アルフレッド・コルトー来日、ショパン「24の前奏曲」と「練習曲集」24曲を一夜で演奏
日本で最初の音楽カメラマンといわれる小原敬司(おはら けいじ/1896-1986)が記録した膨大な数の写真のネガ約24万コマが、昭和音楽大学附属図書館に所蔵されています。
6年ほど前から少しずつ、そのアーカイヴをリサーチしてきた林田直樹さんが、その1枚1枚を丁寧に見てきた中で、これは特に重要と考えられるカットをこの連載でご紹介していきます。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
サンフランシスコ講和条約が発効して間もない1952年(昭和27年)9月25日、フランスの大ピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)が羽田着のパン・アメリカン機で到着した。翌26日は、午後3時より宿泊先の帝国ホテルで記者らとの会見がおこなわれた。この日はちょうど、コルトーの75歳の誕生日でもあった。
コルトーはピアニストというだけでなく、熱心なワグネリアンとしても知られ、《トリスタンとイゾルデ》《神々の黄昏》フランス初演を手掛けたほどの指揮者でもあった。ヴァイオリンのジャック・ティボー、チェロのパブロ・カザルスとの三重奏も人気が高く、ヨーロッパを代表する大演奏家の来日に、音楽ファンは大いに沸いた。
招聘は朝日新聞社。当時の社主・村山長挙(ながたか)の妻・藤子夫人が中心となって、フランス大使館関係者も招いての盛大な歓迎レセプションが催された。コルトーは昼の取材では平服の背広に蝶タイ、夜のパーティではタキシードに黒蝶タイと洗練された着こなしで、取材陣にも強い印象を与えたようである。
9月30日には1回目のリサイタルが日比谷公会堂でおこなわれた。新着のスタインウェイが舞台に設置され、数種類用意されたプログラムのうちのオール・ショパン・プロで、「24の前奏曲Op.28」、「練習曲集Op.10」「同Op.25」が演奏された。
約2か月におよぶ日本での滞在には、画家の息子ジャンも付き添った。全国各地でのリサイタルのほかに、上田仁(うえだ まさし)指揮東京交響楽団や近衛秀麿指揮東京フィルとの協奏曲、さらにはレイモン・ガロワ=モンブラン(ヴァイオリン)とのコンサート、日本ビクター築地スタジオでのレコーディングもおこなわれた。75歳とは思えぬ精力的なツアーであった。
再び日比谷公会堂で11月23日におこなわれた「告別演奏会」では、演奏終了後に何人もの振り袖姿の少女たちや正装の少年が次々と花束をコルトーに手渡した(離日は12月10日)。戦時中の対独協力を問われてフランス本国では不遇でもあったコルトーにとって、日本滞在は良き思い出になったことだろう。
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly