読みもの
2021.02.26
高坂はる香の「思いつき☆こばなし」第50話

シューマンが40代を過ごしたドイツ・デュッセルドルフでの思い出

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

メイン写真:ドイツ・デュッセルドルフのライン川。撮影:筆者

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ヨーロッパのなかでも大きな日本人街があることで知られる、ドイツのデュッセルドルフ。ここは、シューマンが40歳からの4年間を過ごした街です。当時20歳のブラームスが、自作を携えてシューマン夫妻を訪問したのもこの街。そして、シューマンがライン川に身を投げる自殺未遂事件を起こしたのも、この街であります。

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1850年に撮られたロベルト・シューマン(1810〜1856)
1853年、シューマンと出会った頃のヨハネス・ブラームス(1833〜1897)。シューマンはブラームスの才能を認めて評論で賞賛し、妻クララとともに親しく交流した。

シューマンが1850年40歳のときに作曲した交響曲第3番《ライン》
※「ライン」の副題はシューマンが付けたものではない

2年前の夏、初めてデュッセルドルフを訪れる機会がありました。

話に聞いていたとおり、日本人街にはたくさんの日本食レストランが並び、お寿司はもちろん、餃子やたこ焼き、日本の居酒屋メニューなど、あらゆる日本の食べ物にお目にかかることができます。お客さんにも日本のビジネスマンらしい人が多く、そこではむしろドイツの人がマイノリティに見えるほど。

そのとき食べた、たこ焼きと餃子。

一方で、デュッセルドルフならではのアルトビールが飲めるビアレストランや醸造所の直営店も、もちろん多くあります。素朴なおつまみと飲むアルトビール、最高でした。

こちらはアルトビールとおつまみの肉団子。

滞在中、ライン川沿いを散歩していたときのこと。友人がふと思い出したように、そういえばここから少し先に行くと、シューマンが川に飛び込んだ地点があるよと教えてくれました。

30代半ばごろから発症していたシューマンの精神障害は、デュッセルドルフに移った数年後、ますます悪化。ある日、妻のクララと主治医が話をしている隙に家を抜け出し、川に身を投げてしまいます。しかし、偶然これを見ていた漁師に助けられ、一命をとりとめたのでした。

筆者が散歩したライン川のほとり。

……ここが、あの決定的な出来事の起きた、まさにその場所!

音楽ファンとしては、やっぱり、にわかに興奮します。そんな私に対して、何をそんなに興奮しているんだという表情の友人。

シューマンが飛び込んだまさにその地点に行ってみたい、連れていってくれと頼むと、やんわり断られました。あまりに興奮していたので、今度は「飛び込んでみたい」と言い出すと思われたのだろうか。

私がその場所を訪れたのは、清々しい青空が広がる、爽やかな夏の日。でも、実際にシューマンが川に飛び込んだのは、1854年2月27日、真冬のちょうど今頃のことです。

水は、さぞ冷たかったことでしょう。その瞬間の心情を思うにつけ、胸が痛みます。

デュッセルドルフのシューマン・ハウス ※現在、改装中

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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