オルガンが登場しない“オルガンのあった場所”の物語──シン・ギョンスク『オルガンのあった場所』
かげはら史帆さんが「非音楽小説」を音楽の観点から読む連載。第23回は韓国の人気作家シン・ギョンスクの短編集『オルガンのあった場所』からの表題作。不倫相手との駆け落ちを目前に訪れた故郷で、幼い頃の思い出を手紙に綴る主人公。作中には登場しないリードオルガンが意味するものとは?
母がわき見をしながら手早くできた大根の千切りは特にそうでした。母のまな板の音はトントントン……軽快でしたが、女のまな板の音はトン……トン……トン……でした。
──シン・ギョンスク『オルガンのあった場所』きむ ふな訳 2011年クオン刊)以下、引用はすべて本書
かつてそこにあったリードオルガン
「オルガンのあった場所」というフレーズを聞いて、ある年齢から上の人の多くが思い出すのは、巨大なパイプオルガンが設置された教会やコンサートホールではなく、リードオルガンが置かれた母校の教室や音楽室だろう。送風用ペダルで空気を送り込んで音を出す、蓋を閉じれば学習机代わりになるその楽器の起源は、1840年代のフランスにまでさかのぼる。
日本においては、明治初期にミッション・スクールや教会でリードオルガンが広く用いられ、1880年代に山葉風琴製造所(現ヤマハ)が生産を開始。それから間もなく一般の学校にも普及した。1961年の学習指導要領の改定によって、オルガンは教師が伴奏のために弾く楽器から、児童や生徒も触れる楽器になり、1960年代に生産のピークを迎えた。
韓国の場合も事情はかなり似ている。キリスト教の宣教師によって最初に楽器がもたらされたのが1890年代。その後、急速に一般の学校に普及した。1960年代の韓国の山間の学校を舞台にした映画『我が心のオルガン』(1999年制作)にも、教室に置かれたオルガンを主人公の教師が感傷的に奏でるシーンが登場する。
今日、リードオルガンを生産している国はない。その生産技術はのちの電子鍵盤楽器の発展に大きく貢献したが、リードオルガン自体の需要は廃れ、学校から少しずつ姿を消し、いまでは1台も残っていない学校も珍しくない。まさにそれは「かつてあったが、いまはない」楽器なのだ。
「オルガンのあった場所」──このタイトルは、そうしたコンテクストにもとづく暗喩である。
消えた女=オルガンに憧れる主人公
『オルガンのあった場所』は、1963年生まれの韓国人作家シン・ギョンスクの同題の短編を含む、日本オリジナルの編成による全8作の作品集である。
表題作「オルガンのあった場所」が書かれたのは1993年。リードオルガンの生産が終わったあとの時代である。主人公の女性は、15、6年前に高校を卒業したと書かれているので、当時30歳の著者よりも数歳上、つまり1960年前後の生まれと推測される。リードオルガンの全盛期に学校に通った世代である。
30代の主人公は故郷の田舎を離れ、都市部でスポーツセンターの講師として働いているが、実は妻子のいる40歳の男性と不倫関係にある。その男から駆け落ちを提案された彼女は、夢見るような思いで承諾するが、「出発前に、何も知らない両親に会っておきたい」と一時帰省した故郷で、どういうわけか心変わりしてしまう。彼女は故郷から男に手紙を書く。そこには、彼女が6歳の頃に実父が不倫をしていたこと、そして父の不倫相手の女と奇妙な共同生活を送っていたことが綴られる。
この短編は、「オルガンのあった場所」と題されてこそいるが、本文中には1台のオルガンも登場しない。その代わりのように主人公の回想のなかに登場するのが、父の不倫相手の女である。母が家から姿を消し、入れ替わるようにやってきた彼女は、驚くほど色白で、いい匂いを漂わせていた。
彼女は、田舎の家には似つかわしくない、浮世離れした、生活感のない女性である。彼女は彼女なりの努力で本妻の後釜をつとめ、家事をこなそうとするが、その包丁さばきはいかにも不慣れだった。
「母がわき見をしながら手早くできた大根の千切りは特にそうでした。母のまな板の音はトントントン……軽快でしたが、女のまな板の音はトン……トン……トン……でした。」
「だって……彼が……好きなんだもの……」と、ため息まじりに、かよわげにささやくような、包丁のリズム。その手つきは、子どもがリードオルガンを1本指で押すさまにも似て、ぎこちなく未熟である(その未熟さこそが父には女の色気のように見えた、とも想像できる)。
女としてもこの状況に思うところがあったのだろう。結果的に彼女は、たった20日で家を出ていってしまった。また入れ替わるように母が家に戻り、家庭は平穏な状態に戻った。しかし主人公は、たった1ヶ月足らずの時間を一緒に暮らした色白の風変わりな女を忘れることができない。ほどなく就学年齢を迎え、学校に通い出した主人公は、年度初めに配られる将来の夢を綴るカードを前にこんな想いに駆られる。
「……あの女のようになりたい……」
なぜ「なりたい」のか。その理由は彼女自身にもわからない。ただ、その憧れをこじらせたゆえだろうか。30代になった主人公の手紙の文体は、女の包丁さばきのリズムにどこか似ている。ため息がまじるような「……」や、唐突な改行が散りばめられ、そのじれったさが色気を醸し出す。
「あの、向こうから、家が見えてきましたが、
私は、すぐ家に入ることができず、人気のないがらんとした村を一周し……それでもまだ入ることはできず……うろつきながら騒がしい鳥の鳴き声を聞きました。」
それでも、主人公は不倫相手の男からの「見知らぬところへ行こう。」という駆け落ちの誘いに乗ることはなかった。彼女は、実家の近くに住むチョムチョンおばさんが夫の不倫に苦しめられ、縄跳びをして必死で痩せようとする姿を見る。また勤めているスポーツクラブで、夫の心を取り戻そうと泣き崩れながらエアロビクスに励む中年女性を見る。彼女は既婚の女性たちが抱えた数々の不幸を想い、自分がその不幸に加担することを恐れる。
しかし主人公は、かような罪の意識から不倫を思いとどまるわけではない。
こだまのように反響しつづけるオルガン
「オルガンのあった場所」にはオルガンが登場しないが、本作品集には、より直接的に音楽を扱った短編もある。「ジャガイモを食べる人たち」には、歌手としてデビューするも鳴かず飛ばずな主人公の女性と、音楽番組のプロデューサーであり彼女のデビューを後押ししてくれた「ユニ姉さん」が登場する。ふたりはどちらも田舎の出身で、それぞれ音楽を志してきた。
主人公はこんな思い出をユニ姉さんに綴る。
「ずっと前、生まれ故郷を離れる時、だれかが私に言いました。駅まで見送ろうか? 私は首を横にふります。ううん、それはあまりに悲しいことだから。その瞬間、私ははっとしました。私の体の中のこだまを聞くような気がしました。それは私の言葉ではなく、だれかの切ない気持ちが私の口を通して発せられているようでした。ユニ姉さん、私もそんな歌を歌うことができるでしょうか。だれかの体の中にこだまとして入り、ふたたびだれかに伝わる、そんな歌を。」
「オルガンのあった場所」の女も、見送りを拒むようにひそやかに家を出てゆく。まだ幼い主人公にこんな忠告を残しながら。「私……私のようには……ならないでね。」
その言葉もまた、「だれかの切ない気持ちが私の口を通して発せられている」“こだま”の一部であろう。大人になった主人公は、久しぶりに帰った故郷でそのこだまを受け取り、不倫相手との男との関係を断ち切る決意をする。彼女は、相手の男の家庭を壊すことのみを恐れたわけではない。彼女は、駆け落ちによって男の新しい伴侶になった結果、いつか自分も不倫される側に立たされることを予感しているように見える。ゆえに彼女は、不倫する道も不倫される道も拒み──自ら「消えるオルガン」になるという第三の道を選ぶ。かつて社会的な需要に応えて大量生産されたリードオルガン。その暗喩が示す、父の不倫相手の女や、チョムチョンおばさんや、スポーツクラブの中年女性らのため息まじりの人生。主人公の決意は、彼女たちを生んだ世界への抵抗であり、「私のようには……ならないでね」というこだまを継承する意志のあらわれなのだ。
リードオルガンは学校から消滅しつつあり、それがどういう楽器なのかを知らない若い世代も増えてきた。しかしその音色は、こだまとなって世界に反響しつづける。たとえば韓国の文学がシン・ギョンスクからより若い世代へ──机型の足踏み式オルガンを知らない世代へと受け継がれるように。
参考: 赤井励『オルガンの文化史』(青弓社、1995年)、田中智晃「日本楽器製造にみられた競争優位性──高度経済成長期のピアノ・オルガン市場を支えたマーケティング戦略──」(『経営史学』第45巻第4号)
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