インタビュー
2018.02.27
~体験談が、近現代ヨーロッパ音楽の史実そのもの~

【連載】プレスラー追っかけ記 No.10
<インタビュー編:その3>

94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。

追っかけた人
瀧川淳
追っかけた人
瀧川淳 翻訳者・国立音楽大学准教授・音楽教育学者

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

(「その2」からつづく)
 それでは、今回のインタビューの内容を少し簡潔(笑)に紹介しましょう。

 そもそも『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』は、著者のブラウンが大学のサバティカル(研究に専念するための長期休暇)の研究テーマとしてプレスラーさんです。

  ブラウンがプレスラーさんのマスタークラスやレッスンをまとめたいと持ちかけると、プレスラーさんは「誰がそんな本に興味を持つんだい?」と最初断ったそうです。すると、ブラウンは「多くの人がプレスラーさんの教えるわざの秘密を知りたいはずだ」と引き下がらなかったとのこと(えらい!ブラウン)。

 そしてブラウンは、プレスラーさんのマスタークラスやレッスンのすべてに付いてきては、鋭い質問を彼に投げかけ、そうして完成したのが『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』です。

原著は、プレスラーさんが教鞭をとっていたインディアナ大学の出版部から出版されましたが、この出版部の話にも及びます。

インディアナ大学出版部には、ハイドン研究者として著名なH. C. ロビンズによるハイドンの全作品とクロニクル(年代記)を網羅した全5巻の大著(H. C. Robbins Landon、 HAYDN: CHRONICLE AND WORKS FIVE (5) VOLUMES、 Indiana University Press、 1980)がありますが、これの出版はプレスラーさんの導きによって実現したそうです。

そしてロビンズが、ハイドンのトリオは(モダン)ピアノではなくフォルテピアノ(イタリアのクリストフォリによって1700年ごろに開発された強弱を表現できる鍵盤楽器で、これが改良を重ねて現代のモダンピアノが生まれた)で演奏されなければいけないと強調したのに対して、プレスラーさんは異を唱えたのだとか。そして、ハイドンのトリオを演奏する自分のトリオの演奏会に招待したところ、ロビンズは驚嘆したというのです。

「今でこそハイドンの全作品を録音もしたし大好きたけど、同時はあまり知らなかったから勉強したんです。そして私は特別な聴き方を発見しました。チェロはいつもピアノの左手と重なるんだけど、チェロが左手の上で弾けるようにピアノを弾いたのです。まあ、ヴァイオリンはいつもソロなんだけどね」。

何十年も前のこともしっかり記憶していて詳らかに語ってくださるため、つい聞き入ってしまう。時間がいくらあっても足りないくらいでした。

そして、話は『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の中でもコラムに取り上げられているスヴャトスラフ・リヒテルにまで及びます(このコラムは、鋼鉄リヒテルの人間的な側面や当時の世界情勢と彼がおかれた状況に光が当てられていて本当に面白い)。

ボザール・トリオは、リヒテルの招待でロシアのプーシキン美術館で開催されていた「12月の夜 December Night」でしばしば演奏する機会を得ていたそうです。プレスラーさん曰く、同美術館はホールが7階にあるにもかかわらず控え室は地下にあり、しかも階段しかなく使い勝手が悪かったのだとか。

ある時、プレスラーさんは、リハーサルの後、控え室へ降りず舞台袖で待機していたところ、そこに「とても若くて愛すべき」貴婦人が訪ねてきたそうです。その貴婦人は、なんと作曲家ショスタコーヴィチの夫人! トリオがショスタコーヴィチのトリオを演奏するので挨拶に訪れたのでしょう。すでにショスタコーヴィチは亡くなっており、夫人は友人たちからパリへ移住するようアドバイスを受けていて、プレスラーさんもその背中を押したのだそうです。その結果、ショスタコーヴィチの作品は広く知られることに――。

プレスラーさんから発せられる言葉は、すべて近現代におけるヨーロッパ音楽の生きた史実で、全く興味が尽きません。

そうそう、インディアナ大学出版部では『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の第2弾がすでに発売を待つばかりと教えてくださいました。そこに掲載されている曲は、今回とは全く異なる楽曲ばかりとのことです。これも楽しみでなりません。

インタビューの終わりに、プレスラーさんは逆に質問を投げかけてきました。
「なぜ君は僕の本を訳そうと思ったんだい? 日本の読者は、私の言わんとしている芸術観やピアノ芸術に対するこだわりをわかってくると思ったからだね?」と。

「もちろん、多くの読者が愛読してくれることを確信していますよ」と僕が答えると、「そうか」と言いながら深くうなずかれ、「私は、ことのほか日本を気に入っています。ピアノ、食べ物、人、すべてが素晴らしい」と述べ、再来日を約束されました


この日本滞在中、エッシェンバッハ指揮/N響のブラームス、ゲルネ(Br)&ヒンターホイザー(p)の「冬の旅」と演奏会にもお出かけになったよう。

さて、これまで10回にわたってプレスラーさん来日中の追っかけ記をお届けしてきましたが、次回からは、訳者が勝手に選ぶプレスラーおすすめCD選(94歳にしてドイツ・グラモフォン・デビューを果たしたCD「月の光~ドビュッシー、ラヴェル、フォーレ:作品集」の発売を来月に控えていますし!!)を。そして、訳者流『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の読み方をお送りしたいと考えております。

つづく

メナヘム・プレスラー Menahem Pressler

1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。

ウィリアム・ブラウン William Brown

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。

追っかけた人
瀧川淳
追っかけた人
瀧川淳 翻訳者・国立音楽大学准教授・音楽教育学者

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ