「痛み」に耐え、到達したバッハの宇宙——映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』
将来を嘱望されながら、ピアニストにとっての「命」である指に問題を抱え、それでも「不屈の精神」で乗り越えてきたジョアン・カルロス・マルティンス。波乱に満ちた彼の人生を描くブラジル映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』(原題『João, o Maestro』)を、数々の名ピアニストを取材してきた高坂はる香さんがレビューします。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
リオ・オリパラで演奏したピアニストが耐えなければいけなかった「痛み」
映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』は、優れたバッハ弾きとして注目されながら、度重なる故障に見舞われ、しかし都度その困難を乗り越えて音楽に生きた、ジョアン・カルロス・マルティンスの物語。
2016年のリオデジャネイロ・パラリンピック開会式で、国歌の演奏を担ったことでも注目されたピアニストだ。映画は、彼の祖国、ブラジルで公開されると大ヒットとなったという。
全編本人の演奏によるサウンドトラック
——芸術は痛みによってのみ完成される。
映画の冒頭に、オスカー・ワイルドのこの言葉が示され、その退廃的な作品と壮絶な生涯が頭に浮かぶ。
マルティンスは、芸術のために一体どんな痛みを経験しなくてはならなかったのか。そんなことを思いながら、主人公の人生を追うことになった。
波乱の人生——天才少年時代、事故による引退、そして復活
1940年、ブラジルに生まれたマルティンスは、病弱な子どもだったが、ピアノを始めるとすぐに頭角を現わし、神童として注目された。そして20歳の頃、ニューヨークのカーネギーホール・デビュー公演を成功させると、世界的に活躍するようになった。
運に恵まれ、努力をかさねてチャンスをものにするさまが、小気味よく描かれていく。アルベルト・ヒナステラ(20世紀アルゼンチンの作曲家)の“無茶振り”を見事にこなすさま、レナード・バーンスタイン(アメリカの指揮者、作曲家、ピアニスト)に紹介されて、すんなり気に入られるさまなど、気持ちが良い。
しかしマルティンスは、「そんなバカな!」というアクシンデントにより、自由に動く指を失ってしまうのだった。観ていて、思わず声が出るワンシーンだ。
懸命のリハビリやギブスの使用でなんとか復帰を果たすも、元のコンディションに戻すことはできない。かつて自らを持ち上げてくれた批評家の記事は足かせとなり、彼の自信を打ち砕く。
一度は演奏活動から引退。年を重ねたマルティンスは、再びピアニストとして復帰し、バッハの全クラヴィーア曲の録音を成し遂げた。
そこに至るまで、心身に傷を負った才能がどのようなことに落ち込み、また勇気付けられているのか、そして、天才は聖人ではないという一面、プレイボーイゆえのいいこと悪いことも描かれる。存命の人物を扱ううえでの制限があったに違いないが、生々しい部分も排除せず扱われている。
指の自由を失っても、鍵盤と音楽から離れない不屈の精神
マルティンスの人生は、その後もまったく順風満帆ではない。次々と不運が襲いかかり、ピアニストにとっての命である手にトラブルを抱え続ける。しかし、どれほど災難が続いても、彼は音楽から離れようとしない。
年を重ね、若いころの頑固さから抜け出し、音楽への愛着——もはや、執着といってもいい揺るぎなさで、音楽と生きる方法を模索するところは、不遇の物語だというのに、心穏やかな気持ちで見ることができる。
10本の指でピアノを弾けなくとも、不屈の精神で音楽に向き合う。むしろ、10本の指で弾くことができないからこそ表現できる音楽があるのだといわんばかりに。
映画本編に使用されている音源は、マルティンス本人による演奏。彼が、肉体的、精神的痛みに耐えながら芸術を極めていくさまを、彼自身の演奏とともに追ってゆく。
本作のブラジルでの公開は2017年。マルティンスはその後、2020年6月に80歳を迎えた。
誕生日を記念する演奏会では、“バイオニック・グローブ”を着用し、両手の指をできる限り駆使してピアノを奏でている。イベントはインターネットで配信され、現在もアーカイブで、彼が慈しむように奏でるバッハの音を聴くことができる。映画のストーリーの先にも、まだ、マルティンスの不屈の物語は続いていたのだった。
サン・パウロのブラデスコ劇場にて行なわれた「マエストロ・ジョアン・カルロス・マルティンス 80歳」と銘打ったコンサート。
バッハの曲はすべての演奏者のためにある
そして最後に余談……序盤、まだ学生のマルティンスに、彼の師が“自分の解釈で弾く”ということについて、こんな言葉で説く場面がある。
「バッハの曲はすべての演奏者のためにある。おかげで、ピアノも売れる」
日々、録音やコンサートですばらしい音楽家の演奏に触れていると、自分が趣味で、うまくもないピアノを弾くことになんの意味があるのかという考えが頭をよぎることもある。
しかしこの、「バッハの曲はすべての演奏者のためにある」という視点に立てば、どうだろう。手元の鍵盤で、バッハの音楽の中にある調和、一つの宇宙を音にして自分なりに楽しむことは、すべての人類に与えられた権利なのかもしれないと思えてくるのだった。
もっとも、芸術の域に達したバッハを奏でるためには、相当の「痛み」に耐えなくてはならないのだということも、この映画はしっかり示してしているけれど。
そんな偉大なるバッハの壮大な宇宙が目の前に広がっていたから、マルティンスは何があっても、音楽から離れようと思わなかったのかもしれない。
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