読みもの
2019.06.14
6月の特集「夏至」

夏至には魔物が大騒ぎ!? ムソルグスキー《はげ山の一夜》が辿った数奇な運命

ディズニーの名作映画『ファンタジア』の終盤、大きな悪魔が山から現れる印象的なシーンを覚えていらっしゃるでしょうか? そのときに流れていたおどろおどろしくも、かっこいい音楽が今回のテーマ《はげ山の一夜》です。

実はこの曲、聖ヨハネ前夜を描いたものであり、夏至とも密接な関係が。ロシアの作曲家ムソルグスキーがこの題材に魅了され、さまざまなバージョンが生まれることになった経緯をロシア音楽に詳しい増田良介さんが紹介してくれました。

ナビゲーター
増田良介
ナビゲーター
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

イワン・ソコロフ作『イヴァン・クパーラの夜』(1856)

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1940年のディズニー映画『ファンタジア』は、ミッキー・マウスの活躍する《魔法使いの弟子》をはじめ、《春の祭典》や《田園》など、おなじみの名曲を自由なイマジネーションで映像化した傑作として名高い。そしてこの映画のトリを飾った曲こそ、今回のテーマ、ムソルグスキーの《はげ山の一夜》だ。映画ではこの曲の後にシューベルトの《アヴェ・マリア》がくっついているが、あれはまあ実質的に《はげ山》の終結部と言っていいだろう。

巨大な魔王とその手下の魔物たちがうじゃうじゃ出てきて踊り騒ぎ、夜明けとともに消えるストーリーだが、ウィルフレッド・ジャクソン(後年『シンデレラ』や『ピーター・パン』といった名作の共同監督を務めた)の監督したアニメーションはほんとうに見事で、80年経っても色あせない美しさと迫力がある。

歴史の中で結び付けられた「夏至」と「聖ヨハネの日」

さて、《はげ山の一夜》は夏至と関係のある音楽だ。といっても日本でそれが意識されることはあまりないようだ。無理もない。考えてみれば、冬至にはカボチャを食べたりゆず湯に入ったりするが、日本の夏至にはめぼしい行事がない。関西ではタコを食べたりするところもあるが、それほど一般的でもないだろう。田植えの時期で忙しくて行事どころではなかったのだろうか。

それはともかく、ヨーロッパには夏至の祭りが多い。多くはキリスト教以前の信仰に由来を持ち、火を炊くことが重要な行事となっている。この日を境に太陽がだんだん弱って昼が短くなる日だから、火を炊いて太陽を元気づけるのだ。やがてキリスト教が広まると、偶然にも聖ヨハネの日(6月24日)が夏至に近かったため、両者は結びつけられるようになる。なお、このヨハネは、イエスの弟子のヨハネではなく、洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)のほうだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『洗礼者聖ヨハネ』6月24日は聖ヨハネの誕生日とされ、多くのキリスト教会で祭日になっている。
カラバッジョ作『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』ヘロディアスとその娘サロメによる聖ヨハネ斬首のエピソードを描いている。

ロシアやウクライナ、ベラルーシなどで行なわれる「イヴァン・クパーラ祭」は、代表的な夏至の祭りのひとつだ。イヴァン・クパーラとはまさに洗礼者ヨハネのことなので、「聖ヨハネ祭」と訳されることもある。地域や時代によって多少の違いがあるが、この日の夜、たき火をしてそのまわりで踊ったり、火を飛び越えたりするというのはほぼ共通している。この日の深夜にだけシダの花が咲いて財宝のありかを教えてくれるとか、この日の夜には魔物が出て大騒ぎするとか、言い伝えもいろいろある。

シャルル・コッテ作『聖ヨハネの火祭り』(1901)

その、魔物が出るという言い伝えをもとに書かれた音楽が《はげ山の一夜》だ。曲そのものは、いろいろなところでおどろおどろしいBGMとして使われて、多くの人に知られている。ところがこの曲、実はとても長くて複雑な、そしてちょっと気の毒な歴史をもっているのだ。

天才ムソルグスキーが生涯執着した『はげ山の一夜』

ロシア史上屈指の天才作曲家ムソルグスキー(1839-1881)が最初にこの曲を構想したのは、まだ19歳のころだった。この伝説を扱った、ゴーゴリの『イヴァン・クパーラ前夜』という小説をオペラ化して、その中で使おうとしたのだ。だがこれは実現しなかった。

しかし魔物たちの大騒ぎを音楽で描くというアイディアを彼は捨てなかった。1860年にも友人の書いた『魔女』という劇のために大騒ぎ場面を作曲しようと試みるがこれも立ち消えとなる。結局これが、交響詩《はげ山における聖ヨハネ祭前夜》として完成したのは、1867年6月23日、つまりまさにイヴァン・クパーラの夜だった。魔女たちがぺちゃくちゃしゃべっているところに魔王が現れると、魔女たちが魔王を讃え、大騒ぎが続く(最後まで夜は明けない!)というこの曲は、あまりにも独創的過ぎたのか、尊敬する先輩作曲家バラキレフにきつくダメ出しされ、結局お蔵入りになる。

モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)
ミリイ・バラキレフ(1837-1910)

しかしムソルグスキーはあきらめない。その後も、5人の作曲家が分担して作曲する予定だったオペラ=バレエ《ムラダ》(1872)に、《はげ山》合唱を加えたものをはめ込もうとしたり、歌劇《ソローチンツィの定期市》(1880)の中で、主人公が見る夢の情景として使おうとしたりした。しかしこれらはいずれも未完に終わり、結局《はげ山》が作曲者の生前に日の目を見ることはなかった。

調和のとれたリムスキ=コルサコフ版と荒々しいムソルグスキーのオリジナル

この曲が知られるようになったのは、ムソルグスキーの死後、1886年のことだ。友人だったリムスキー=コルサコフが、《ソローチンツィの定期市》の中の合唱付きバージョンを編曲して交響詩としたのだ。これは、ちゃんと最後に夜が明ける穏当なストーリーだったし(これはムソルグスキー自身の変更)、リムスキー=コルサコフの調和の取れたオーケストレーションも巧みだったので、世界中で広く親しまれるようになる。

リムスキー=コルサコフ編曲版

《はげ山》とは、こういうことだとずっとみんな思っていた。実際これも悪くないが、オリジナルと比べると、背徳的な小説の教科書用リライトみたいだ。

ところが話はここで終わらない。リムスキー=コルサコフらがムソルグスキーのオーケストレーションは下手だ下手だと言っていたこともあり、人々はリムスキー=コルサコフ版で満足していたのだが、1968年になって、ムソルグスキー自身の書いた楽譜が作曲から101年経ってはじめて出版されると(演奏は何度かされていたらしい)、その荒々しく独創的な音楽に多くの人が驚いた。そして、そのワイルドな魅力にすっかりやられてしまい、おとなしいリムスキー=コルサコフ版には二度と戻れなくなってしまった。

オリジナル版

ムソルグスキー自身が完成させた版。荒々しく粗野な音楽がなんとも魅力的だ。

ということで現在は、1世紀にわたって眠っていたこのオリジナル版が、リムスキー=コルサコフ版に取って代わろうとしている。ムソルグスキーの夜は、ようやく明けようとしているというわけだ。

まだまだあります! さまざまな《はげ山》

合唱付き版

歌劇《ソローチンツィの定期市》に入れるために編曲した版。オーケストレーションは他人の手によるものだが、最後に穏やかな部分を付けたのは作曲者本人だ。

ストコフスキー編曲版

『ファンタジア』で指揮をしていたストコフスキーは編曲の名手でもあった。これは『アヴェ・マリア』こそついていないが、やりたい放題のオーケストレーションはとても楽しい。

冨田勲版

他の楽器への編曲では、やっぱり冨田勲版だろう。今聴くとレトロ・フューチャー的なシンセサイザーの音が実にいい。

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増田良介
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増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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