読みもの
2024.02.22
音楽写真家・小原敬司が撮影した伝説の音楽家たち #4

ついにバックハウスが来日。桜の季節に楽しんだ日本文化

日本で最初の音楽カメラマンといわれる小原敬司(おはら けいじ/1896-1986)が記録した膨大な数の写真のネガ約24万コマが、昭和音楽大学附属図書館に所蔵されています。
6年ほど前から少しずつ、そのアーカイヴをリサーチしてきた林田直樹さんが、その1枚1枚を丁寧に見てきた中で、これは特に重要と考えられるカットをこの連載でご紹介していきます。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

©昭和音楽大学 撮影/小原敬司 ※禁転載(記事中の写真はコピーや不正利用を固くお断りいたします)

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朝日新聞社がコルトーを1952年(昭和27年)に、翌年に読売新聞社がギーゼキングを招聘し、さらに翌々年に毎日新聞社も負けじとばかりに招聘したのが、ドイツ出身の大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)であった。それはさながら大手新聞各社による人気ピアニスト争奪戦の様相を呈していた。

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当時のマスコミにとって、海外の一流の文化を象徴するクラシック演奏家は、大きなアピールとなる要素であったのだろう。それは、敗戦の記憶からまだ間もない昭和20年代の終わりにあって、音楽ファンにとって大きな夢を見せてくれる出来事でもあった。

1954年(昭和29年)4月5日午前11時10分。バックハウスはパン・アメリカン航空機で羽田に到着、同午後3時から帝国ホテルのロビーで記者たちに車座になって囲まれる形式による会見を行なった。来日公演を告知する新聞を手にして微笑む様子はかなりリラックスした雰囲気であった。

1954年(昭和29年)4月5日、帝国ホテルのロビーで記者会見に応じたヴィルヘルム・バックハウス。来日時に小原敬司が撮影した多数のスナップショットのうちでもっとも鮮明に映っている1枚 ©昭和音楽大学 撮影/小原敬司 ※禁転載

歓迎レセプションには錚々たる人々が集まった。高松宮宜仁親王殿下および高松宮喜久子妃殿下、そして旧李氏朝鮮王室最後の皇太子で終戦まで日本の皇族でもあった李王垠殿下および李方子妃殿下、緒方竹虎副総理、芦田均元総理、財界代表として藤山愛一郎。クラシック音楽界からは、音楽評論家で「銭形平次捕物帳」の作者・野村胡堂の名でも活躍する野村あらえびす、武蔵野音楽大学学長の福井直秋、テノール歌手の藤原義江、ピアニスト安川加壽子らも顔を揃えた。

4月9日に日比谷公会堂でおこなわれたリサイタルでは、桜の季節にちなんで、舞台には大きな桜の生け花が飾られ、演奏後には華やかな着物を着た子どもたちが花束を贈呈した。12日、日比谷公会堂での上田仁指揮東京交響楽団の第61回定期演奏会では、ブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」を演奏。楽屋にはサインを求めるファンが長蛇の列を作り、バックハウスもそれに応じた。

13日には国鉄の特急「はと」に乗車して西へ向かい、リサイタル・ツアーへと出発。東京駅でのスナップショットは貴重な1枚である。地方都市での公演を終えて東京に戻ったバックハウスは5月2日に日比谷公会堂でリサイタル、3日には同じ会場で再び上田仁指揮東京交響楽団との「協奏曲の夕べ」でベートーヴェンの《皇帝》を演奏した。

1954年(昭和29年)4月13日、東京駅にて、国鉄特急「はと」に乗車して関西方面への演奏旅行に向かうバックハウス。最後部デッキにて ©昭和音楽大学 撮影/小原敬司 ※禁転載

約1か月の滞在中にはさまざまな日本文化に触れる機会も多く、日本舞踊を鑑賞するバックハウス夫妻の姿も撮影されている。

「鍵盤上の獅子王」の名で知られる巨匠だが、いずれの写真からも伝わってくるのは洒脱な装いに身を包んだ上品な紳士の姿である。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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