはじめている。9年前とまったく同じシチュエーションだ。しかし美緒の耳は、当時とは異なり、「枯葉」のサウンドの中に第三のアーティストの存在を発見していた。

夜を照らす月のように一歩下がってタイム・キーピングを引きうけつつも要所で存在感を放つ、ポール・モチアンの軽快なドラムの音にも、あらためて意識を向けてみる気になったのだった

アシンメトリーが新しいセッションを生む

「枯葉」の原曲は、1945年にジョゼフ・コズマが作曲したシャンソンである。世界的に知られたこの名曲は、多くのアーティストにとって憧れの作品であり、これまで無数のカヴァーが世に送り出されてきた。ビル・エヴァンス・トリオが演奏するジャズ・ピアノ・トリオ版も、数多あるアレンジのひとつだ。本作の登場人物3人にとって、これほどふさわしい「枯葉」はないだろう。

本書の表題『亜シンメトリー』は、第4編の短編のタイトルだが、その意味とイメージは『枯葉に始まり』と『三和音』にも投影されている。

デュオからトリオになる。それは恋人や夫婦というオーソドックスな「シンメトリー」(対称)の関係から逸脱し、不均衡かつ冒険的な「アシンメトリー」(非対称)の関係を新たに構築することを意味する。カップルでなければ愛し合ってはならないのか? 子を育ててはならないのか? パートナーシップをめぐる今日的な問いが、50年前の名トリオの演奏と呼応する。美緒、晃、紫子、彼ら3人のトリオによる予測不可能なセッションは、これから始まる。

音楽から本を読み解く人
かげはら史帆
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かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

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