モナコにグリゴリー・ソコロフさんを聴きに行ったときの思い出
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
この連載もなんと第100回! ということで、3年前のちょうど今ごろ、私がモナコまで聴きに行った大ピアニストのリサイタルの思い出を記したいと思います。
ロシアのピアニスト、グリゴリー・ソコロフさん。長距離のフライトや時差が嫌だということで、近年、アジアやアメリカにはコンサートに来てくれません。でも、どうしても一度生で演奏を聴いておきたい。ヨーロッパに行ったときにうまくコンサートが聴けないか、機会をうかがっていました。
そして、そのチャンスがようやくやってきたのが、2019年のインド、ヨーロッパ取材旅行中。とはいえ、滞在予定の都市にちょうどソコロフさんが来る、などというラッキーがあるはずもなく、でもこの機会を逃すまいと旅を少し延長して、モナコに寄ってソコロフさんを聴いてから帰国することにしたのでした。
初めてのモナコ公国です。面積2.1キロ平方メートルの、世界で2番めに小さな主権国家。カジノとF1レース、あとはかつてハリウッド女優のグレース・ケリーが嫁いだ場所というイメージくらいしかありませんでしたが、音楽文化も盛んです。日本との関連でいうと、現在は指揮者の山田和樹さんがモンテカルロ・フィルの芸術監督をつとめています。
ソコロフさんのコンサートが行われたのは、そんなモンテカルロ・フィルの拠点でもあるオーディトリアム・レーニエ3世という、カジノとがっつりつながっているコンサートホール。入口がトンネルのど真ん中にあるのですが、これはF1のモナコグランプリで有名なコースの一部なのですね。
オーディトリアム・レーニエ3世
それはそうと、肝心のソコロフさんのコンサートです。
普段は音の響きのことを考えて、真ん中から後ろのほうの席を取ることも多いですが、今回はせっかくだから、しっかりソコロフさんの手や腕の使い方を観察してみようと、空いている席のなかから2列目の左のほうを取っていました。
すると開演直前、若い女の子がやってきて、自分の席とかわってくれないか、ものすごくいい席だから、ぜったいあなた、こっちに座ったほうがいいんだから、という。どうやら、私の横の席の男性と友だち以上恋人未満的な間柄らしく(予想)、隣りに座りたかった模様。
そして私に与えられた席は、なんと1列目ど真ん中! ソコロフさんをガン見できる、いわゆる鼻血シートです。こんなところで聴けるなんて、なかなかない!! 逆にこの席を放棄してまで隣りに座ったその恋、成就してほしい。
プログラムは、ベートーヴェンとブラームス。
演奏が始まると、お腹の底から、脳の内側からゆさぶってくる重く深い音に痺れます。強音はもちろん、弱音でもそうなのだからすごい。「ソコロフの音は特別だ」というのはこういうことかと納得します。間近でその分厚いお腹を眺め、この体躯あってこそのこの音なのかと思いつつ、大きなお世話ながら、内臓脂肪が少し心配になってくる。だって長生きしてほしいから。
ソコロフさん(シューベルト:即興曲第3番 D899 Op. 90, No. 3/2014年)
正統的なのに、最初から最後まで、次は何がくるのだろうとワクワクしっぱなし。ギラギラしているのに、なぜか聴いていると心が整っていく。
そして、大歓声の聴衆を前に、ひとつもニコリとせず、ソコロフさんは6曲もアンコールを弾いてくれました。顔は笑っていないけど、心の中で反応を嬉しがっているだろうなと思うと、ますます拍手を贈りたくなりました。
当時は、こんなふうに旅がしにくくなるとは思ってもみませんでしたから、あのとき足を伸ばしてよかったと心から思います。とはいえ、また次にヨーロッパでチャンスがあれば絶対に聴きに行く! と思う、何度でも浴びたい音でした。それまでは、録音をありがたく聴いて、あの音の記憶を反芻しておこうと思います。
というわけで、100回記念は大好きなピアニストのお話でした。
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