読みもの
2019.03.28
オントリちゃんとゆく! 日本全国オンガクの旅 File.05 後編

地球から生まれた楽器をこれからも磨き続ける――香川県坂出市で「サヌカイト」のルーツに出会う旅

打楽器奏者、小松玲子さんのもとで「サヌカイト」について学び、響きを聴いた小島さんとオントリちゃん。次に向かったのは香川県坂出市にある、サヌカイトの聖地・金山。

そこで出会ったのは小松さんと同じく石の不思議な力に集まった、サヌカイトを愛する人々でした。さまざまな試行錯誤を経て今の形になった楽器は、今までも、そして、これからも人々を魅了し、進化していくようです。オントリちゃんと一緒に千万年の音を巡る旅に出かけましょう。

小島綾野
小島綾野 音楽ライター

専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...

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古代からサヌカイトとともにある聖地・金山へ

瀬戸大橋のたもと、香川県坂出市に前田宗一さんを訪ねた。

サヌカイトのいくつかある産地のひとつ、金山は瀬戸内海を望む小さな山。小松さんの楽器の生まれ故郷だ。宗一さんの案内で、金山に設えられた「けいの里」を拝見。折しも季節は晩秋、落ち葉が敷き詰められた山の歩き心地はとても軟らかい。

「けい」は漢字で書くと「磬」。古代中国で使われていた石の楽器のことだ。この石ももちろんサヌカイト。

けいの里に置かれた建物は、サヌカイトの開発をする研究所と展示室、それから小規模なコンサートができるホール。採石場というものはない。サヌカイトを含んだ地質が山崩れによって露出し、大小の石になってそこここに転がっているからだ。だから採取のために環境に手を入れることはない。

石としてのサヌカイト自体は、古代からこの地の暮らしのなかにあった。

石器時代には矢じりなどの材料として重宝され、それが東は新潟・南は鹿児島でも発見されて、古代人の移動や交易を探る手掛かりともなっている。また、香川の住民や子どもたちには「カンカン石」の愛称で親しまれ、郷土学習などでおなじみだそう。

金山には、空海が開いたとされる瑠璃光寺がけいの里に隣接し、伝説のなかで日本武尊の息子・武殻王が兵士を伴って魚の魔物を退治した折、魔物の毒にやられた兵士を救った聖なる水……が湧いたとされる泉もある。

第2次世界大戦中にはアルミの原料となるボーキサイトの採掘も行なわれたそうだが、やがて縁あって、地元で建設会社を営んでいた故・前田仁さんが金山を購入することになった。

とはいえ当初は、資材にも使いでのないサヌカイトばかりが転がる山の扱いを考えあぐねていたそう。だが仁さんは優れた経営者であり、科学者であり、技術者であり、そして開拓者であった。サヌカイトの「たたくといい音が鳴る」という特徴を社会へ最大限生かせる道を探り、楽器開発に取り組み始めた。今からおよそ40年前のことだ。

けいの里(香川県資源研究所)。風の音や鳥の声、山の匂いに包まれて。

石の魅力を引き出すために試行錯誤する「石に選ばれた」人々

けいの里の展示室には、サヌカイトでつくられたさまざまな楽器が並べられている。小松さんが演奏している円柱状の楽器は、正式には「SOU」という名前。

一枚板を吊り下げ、そこに文様のごとく渦巻の切れ込みが入った楽器からは、銅鑼やお寺の梵鐘のような重低音が響く。可愛らしい高音域の「SOU」からは想像のつかない音だが、温かく包み込まれるような余韻はやはり同じだ。

見た目とは裏腹に、体中を震わすような重低音。渦巻状に切れ目を入れることで長い長い1本の石になっているからだ

打楽器だけでなく、サヌカイトの能管などもある。そして、鉄琴のような音盤をサヌカイトでつくり、それをコンピュータで制御する爪がはじくという自動演奏機も。山に転がっていた石に、楽器としての新たな命を吹き込む……静かな展示室には、その足跡がたくさん詰まっている。

仁さんは工学を修めたあと、その博学と慧眼、人徳で建設会社を成功させた名士だったが、音楽にはからきし疎かったという。また、仁さんが技術面で楽器製作を任せたのも、その会社でプラスチックの加工にあたっていた職人だった。

材料を扱う心や腕は確かだが、音楽は全然わからない……そんなコンビで始めた楽器開発。「だからこそ人の話を素直に聞き、吸収できたのだとも思うし、楽器づくりにもまったく違う発想が出せたのでしょう」と宗一さんは当時を振り返る。

特に「SOU」の不思議なところは中心部の構造。最初は単なるお椀型にサヌカイトを切り出してみた。寺院の鐘のようでいかにも響きそうだが、なぜかまったく音が出なかった。度重なる試行錯誤の末、円筒形に切り出し、その中央に柱のような部分を残すことで、今の「SOU」の筆舌に尽くしがたい音色が誕生した。サヌカイトをそのような形に加工できるのも、職人による高い技術があってのことだった。

中国の楽器「磬」をサヌカイトで復元したもの。台湾の学者らも力を貸したそう

また、実にさまざまな人々が金山と仁さんを訪れ、力を貸した。考古学者や地質学者は歴史的・科学的な側面からサヌカイトを研究し、工学者や職人は技術を提案した。開発のための機材なども一からつくらねばならなかったが、地元の電気技師が快く協力してくれた。楽器を吊るすスタンドなどは、鉄工所の知り合いが請け負ってくれた。小松さんのような演奏家やマスコミなど、この音を社会に届ける役割を担う人たちも……もちろんそこに悪い人はいない。なぜなら「石に選ばれた」人々なのだから。

仁さん自身も開発に没頭した。サヌカイトの音形を自ら研究し、あらゆる書物を読み耽って膨大な知識を得ていた。思想的な見識を深めるため、まだ瀬戸大橋のない時代に連絡船で海を渡り、京都まで毎週学びに通っていたこともある。自分を磨き続け、周囲に惜しみなく愛情を注ぐ……深淵なる智慧と高い人格を併せもつ仁さんだからこそ、各界から優れた人々が集い、その結果として今、世にも美しいサヌカイトの音色が我々の耳に響く。「石があっても1人では何もできない。だけど、人との巡り合いで新しいものを生み出せたんです」と宗一さん。

仁さんと宗一さんが最初につくったサヌカイトの楽器。当初は吊るすのではなく、グロッケンなどと同じような構造だった

この先もサヌカイトと対話し、共に歩む

併設するコンサートホールで話の続きを伺った。ガラス張りの温室のようなホールは、山に降り注ぐ陽光と周囲の木々、自然と一体化して音楽を味わえるユニークな作り。小松さんも「ここで演奏するサヌカイトが一番いい音」と語っていた。ステージにはグランドピアノが置かれ、室内楽やジャズなどのコンサートも時々行なわれるそう。

仁さんの息子である宗一さんも、また多芸多才な技術者・実業家だ。かつてはソフトウェア開発の会社も経営していたが、その一方でサヌカイトの未来を探り続けた。展示室にある自動演奏機も宗一さんによるものだし、小松さんがリリースしたCDのプロデュースも手掛けている。

堪能な語学力を活かし、サヌカイトをヨーロッパやアメリカ、アジアの各国で紹介する役目もたびたび担った。「ストーンヘンジでも演奏しました。イギリス政府がかの地での演奏を認めたのは初めてだったと聞いていますが、そうやって人を動かしたのもまた石の力だと思います」。サヌカイトが自分を各国に導き、稀少なる体験と興奮に満ちた人生を与えてくれたのだと、宗一さんは捉えている。

今は楽器の精度を高めることと、サヌカイトの新たな楽器を開発すること、サヌカイトの音を子どもたちの役に立てることなどが目標だ。「確かに僕が一から選んだ道ではない。だけど、サヌカイトを僕がやるのは宿命だと思っているので、どんなことがあっても走り続けるつもりです。父もたまたまこの山に縁があったのだから、自分で道を選んだというよりは石に選ばれたんだと思うし、僕はその息子だっただけ。だから、石が『おまえがやれ』と言ってくれているかはわからないし、『誰かほかの人に頼めよ』と思っているのかもしれないけれど」と、返事のない対話を石と重ね、石に問いかけながら、己が信じる道を真摯に歩み続けている。

自然光と緑があふれる植物園のようなホール。自然の中で音楽を楽しむ

千万年の時を超えてこの地に在るサヌカイト、そして「石に選ばれた」人々による、楽器づくり・楽器との関わりの物語……。だが「まだたった40年。ピアノもヴァイオリンも、何百年もかかって今の形になっているのだから、地道に進めばいいと思っています」という宗一さんの言葉に某はハッとした。日頃、当然のように接している楽器もあまねく、素材と人との出逢いから生まれ、幾世代もの人々が情熱をかけた試行錯誤を繰り返し、歴史を重ねて我々の手元に辿り着き、音を奏でているのだ。そしてその素材となる植物も動物も金属も石も(合成樹脂や化学繊維なら石油も)、元を辿ればすべて自然・地球にルーツを持つもの。そう考えると究極的には、あらゆる楽器の音とは地球と人との奇跡のハーモニー……ともいえるのかもしれない。

小島綾野
小島綾野 音楽ライター

専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...

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