『マイ・フェア・レディ』の歴史と聴きどころを解説!~階級社会を舞台に描く傑作
音楽の観点からミュージカルの魅力に迫る連載「音楽ファンのためのミュージカル教室」。
第21回は、不朽の名作『マイ・フェア・レディ』! 作曲家フレデリック・ロウの音楽は、ウィーン出身の人気オペレッタ歌手を父にもち、ヨーロッパの影響を感じさせます。台本・作詞のアラン・ジェイ・ラーナーはハーヴァード大学とジュリアード音楽院で学んだ経歴の持ち主。この2人が不朽の名作を生み出した背景と聴きどころをまとめました。2021年11月~2022年1月、帝国劇場をはじめ全国各地で上演!
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...
階級社会や男性優位主義への風刺も含んだ傑作ミュージカル
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原作は、ジョージ・
バーナード・ショーの死後、アラン・ジェイ・ラーナー(台本・作詞)とフレデリック・ロウ(作曲)によってミュージカル化され、1956年3月、ブロードウェイのマーク・ヘリンジャー劇場で開幕し、1962年9月まで当時としては異例のロングランとなった。初演では、イライザ役に、当時まだ無名だったジュリー・アンドリュースが抜擢され、ヒギンズ役をレックス・ハリソンが演じた。
ウィーン出身の両親のもと、ベルリンで生まれ育つ。1925年にニューヨークに招聘されたオペレッタ歌手の父とともに渡米。『マイ・フェア・レディ』をはじめ、『ブリガドーン』、『キャメロット』など、数々のヒットミュージカルを生み出した。
1963年にはジョージ・キューカー監督によって映画化され、クラシック指揮者としても有名なアンドレ・プレヴィンが編曲・指揮を担った。ヒロインはオードリー・ヘプバーン(ただし、歌のほとんどの部分は、マーニ・ニクソンが吹き替え)が演じ、ヒギンズ役は舞台と同じハリソンが務めた。
映画『マイ・フェア・レディ』予告編
アンドレ・プレヴィンが手がけた映画『マイ・フェア・レディ』サウンドトラック
話し方がその人の階級を示すとされるイギリスの階級社会に対する風刺を含んだ作品。男性優位主義者であるヒギンズ教授の男性目線での女性の自立の物語ではあるが、その男性目線への批判も描かれている。
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』2021年PV
両親からヨーロッパの伝統を受け継いだ作曲者×台本・作詞を手掛けたハーヴァードとジュリアードで学んだ才人
作曲のフレデリック・ロウ(1904~86)は、ウィーン出身の人気オペレッタ歌手であったエドムント・ロウを父に、ベルリンで生まれた。1924年にニューヨークに渡り、1942年に台本作家のアラン・ジェイ・ラーナーと出会い、一緒にミュージカルを作り始めた。1947年、ラーナーとの『ブリガドゥーン』で成功を収める。そして、1956年の『マイ・フェア・レディ』が大ヒット。
『ブリガドゥーン』オリジナル・サウンドトラック
『マイ・フェア・レディ』では、ロウがウィーン出身の両親から受け継いだ、ヨーロッパのオペレッタからの伝統を感じずにはいられない。まさにユーロピアンなブロードウェイ・ミュージカルである。
台本・作詞のアラン・ジェイ・ラーナー(1918~86)は、ニューヨーク生まれ。イギリスで初等教育を受ける。ハーヴァード大学卒業後、ジュリアード音楽院でも学んだ。フレデリック・ロウとのコラボレーションは、1942年の『ライフ・オブ・ザ・パーティ』で始まり、『ホワッツ・アップ?』(1943)、『ザ・デイ・ビフォア・スプリング』(1945)、『ブリガドゥーン』(1947)、『ペイント・ユア・ワゴン』(1951)、『マイ・フェア・レディ』(1956)、『キャメロット』(1960)、『ジジ』(1973)と続いていく。
ミュージカル『ジジ』サウンドトラック
ラーナーは、そのほか、クルト・ワイルと『ラブ・ライフ』(1948)を作り、映画『巴里のアメリカ人』(1951)ではアカデミー賞脚本賞を受賞。
また、同じハーヴァード大学出身のレナード・バーンスタインとの共作も残している。バーンスタインの最後のミュージカルとなった『ペンシルヴァニア通り1600番地』は、『マイ・フェア・レディ』のラーナーと『ウエスト・サイド・ストーリー』のバーンスタインというまさに期待のコラボレーションであったが、開幕からわずか7公演で打ち切られるというブロードウェイ史上に残る失敗作となった。
ラーナーには、『The Musical Theatre : A Celebration(邦題:ミュージカル物語)』というミュージカルの歴史についての本もある。
アンドレ・プレヴィンは、1956年8月に、ドラムスのシェリー・マン、ベースのルロイ・ヴィネガーとともにジャズ・トリオで『マイ・フェア・レディ』を録音。その後、映画化の際に、アレンジャー、オーケストレイター、指揮者を務めたのであった。
アンドレ・プレヴィン、シェリー・マン、ルロイ・ヴィネガーによるジャズ・トリオ
あらすじと聴きどころ
舞台は、20世紀初頭、ロンドンのコヴェント・ガーデン。ロイヤル・オペラ・ハウスの前で、言語学者ヘンリー・ヒギンズ教授は、花売り娘イライザのコックニー訛りのひどい英語に興味を持つ(注:コックニーとはロンドンの労働者階級の言葉)。
ヒギンズは、「なぜ学ぼうとしない?」(Why Can’t The English?)を歌って、友人のヒュー・ピッカリング大佐にイギリス人がちゃんとした英語がしゃべれないことを嘆く。そして、ヒギンズは、自分なら下町娘を舞踏会に立てる貴婦人に仕立てることができると豪語する。その言葉を聞いたイライザは興味津々。
上流階級の生活に憧れるイライザは、暖かい部屋でたくさんのチョコレートを食べる幸せを夢見て「だったらいいな」(Wouldn’t It Be Loverly?)を歌う。
『マイ・フェア・レディ』より「なぜ学ぼうとしない?」、「だったらいいな」
翌日、イライザは、ヒギンズの家を訪ね、レッスン料を払うから正しい話し方を教えてほしいと申し出る。ヒギンズとピカリングは、下町娘を貴婦人に仕立てることで賭けをすることを思い立つ。
ヒギンズ邸に住み込んでの単調なレッスンにいら立つイライザ。「みてろシギンズ」(Just You Wait)では、「エンリー・イギンズ」(「H」を発音しない)や「ワイト」(「Wait」の「ai」を「アイ」と発音する)などのコックニーを聴くことができる。
『マイ・フェア・レディ』より「みてろシギンズ」
写真提供:東宝演劇部
数ケ月後、とうとうイライザは正しい発音をマスターする。「レイン」や「スペイン」などの言葉で、イライザが、「ai」を「アイ」と発音せず、正しく発音する「日向のひなげし」(The Rain in Spain)。喜びにあふれるイライザは、「じっとしていられない(踊り明かそう)」(I Could Have Danced All Night)を歌う。このミュージカルのなかでもっとも有名なナンバーで、単独でもしばしば歌われる。
『マイ・フェア・レディ』より「日向のひなげし」「じっとしていられない(踊り明かそう)」
イライザは、ヒギンズの母が持つ、紳士淑女の社交場であるアスコット競馬場のボックスに連れていかれ、社交界にデビューする。しかし彼女はレース中に汚い言葉をはいてしまう。それでも同じボックスにいた名家の御曹司フレディは、美しく変身したイライザに一目ぼれする。
この失敗を糧に再びレッスンに取り組んだイライザは、トランシルヴァニア大使館での舞踏会でリベンジする。上品なレディとなった彼女はトランシルヴァニアの皇太子の踊りの相手までするのであった。
ヒギンズは自宅に戻り、ピカリングと「やったぞ!」(You Did It)を歌って、“実験”の成功を喜ぶ。彼らの会話を聞いて、自分が実験台にすぎないことに気づいたイライザは、家を出ていく。
『マイ・フェア・レディ』より「やったぞ!」
ヒギンズはイライザが出ていったことに驚き、「男性賛歌」(A Hymn To Him)を歌う。
ヒギンズと再会したイライザは、「あなたなしで」(Without You)を歌い、「あなたなしでもひとりでやっていけます」と宣言する。
イライザに去られたヒギンズは、彼女のことが忘れられない。そして……。
『マイ・フェア・レディ』より「男性賛歌」、「あなたなしで」
日時:
【東京公演】2021年11月14日~28日
【埼玉公演】2021年12月4日
【札幌公演】2021年12月17日~20日
【山形公演】2021年12月25日~26日
【静岡公演】2022年1月1日~3日
【愛知公演】2022年1月6日~7日
【大阪公演】2022年1月12日~14日
【博多公演】2022年1月19日~28日
脚本/歌詞: アラン・ジェイ・ラーナー
音楽: フレデリック・ロウ
翻訳/訳詞/演出: G2
出演: 神田沙也加/朝夏まなと 、寺脇康文/別所哲也、相島一之 、今井清隆、前山剛久/寺西拓人、春風ひとみ、伊東弘美、前田美波里、ほか
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