ローマ賞とは?19世紀フランスで絶大な権威を誇った作曲家の登竜門の歴史と審査方法
2020.06.27
136年前の今日、ドビュッシーのカンタータ《放蕩息子》初演!
1919年4月11日、パリのガヴォー・ホールで、ラヴェル《クープランの墓》が初演されました。ロン=ティボー国際音楽コンクールの創始者としても知られる女流ピアニスト、マルグリット・ロンが演奏しました。
この作品は、以下の6つの舞曲で構成されています。
第1曲「前奏曲」(※フレンチ・バロックの鍵盤組曲で、本題に入る前の指鳴らしを兼ねた即興に由来する)
第2曲「フーガ」(※同じ旋律を追いかける技法を使った楽曲。ここでは3つの声部で構成される)
第3曲「フォルラーヌ」(※北イタリア起源の速い6拍子の舞曲)
第4曲「リゴドン」(※プロヴァンス起源の2拍子系の舞曲)
第5曲「メヌエット」(※フランスの民俗舞踊に由来する4分3拍子の舞曲。フランス語の発音はムニュエ)
第6曲「トッカータ」(※イタリア語の「触る(トッカーレ)」から派生した「試し弾き」が起源といわれる、速いパッセージの楽曲)
各曲が第一次世界大戦で戦死したラヴェルの友人に捧げられている。しかし悲しみを盛り込んだ作品ではなく、墓にそなえる花のように、典雅ともいえる小曲ぞろいである。それで「墓」の名があるのだが、同時にこの曲は18世紀のフランスの大作曲家クープランへのオマージュでもある。
『作曲家別名曲解説ライブラリー ラヴェル』(音楽之友社)119ページより
誤解されることもあるかもしれませんが、大作曲家クープランのお墓を題材にした作品ではありません。
1919年には第1、3、4、5曲が管弦楽版に編曲され、フランスでもっとも歴史あるオーケストラ、パドルー管弦楽団(Concerts Pasdeloup/1861年創設)によって初演されました。