読みもの
2021.11.19
高坂はる香の「思いつき☆こばなし」第87話

ワルシャワから贈られた浜松のショパン像とコンクールの思い出

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

写真:筆者

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うっすらショパンコンクール関連のネタでひっぱり続けている、こちらのコラム。今回も、ショパンとワルシャワにまつわる話題です。

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こちら、ワルシャワ、ワジェンキ公園のショパン像……ではありません。静岡県浜松市、浜松国際ピアノコンクールの会場でもあるアクトシティ浜松にあるレプリカです。

アクトシティ浜松の屋上にあるショパン像。屋上には、このショパンの丘のほか、屋外ステージや憩いの広場が設けられています。
こちらは、ワルシャワのワジェンキ公園に立つショパン像。写真:編集部

アクトシティ浜松

ワルシャワと浜松は、1990年に音楽文化友好協定を締結。これを記念して、ワルシャワ市からこのレプリカ像が贈られたそうです。元の2/3サイズになっているらしい(もっと小さく見えるけど)。

本場のショパン像は木々に囲まれていますが、こちらは「ショパンの丘」と名付けられたアクトシティの建物の屋上にあるので、後ろにはスコーンと青空が広がっています。

そして、よく見るとやっぱりちょっと顔が違う……というか、けっこう違う??

ワルシャワのほうが、だいぶ悲しそう。写真:編集部
浜松のほうは、首細くて一重まぶたな感じ。

それというのも、本国のショパン像をデザインしたのは、ポーランド人建築家のヴァツワフ・シマノフスキさん(1859〜1930)。そして、こちらのレプリカの作者は、やはりポーランド人でクラコフ芸術大学のマリアン・コニエチニィ教授、とのこと。型をとってコピーを作る、みたいな話ではないのですね。

本国のショパン像は、ショパン生誕100年の1910年の建築が予定されていたものの、第一次世界大戦でのびのびになった末、1926年に完成。この像の除幕式とあわせて第1回ショパンコンクールも計画されていたとか。でも結局は、コンクールのほうが1年遅れとなりました。

しかし、このショパン像、第一次世界大戦中、記念碑の中で最初にドイツ軍に破壊されたといいます。どこまでも悲しいショパンとポーランドの歴史。しかし、幸い型が残っていたので、1958年にそのままの姿で再建されました。

そういえばラファウ・ブレハッチさんに、2003年の浜松コンクールに参加したとき(ショパンコンクール優勝前ですね)の一番印象的な出来事を尋ねたところ、「ホテルの部屋から外を見たら、ワジェンキ公園と同じ像があって、ここはワルシャワかと思ったよ!」という渾身のブレハッチ・ジョークをかましてくれた。今、そんな出来事を思い出しました。

さて、そんな浜松では現在、浜松国際ピアノ・フェスティバル開催中。残念ながら中止となった浜松コンクールの代替イベントで、11月の週末を中心に行なわれています。

過去のコンクール参加者や審査委員長によるコンサートが豪華なのはもちろんなのですが、ちょっと興味深いのが、11月25日から27日に行なわれる、「〈あなたが審査員〉第11回浜松国際ピアノコンクール応募者によるリサイタル」。コンクールに応募していた日本人コンテスタントたちが、アクトシティ浜松の中ホールで演奏。この様子はYouTubeで配信され、さらには投げ銭機能を導入して、若手演奏家への支援につなげる、とのこと。いやー、今の時代って感じです。

浜松に聴きに行く! という方。ぜひ駅直結のホールに向かう途中、少し階段を登ったところにあるショパンの丘に立ち寄って、一重まぶたぎみのショパン像とご対面ください。

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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