ピェルニク、ポンチュキ、マズレク~ショパンが愛したポーランドのスイーツはどれ?
東京外国語大学大学院修士前期課程修了。ワルシャワ大学音楽学研究所に政府給費留学(2001~03年)。ポーランドの舞曲やモニューシュコを研究。訳書 『ショパン家のワルシ...
ショパンが絶賛したお菓子「ピェルニク」
作曲家の食卓については時おり話題になりますが、ショパンは一体どんな食生活を送っていたのでしょう? 残念なことに手紙など書き残されたものには食についての記述があまりなく、彼が何をどう味わっていたのか、なかなか知ることができません。そんな中で珍しく、彼が多くの紙面を割いて絶賛したスイーツがあるんです。せっかくですからその手紙の一部を読んでみましょう。
[…]しかしコペルニクスは放っておいて、ピェルニク・トルンスキの話に移る。ひょっとして君はピェルニク・トルンスキのことをあまりよく、コペルニクスほどには知らないのではないかということもあるので、これに関する重要な知識を伝授しよう。[…]その知識とは以下のとおり。当地ピェルニク業者の慣習にもとづけば、ピェルニク用の店〔たな〕とは、種類別にダース単位でまとめられたピェルニクが鎮座まします箱を厳重に施錠して並べた、通りに面した場所を言う。[…]僕がトルンについて書けることはこれですべてで、[…]最大のインプレッション、換言すれば印象をもたらしたのはピェルニクだったということだけは書いておく。もちろん町の要塞設備も、町のあらゆる場所から、あらゆるディテールも含めてすべて見たし、[…]他にも、一つは一二三一年に建立されたという、ドイツ騎士団の寄進造営にかかるゴチック造りの教会もあれこれ見た。傾いた塔も、有名な市庁舎の外も中も見た。[…]だがすべてをもってしても、あのピェルニクには、そう、ピェルニクには及ばない。一つをワルシャワにも送った。[…]
(1825年9月前半、友人のヤン・マトゥシンスキ宛書簡。関口時正訳。岩波書店『ショパン全書簡~ポーランド時代~』より)
文面に何度も登場するこの「ピェルニク(piernik)」、ショパンをこれほど感動させるとは、一体どんなお菓子なのでしょう!?
ピェルニクは、ワルシャワから北西方向に下ったヴィスワ川の畔に位置する都市トルン(Toruń)の名物で、小麦粉やライ麦粉に、蜂蜜、シナモンやショウガを中心に、コショウ、クローブ、カルダモンなど多くの香辛料を練り込んで焼いたジンジャーブレッドです。ショパンはこうしたスパイスの香しさや味わいに魅せられたのかもしれませんね。
ピェルニクにはしっとりしたソフトタイプのものから硬めのクッキーのようなものまであり、またチョコがけやアイシングでデコレーションしたもの、中にジャムを入れたものなどさまざまなヴァリエーションがあります。そのままお菓子として味わうのはもちろんのこと、伝統的な型で焼き上げた超ハードタイプのものなどは、なんと十年単位で日持ち(!)するので、クリスマス・ツリーのオーナメントや、壁掛けのインテリアとして飾ることもできたりします。
地動説で知られる天文学者コペルニクス(Mikołaj Kopernik)は、1473年2月19日にトルンで誕生した。今年は生誕550周年にあたる。手紙の中でショパンが見たと書いている旧市庁舎を含め、中世の街並みをそのまま残すトルンは、旧市街全体が世界遺産に指定されており、かつてドイツ騎士団が築いた煉瓦造りの重厚な建物が立ち並ぶ。街中あちこちにピェルニク屋さんがあり、名物の味を求める観光客でにぎわっている。ショーケースにびっしりと陳列されたピェルニクは圧巻、ショパンならずとも驚嘆せずにはいられないだろう(撮影:S. Odaka)。
ピェルニクの形や大きさはさまざまありますが、特にハート形は伝統的かつ最もポピュラーな形のひとつです。トルンまで足を運ばなくてもスーパーで買える市販品(時には日本の輸入食材店で見かけることも!)の多くもハートです。折しも今は、ポーランド語でwalentynki(ヴァレンティンキ)と呼ばれるヴァレンタイン・デーも近いことから、ピェルニクはプレゼントに重宝されていますよ。
生地をそのまま焼いたオーソドックスなピェルニクはお茶うけにぴったり。表面にデコレーションをほどこして飾り用にしたものなどもある。
ヴァレンタインより大事な「脂の木曜日」はポンチュキ祭り!
でも、あくまでも「恋人たちのためのイベントデー」という位置づけのポーランドのヴァレンタイン、日本のように誰もが盛り上がるわけではないんです。それはなぜかというと……すぐ近い日程で、より伝統的な「脂の木曜日」(tłusty czwartek/トゥウスティ・チュファルテク)があるからではないかと筆者は考えています。
「脂の木曜日」なんて、初めて耳にしたという方がほとんどでしょう。これは復活祭前の節制の期間である「四旬節」が始まる前の最後の木曜日を指します(復活祭が移動祭日のため、脂の木曜日は1月末から3月頭までのいずれかの日にあたる。今年2023年は2月16日)。四旬節を厳格に過ごす場合は、肉はもちろん卵や乳製品も食べないことから、その直前には思いっきり、贅沢な料理やお菓子を食べておこう!というのが「脂の木曜日」のはじまりです。
ポーランドではこの日、皆こぞってポンチュキ(pączki)という揚げ菓子を食べます。中にジャムを詰めた、穴のあいていない丸いドーナツで、フィリングは「薔薇ジャム」が一番オーソドックスですが他にも色々な種類があります。脂の木曜日は朝からお菓子屋さんの前はどこも行列ができ、どの家にもどの職場にもポンチュキが溢れるのです。
舞曲の名前がついたケーキ?!
せっかくなので年中行事にちなんだポーランドのスイーツをもう一つご紹介しておきましょう。実は、トリビアVol.5「ポーランドの民族舞踊」でも取り上げた舞曲、「マズレク(mazurek)」と同じ名前のケーキがあるんです。この「マズレク」は復活祭のときに作られるタルト状のケーキです。ショートブレッド的な生地で底と縁を焼き、その中にチョコレートやキャラメルなどのもったりとしたペーストやジャムをたっぷり敷き詰め、その上にはナッツ類やドライフルーツを使って飾り付けをします。復活祭にちなんだモチーフを表面に描いたりもします。どんなデザインにするかは作り手のセンスがものを言うので、復活祭近くには各地で「イースター・マズレク・コンクール」が開かれるほどなんです!
四旬節を終えて迎える「復活祭」には、人々は晴れてご馳走を堪能します。今まで我慢してきた分を取り戻さんばかりに、こうしたハイカロリーなスイーツや料理がテーブルに所狭しと並ぶのです。このケーキ名と舞曲の「マズレク」との関連は定かでないようですが、少なくともこの甘いことこの上ないマズレクを食べた後には、マズレクの音楽に合わせて飛んだり跳ねたり回転したり、踊ってひと汗流すのはいいアイディアかもしれませんね!
***
冒頭の手紙が書かれたのはショパン15歳のとき。青春時代真っ只中のショパンは、夏休みのたびに学友たちの田舎で過ごした。学友のひとり、ドミニク・ジェヴァノフスキ(Dominik Dziewanowski)の実家があるシャファルニャ(Szafarnia)村には1824、25年と招かれており、同地から西に40㎞ほどの都市トルンに足を向けたのもその滞在中のこと。
シャファルニャや近郊の村々には豊かなフォークロアが息づいており、ショパンはそれらの土地の収穫祭などの場に居合わせ、土着の人々の演奏や歌・踊りを見聞きしただけでなく、実際に楽器を手に取って演奏にも参加したほどだった。
《ロンド・ア・ラ・マズル》op. 5は、こうした農村滞在の記憶も新しい1825、26年頃に作曲されたとされている作品。
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