ナルキッソス——自分自身に恋焦がれ、ナルシシズムの語源となった美少年
作曲家が題材にしている古代ギリシャやローマ神話の神々を、キャラクターやストーリー、音楽作品から深掘りする連載。
最終回に登場するのは、ナルキッソス! おなじみのナルシシズムの起源でもある美少年、シマノフスキとブリテンは音楽でどのように表現したのでしょうか?
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
老若男女問わず魅了する美少年
神話には美の化身のような存在がたびたび登場するが、その中でも究極の存在ともいえるのがナルキッソス(ナーシサス)だろう。「ナルシシズム」の語源になったほどの美少年で、女も男も魅了されてしまう。
そんなナルキッソスに夢中になった妖精のひとりがエーコー。エーコーはもともとおしゃべり好きだったのだが、それが災いのもととなりゼウスの妻ヘーラーの怒りを買ったため、他人の言葉をくりかえすことしかできなくなってしまう(つまりエコー、木霊である)。エーコーはナルキッソスのことを追いかけるが、自分から話しかけることができない。あるとき狩りに出たナルキッソスは仲間からはぐれ、「だれか、いる?」と尋ねた。エーコーは「いる!」と返事ができた。ナルキッソスが「ここだよ」と言うと、エーコーは「ここだよ」と答え、ナルキッソスが「一緒に行こう」と話しかけるとエーコーは喜んで「一緒に行こう」と答えた。
しかし、エーコーは相手の言葉を返すことしかできない。ナルキッソスはすぐにエーコーをはねつけてしまう。ナルキッソスが森の妖精たちを次々と冷淡にあしらったため、復讐の女神ネメシスは、無情なナルキッソスが報われない恋に苦しむように罰する。
自分の顔にうっとり、これぞナルシストの原型!
あるとき、狩りと暑さで喉の渇きを覚えたナルキッソスは、澄み切った泉の水を飲もうと身をかがめた。水面に映されたのは美しい自分の姿。その姿を泉に住む水の精だと思い、目が離せなくなってしまう。口づけをしようと水面に唇を近づけ、相手を抱きしめようと水の中に手を伸ばすが、相手の姿は消えてしまう。しばらくするとまた水面に美しい姿が映るが、なんど手を伸ばしても触れることができない。
恋焦がれるあまり、ナルキッソスは寝食を忘れて、水面に映った自分の姿を見つめ続ける。やがて痩せ衰えたナルキッソスは姿を消し、そこには水仙の花が咲いていた。水仙が英語でnarcissusと呼ばれるのは、この逸話に由来する。
あまりの美しさに音楽で表現するのは難題!? シマノフスキとブリテンによる好例
それほどまでに美しいナルキッソスの姿を音楽でどう表現するのか。これはなかなかの難題だろう。ナルキッソスを題材にした音楽は決して少なくないのだが、成功例として挙げたいのはシマノフスキとブリテンが作曲した2曲の小品だ。
20世紀ポーランドの作曲家、カロル・シマノフスキはヴァイオリンとピアノのための《神話》作品30を作曲した。ギリシア神話を題材とした全3曲のうち、第2曲が「ナルキッソス」と題されている。ナルキッソス役はヴァイオリンだ。印象派風のピアノ・パートは揺らめく水面のようであり、官能的な独奏ヴァイオリンは自身の姿に心を奪われるナルキッソスのように思える。ナルキッソスが息絶えて、水仙に姿を変える様子までが表現されている(たぶん)。
シマノフスキ《神話》より第2曲「ナルキッソス」
もう1曲は20世紀イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの《オウィディウスによる6つのメタモルフォーゼ》作品49(1951)。こちらでナルキッソス役を務めるのはオーボエだ。オウィディウスの著作『変身譚』から6つのエピソードがとりあげられており、その第5曲が「ナルキッソス」(ちなみに当連載に登場した神様を挙げておくと、第1曲が「パン」、第4曲が「バッカス」)。
無伴奏のオーボエ曲で、ナルキッソスが寂しげな旋律で表現される。旋律の断片を弱音で反行させて水面に反射する自身の姿を表現するという趣向になっている。同時にこれはナルキッソスとエーコーの逸話をも連想させる。
ブリテン《オウィディウスによる6つのメタモルフォーゼ》より第5曲「ナルキッソス」
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