読みもの
2022.06.19
第16回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール現地からインタビューをお届け!

マルセル田所の音楽を育んだもの~生い立ちから恩師との邂逅、ピアノ演奏の信条まで

第16回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでセミファイナリストとなり注目を集めた、マルセル田所さん。日本人の父とフランス人の母のもとで日本に生まれ育ち、18歳からパリで学ぶ28歳。この8年ほど、名教師、レナ・シェレシェフスカヤさん(アレクサンドル・カントロフやレミ・ジュニエ、リュカ・ドゥバルグなど個性的なピアニストを育てたことでも知られています)のもとで学んでいます。

その演奏からも独特の感性の持ち主であろうことが感じられましたが、一体、どのようにしてその音楽性が育まれたのか、またピアノを弾く上で大切にしていることは何か、伺いました。

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

ゴールデンレトリバーは、練習しているといつもそばで見守ってくれていたそう 撮影=筆者

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将来の夢は“恐竜”から“芸術家”へ

——プロフィールには、福岡生まれとありますね。

マルセル はい、父が大学で比較文学の教授をしていて、母も大学で教えていたので、その仕事の都合で福岡に生まれ、1歳で名古屋に移り、小学校に入る少し前に尾張旭に引っ越しました。

——では、お子さんの頃から文学に親しむ環境に育ったのですか?

マルセル それがそういうわけでもないんです。でも、両親とも芸術への理解があったおかげで、絵を描いただけでもすごく喜んでくれたりして、そちらの方面に関心をもったところはあります。

実は僕、幼稚園のころ、将来の夢が”恐竜”だったんですよ(笑)。

——それはまた。大きく育つというところは叶いましたね。

マルセル 恐竜になってみんなを食べてやる、と言っていたみたいです。でも小学校2年生くらいの頃にそれは無理だと気づいて(笑)、それじゃあ恐竜を研究する学者になろうと、化石を探すといって庭を掘り、アートみたいなものを作ったりしているうちに、3年生の頃には芸術家になりたいと言い始めました。

もともとヤマハ音楽教室に通っていたのですが、ちょうどその頃ピアノも習い始めたことで、ピアニストを目指そうと思うようになりました。

——恐竜からのアーティスティックな目覚め……。

マルセル そうなんです。両親はピアノのことはわからないので、プロになる人は友達とも遊ばず練習しないといけないようだから無理だと思ったらしいですが、コンクールを受けたらたまたまうまくいって、そこからピアノのほうに進むことになりました。

地元の音楽高校を卒業するとき、東京の大学に行くことも考えたのですが、いずれパリ音楽院に行きたいと思っていたので、それならそのままパリに行ってしまおうと。

最初はオリヴィエ・ギャルドン先生に師事し、その後入ったパリ音楽院では、とにかく量を求められる教育方針があまり合わず大変だったのですが、あるとき、レナ・シェレシェフスカヤ先生に出会いました。先生からは、すべてを学びましたね。もうほんとうに一から全部。

ホストファミリーの家には犬が2匹と猫が1匹

シェレシェフスカヤ先生からすべてを学んだ

——シェレシェフスカヤ先生の生徒さんはみんな個性的です。教え方は、どんなところが特徴的だと思いますか?

マルセル フランスの多くの先生は、教えるけれどあとはあなたが自分でどうにかしなさいというスタンスなのですが、シェレシェフスカヤ先生は、責任をもって一緒に作品に向き合ってくださいます。例えばコンクールの準備をするときも、一緒に音楽を作ってくれるという感じがあります。

とにかく楽譜を読み込むことを求められて、一つの記号のあるなしも徹底的に守るように言われます。1回のレッスンでもほとんど進まないことばかりなので、本番の前には、全部見てほしいなと思うこともありますけれど(笑)。

——フランスに行って変わったこと、苦労したことはありますか?

マルセル フランスに行けばフランス人の友達がたくさんできるだろうと思っていたら、なかなかそうもいかず孤独だったというのが最初の苦労ですね。

それから20歳くらいになり、講習会でいろいろな先生のレッスンを受けるのですが、いつも良いよとしか言ってもらえず、これ以上どうしたらいいのかわからなくなった時期がありました。

そんなとき、シェレシェフスカヤ先生に出会ったのです。「いいと思うけれど、あなたは国際コンクールでは1次で落ちるタイプね」といわれて。

——足りないものをくれそうな気がしたと。

マルセル はい、ついていったら、本当にいろいろなものをくださいました。

なかでも、まずは弱音で弾いて聴かせられるようにすることを覚えさせられました。それから左右の音のバランス、音を伸ばし続ける技術、その時の耳の使い方も教えてもらいました。もちろん、ちゃんと吸収できるまでは時間がかかりましたけれど。

そこで知ったのは、一部の人が才能でやっているのだろうと思っていたようなことも、実際にはそうではないということ。練習の段階から磨き上げていく方法があるのだと実感しました。

レナ・シェレシェフスカヤ:モスクワ音楽院でレフ・ヴラセンコに師事し、ヤコフ・フリエールからも助言を受ける。旧ソ連、東欧にて活動を展開。1981年に同音楽院で教育、演奏解釈の分野において博士号を取得。翌年モスクワ音楽院附属中央特別音楽学校の教授に就任し、12年間教鞭をとる。1993年フランスのコルマール音楽院教授に就任。現在は、パリ・エコールノルマル、リュエイユ・マルメゾン地方音楽院にて教鞭をとる。また世界中からマスタークラスやコンクール審査員長として招聘されている

オペラが好きだから声をイメージして音を鳴らす

——マルセルさんの演奏は、ダイナミックな音の表現でもどこか気品がありますね。それはどうしてなのでしょう。

マルセル それ、作品によっては、いいことなのかどうかわかりませんけれど(笑)、でも多分、ペダルを踏みすぎないからかなと思います。あとは、うねる表現で勝負していないところはありますね。好きにやりすぎて、結果的に間違ったアクセントになってしまってはいけないので。

それと、オペラがとても好きなことも関係しているかもしれません。例えばモーツァルトの協奏曲などは、オペラからかなりインスピレーションを得ました。オーケストラのように器楽的に弾く人も多いけれど、理想はオペラのように聞こえる、オペラが見える演奏が大好きです。

声をイメージして音を鳴らし、音と音の間のつくりかたを考えると、まったく表現が変わってきます。その表現を意識していると、どうしても鍵盤を叩こうとは思いません。その分、フォルティッシモの時は思い切って鳴らそうと思っていますけれど。

バロックはロックだと思う

——ご自身に近いと感じるのは、どのような作品ですか?

マルセル ラモー、クープラン、バッハなどの古い音楽と、スクリャービンやシマノフスキがすごく好きです。ベートーヴェンも好きです。

——今回のコンクールでも、毎ラウンドではじめのほうにフランスのバロック作品を置いていましたね。

マルセル あれは自分のためですね。バロックってすべてのベースのようなところもありますから、音楽に入り込んでいくには合っているのです。

クラヴサンの作品をピアノで弾くときは、うまくルバートさせながら弾く必要がありますが、その点がすごくロックだと僕は思います。とても自由だから。それで音楽に入っていくことができるのです。

——マルセルさんのフランス作品も素晴らしいですけれど、演奏を聴いていると、やはりロシア系の先生についているのだなと感じられますね。

マルセル 実際、僕はそんなにフランスの影響を受けていないと思います。どうしてもそういうイメージを持たれるのでしょうけれど。フランスものも大好きですが、他にも好きなものはたくさんあります。ラフマニノフも大好きですし。

ホストファミリーと。居心地がよすぎて、帰らなくてはいけないことが寂しい!

無人島に行っても絶対ピアノは練習する

——フランスに留学してから、舞台に立つ気持ちに変化があったタイミングはありますか?

マルセル ちょうど浜松国際ピアノコンクールを受けた頃の24歳くらいから、いろいろな変化がありました。

それまでは、本番では100%が出せるという前提で練習をしていましたが、どんなに練習してもうまくいかないことがあるのだとわかって、今は、本番では40%ぐらいしか出せないかもしれないと想定しながら練習するようになりました。

あとは、ステージでは笑顔を心がけるようになりました。まずは客席のみなさんに、聴いてくれてありがとうという気持ちを持つことが大事かなと。

——音楽家として、これからどうありたいですか? ピアニストというのはとても大変な仕事だと思いますが、何をモチベーションにこの道を進んでいるのでしょうか。

マルセル 僕は、いろいろな表現を探しながら一人で練習をしている時間が本当に好きなんです。それが楽しくてやっていますね。もちろん演奏活動もたくさんしたいのですが、まず好きなのは、表現を探していくこと。そしてそれを共有するということ。自分がやるべきことは、音楽に向き合うということそのものなのだと思っています。

——ということは、誰もいない島に自分とピアノだけあったときに、ピアノを練習しますか?と聞かれたら。

マルセル 絶対練習します!

——聴く人がいないなら弾かない、というピアニストもいるんですよ。

マルセル えー、だってやることないじゃないですか(笑)。泳いで、練習しますね。

日中40度近くになるフォートワース。練習の合間にはプールで犬と泳いで息抜きをした

やっぱり日本が大好き

——マルセルさんは独特の感性の持ち主だと思うのですが、これまでを振り返って、それを培ったもの、影響されていることはなんだったと思いますか?

マルセル 日本で、しかも東京ではなく地方の街で母親がフランス人だと、やはり目立つし、いろいろ言われることもありました。子ども同士の喧嘩の冗談でも、“フランスに帰れ!”なんて言われると、やっぱり悲しいんです。母とはフランス語、父とは日本語で話すという家庭環境も特殊で、周りの子たちとは文化が違うということを感じていました。

おかげで目立ちたいという願望は今もまったくなくて、高校生の頃なんて、教室の壁際の隙間で隠れて過ごしていたくらいです……今思うと変な子なんですけれど(笑)。

両親は過保護なところはあるけれど、ピアノに関しては放任主義で、練習しろと言われることがなかったことは、良い影響だったと思います。

——そういうすべてのことが今の音楽をつくっているのですね。では、これからこういう活動をしていきたいという希望はありますか?

マルセル もっと日本で演奏活動をしたいですね。やっぱり日本が大好きですから。フランスよりも、断然日本が好きです(笑)。今は、このホームステイ先が本当に居心地がいいので、ここから帰らなくてはいけないことがとても寂しいですけれど!

 

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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