【連載】プレスラー追っかけ記 No.4
<リサイタル編:その1>
94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...
編集担当さんから「リサイタル編は何回かに分けて掲載しましょう」とお話をいただいたのですが、本番の様子や評論は、その道のプロが執筆した演奏会評(『音楽の友』12月号や新聞など)がすでに出ていますし、いろいろな方があの晩の感動をブログやSNSで熱く語っています。この土俵で語るにはどうすればいいか?と悶々としました。
そこで、この<リサイタル編>では、全く私的な心の動きをお送りすることにしました。演奏会評とは直接関係ありませんが、どれほどの愛情を持って『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』を翻訳してきたかはお分かりいただけるかもしれません(こんな裏側を公表してよいものか自問自答してしまいますが)。</p>
編集担当さんから「リサイタル編は何回かに分けて掲載しましょう」とお話をいただいたのですが、本番の様子や評論は、その道のプロが執筆した演奏会評(『音楽の友』12月号や新聞など)がすでに出ていますし、いろいろな方があの晩の感動をブログやSNSで熱く語っています。この土俵で語るにはどうすればいいか?と悶々としました。
そこで、この<リサイタル編>では、全く私的な心の動きをお送りすることにしました。演奏会評とは直接関係ありませんが、どれほどの愛情を持って『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』を翻訳してきたかはお分かりいただけるかもしれません(こんな裏側を公表してよいものか自問自答してしまいますが)。
あいにくの雨ながら、会場のチケット売り場には当日券を求める人々の行列ができていました。
◇ ◇ ◇
リハーサルの鑑賞を終えて、正直に告白すれば、本番が少し心配になりました。編集担当さんと息をひそめて遠目に見たプレスラーさんは、マスタークラスで会った時よりも随分疲れているように見えたのです。
リハーサル中、ピアノを弾くプレスラーさんの演奏を、後ろに座った秘書の女性がずっと聴いていましたが、時々、短い言葉を交わすのが聞こえてきます。いわく「時間は気にしないでずっと弾いてもいいですよ」というような声がけをすると、プレスラーは「I need to take a rest.(休憩も取らなくちゃ)」と返すのです。
長旅の上に、演奏会前にマスタークラスを行い、方々で面会や打ち合わせもあっただろうし、またNHKの撮影クルーが彼の一挙手一投足をテレビカメラに納めています。年齢を考慮しての余裕を持った来日日程が組まれていたようですが、やはり心身ともにお疲れがたまっていたのだろうと想像します。
余談ですが、その様子が1/7に「メナヘム・プレスラー 音楽への愛 人生への愛」として、また公演の様子は1/31に放映予定とのことです(詳細はNHKのホームページをご覧ください)。できれば、その前に『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』をお読みいただければ、彼の深遠な音楽芸術をより深く味わうこともできるでしょう。
◇ ◇ ◇
とにかく、リハーサルを終えてホールを後にするプレスラーさんを(本人に気付かれないように)見送って、本番までの数時間、編集担当さんと音楽談義に花を咲かせながら遅めの昼食をとり、その後、一人カフェで仕事をしながら待ちました。
とはいえ、数時間なんてあっという間です。なんと言っても、プレスラーの演奏会を待つこと2年半。実は、2015年の公演も(すべて)発売初日にチケットを買っていたのです。
残念ながら、これらの公演は、心臓のバイパス手術のためドクターストップがかかりキャンセルになりましたが、その時は本当に落胆しました。だって普通に考えたら、大手術を終えて90歳を超えての再来日はもうないだろうと…… 誰でも思うはず。
ところが、この大手術を乗り越えて奇跡の再来日を果たすのです。
写真は、公演主催のAMATIのFBより。いかにプレスラーさんの来日を待ちわびている人が多かったのかが、「いいね!」の数からもうかがえます。
ちなみに、後のインタビュー時に主催(AMATI)の方から聞いた話ですが、2015年のキャンセルの後、高齢や体調を心配して声を掛けられずにいたころ、プレスラー本人から連絡がきたのだそうです。「どうして呼ばないんだ?」と。
実は、『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』には、(原書執筆の2008年当時まで)プレスラーは計画されたレッスンや公演を一度もキャンセルしたことがなく、著者のブラウンもその倫理観と責任感の強さに驚かされる、と書かれています(第2章)。インタビュー時に聞いたエピソードからも、プレスラーの音楽家としての実直な姿勢を垣間見ることができるのではないでしょうか。
(つづく)
1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。
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