真っ暗な深淵の世界に
クラシック音楽と語学は切っても切り離せないもの。「音楽ことばトリビア」は各国語に精通したナビゲーターの皆さんが、その国の音楽とことばをテーマに綴る学べるエッセイです。
イタリア語編ナビゲーターは、20年間イタリア・ミラノに拠点を置いていたオペラ・キュレーターの井内美香さん。第7回はヴィヴァルディ作曲《狂えるオルランド》から。
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...
Nel profondo cieco mondo
ネル・プロフォンド・チェーコ・モンド
真っ暗な深淵の世界に
イタリアの詩人アリオストが書いた騎士道叙事詩《狂えるオルランド》。バロック時代の多くの作曲家がオペラ化しています。
中でもヴィヴァルディが書いた《狂えるオルランド Orlando Furioso(単にOrlandoと書かれることも)》は傑作で上演も多いです。この物語が人気があるのは、おそらく多くの人が身につまされるテーマを扱っているからでしょう。それはズバリ「愛されない男の悲劇」です。
上:アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)作曲家であり、ヴァイオリニストであり、カトリック教会の司教でもあった。
シャルルマーニュの時代。勇猛な騎士オルランドは、馬上試合の折に見かけたカタイ(当時の中国)から来た絶世の美女アンジェリカ姫に恋をしてしまいます。その後、行方が知れなくなったアンジェリカを求めて世界を旅したオルランドは、ついに魔女アルチーナの支配する島で彼女を見つけ出します。
本当のことを言うと、アンジェリカはオルランドから逃げていたのです。彼女にはメドーロという恋人がいました。オルランドに追いかけられて逃げるときに2人は離れ離れになってしまったのですが、アルチーナの島で再会を果たします。アンジェリカは自分を熱愛するオルランドを恐れて本当のことを言えず、メドーロを自分の兄弟だと偽ります。
アンジェリカに愛を迫るオルランド。たまりかねた彼女はついに魔女アルチーナの助けをかりて、オルランドを亡き者にする計画を立てます(!)。彼女は魅惑的な声で「あの岩壁の上まで登ると〈不老の水〉が入った壺があるそうです。いつまでも美しいまま、2人で永遠の愛に生きましょう」と言って、オルランドを険しい岩山に行かせます。そこでオルランドはアルチーナの魔法によって洞窟に閉じ込められてしまいます。アンジェリカが自分を陥れようとしたことを知ったオルランドは、怒りのあまり持ち前の怪力を発揮して岩を打ち壊し、そこから出てきてしまうのです。
このアリア「真っ暗な深淵の世界に」は洞窟を壊して脱出したオルランドが、アンジェリカの裏切りに怒って歌うアリアです。
「この心に残酷だった運命よ、真っ暗な深淵の世界に落ちて行くがよい。それより強い愛が勇気の助けによって勝つことになるだろう」
ヴィヴァルディらしい力強い弦楽の前奏に続く、超絶技巧の速いパッセージを歌うアリアは、オルランドの華々しい勇姿を感じさせます。
冒頭のイタリア語は「Nel 〜の中に profondo 深い cieco 盲目の(=真っ暗な、という比喩で使われている) mondo世界」。
歌に出てくる「落ちて行く」のところも、階段を降りる、などのときに使われる「scendere 降りる」という動詞ではなく、「precipitarsi」という「高いところから飛び込む」という意味の動詞を使っています。
ヴィヴァルディは有名な《四季》もそうですが、感性に優れた色彩豊かな音楽が持ち味でした。超人的な力で洞窟から脱出したオルランドの、愛する人に裏切られて目の前が暗くなり深淵に真っ逆さまに突き落とされたような気分が、音楽からも感じられると思います。
オルランドはこの時点ではまだアンジェリカへの愛を諦めていませんでした。ところがこの後で彼は、木の幹に彫られたアンジェリカとメドーロの名前と、2人の愛の誓いの言葉を発見してしまいます。そのときついにオルランドは正気を失ってしまうのでした。第2幕の最後にあるオルランドの長大なモノローグは、大変に迫力のある〈狂乱の場〉です。
バロック・オペラの慣習で、このオルランド役はメゾソプラノの女性歌手が男性に扮して歌いました。今ではカウンターテナーが歌うこともあります。優しい響きの声で歌う技巧を凝らした表現は、オルランドの苦悩を芸術として昇華しています。それゆえに誰でも安心して、このオペラを楽しむことができるのです。
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