アポロ——主神ゼウスの息子で秩序を重んじる光と神託の神
作曲家が題材にしている古代ギリシャやローマ神話の神々を、キャラクターやストーリー、音楽作品から深掘りする連載。
第5回は主神ゼウスの息子・アポロ。秩序を重んじ、調和のとれた美の象徴……なのに、恋では過ちをおかしがち!? ストラヴィンスキー、リヒャルト・シュトラウス、クセナキスの作品から深堀りします。
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
秩序を重んじ、調和のとれた美を体現するアポロ
今回登場する神様はアポロ(アポロン)。光と神託の神であるアポロは、主神ゼウスと女神レトの間に生まれた。アポロの役目は、父ゼウスの意思を人間たちに伝えること。ゼウスの命によりデルフォイの神託所の主を務め、神殿の入り口に「汝、自身を知れ」という箴言(しんげん)を掲げた。神託を聞きにやってきた人間に対して「お前たちはただの人間である。神ではない」と戒めているのである。
この箴言からもわかるように、アポロは秩序を重んじていた。よく音楽や美術の分野で「アポロン的」「デュオニソス的」といった対比が用いられるが、アポロは秩序だった調和のとれた美しさを体現している。前回ご紹介したデュオニソス(バッカス)の陶酔的で衝動的な世界とは正反対なのだ。
(17世紀、スウェーデン国立美術館所蔵)
秩序と均整がもたらす純化された美の世界を求めたストラヴィンスキーのバレエ
そんなアポロを題材としたバレエ音楽を書いたのはストラヴィンスキー。1928年に初演されたバレエ《ミューズを率いるアポロ》では、ミューズたちに芸術を手引きするアポロの姿が描かれる。
ミューズというのは特定のひとりの神を指すのではなく、文芸を司る女神たちを指す。ストラヴィンスキーはミューズのなかから3人を選んだ。詩とリズムを司るカリオペ、演技を司るポリュムニア、舞踊を司るテルプシコレ。レトより誕生したアポロが、ミューズたちをパルナッソスの山へと導く。
ニューヨーク・シティ・バレエによる《ミューズを率いるアポロ》(1965年)
新古典主義時代のストラヴィンスキーがこのバレエに求めたのは、まさにアポロン的な秩序と均整がもたらす純化された美の世界。そのためには過剰な色彩や装飾は無用と考え、ストラヴィンスキーはオーケストラに弦楽器のみを用いることに決めた。しかも、編成は小さい。
クレンペラーがベルリンでこの曲を指揮した際、リハーサルに立ち会っていたストラヴィンスキーは最初の数小節を耳にしただけで、くらくらしてしまう。第1ヴァイオリンが16台という大きな編成だったからだ。これではアポロン的ではない。そこで第1ヴァイオリン8台にサイズを落としたところ、たちまち透明感のある響きが生まれ、作曲者は満足した。同じバレエ音楽でも、巨大編成の《春の祭典》で荒ぶっていた頃とはすっかり作風が変わっている。
アポロの恋その1:美しいニンフのダフネ~潔癖なのにつきまとって月桂冠の元ネタ誕生
アポロは男性美の化身とされている。理想の美青年となれば、もちろん女性たちにはモテモテのはず。ところがアポロはまちがった相手に恋してしまう傾向があるようだ。
たとえば美しいニンフ、ダフネ。ダフネは潔癖で男性を寄せ付けず、まるで男のように野山を駆け巡り、狩を楽しんで暮らしていた。アポロはそんなダフネの凛々しさに魅了され、恋に落ちる。アポロはダフネを追いかけ回すが、ダフネのほうはたとえ美青年であっても男に抱かれることなどまっぴらごめん。
そこで、父である河神ペネイオスに、アポロに抱かれないように自分の姿を別のものに変えてほしいと願う。するとダフネの体は堅い樹皮で覆われ、金髪は緑の葉に変わり、やがて月桂樹に変身した。アポロは月桂樹を愛撫するが、樹を花嫁にするわけにはいかない。せめてその葉が枯れることがないようにと、アポロンは月桂樹を冬でも枯れない常緑樹にする。そして人間たちはその枝を編んで月桂冠を作り、勝利の栄冠とすることになった。
このアポロとニンフの物語を題材にしたのがリヒャルト・シュトラウスのオペラ《ダフネ》である。実演に接する機会は多くないものの、録音は何種類かリリースされており、容易に楽しめる。
前述のストラヴィンスキーのバレエ《ミューズを率いるアポロ》から10年後にあたる1938年に初演された作品だが、音楽は後期ロマン派の官能的な響きで彩られ、静的なストラヴィンスキーの世界とはずいぶん異なる。
アポロの恋その2:悲劇の予言者カッサンドラ~プレゼントした予知能力のせいでふられる
アポロが恋した女性には、トロイの王女カッサンドラもいる。カッサンドラといえば悲劇の予言者。アポロは恋の贈り物としてカッサンドラに未来を予知する能力を与える。ところが予知能力を授かったカッサンドラは、自分とアポロンの未来に暗い結末を読みとって、アポロを拒絶してしまう。激怒したアポロはカッサンドラの予言をだれも信じないようにしてしまう。カッサンドラはトロイアの滅亡を予知し、予言によって食い止めようとするが、耳を貸す者はいなかった。
(1806年、キュヒェンガルテン・シュロス・オイティン蔵)
このカッサンドラを主役にした音楽が、クセナキスの「カッサンドラ」である。作曲は1987年。バリトンとパーカッションのための作品で、バリトンはファルセットによるカッサンドラ役と通常のバリトン役の1人2役を歌いわける。自らの悲劇的な運命を予知したカッサンドラの「狂乱の場」ともいうべき、迫真のドラマを味わうことができる。
クセナキス:「カッサンドラ」
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