読みもの
2025.05.23
留守keyによるマンガとコラム12回で制覇!

マンガでたどるラフマニノフの生涯#12(最終回) ラフマニノフ、故郷ロシアへの感謝

作曲家の創作マンガを数多く手がけてきた創作マンガユニット・留守keyがラフマニノフの生涯をたどってきたマンガ連載が、とうとう最終回を迎えます。最後の作品《交響的舞曲》を作曲した3年後、アメリカで客死したラフマニノフ。25年もの間持ち続けた望郷の念は、結局かなうことはありませんでした。

留守key
留守key 創作マンガユニット

http://rusukey.blog.jp主な作品:『B(ベー)〜ブラームス二十歳の旅路』コミックス全3巻(DeNA/小学館クリエイティブ)、学研マンガジュニア名作...

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日増しにつのる望郷の念

アメリカに渡った後も、ラフマニノフは故郷ロシアを忘れてしまったわけではなかった。
むしろ望郷の念は日増しに強くなっていた。
「亡命したわけではない。少しの期間、国外にいるだけに過ぎない……」
そう考えていたという。
いずれ機会がめぐってきたら故郷へ戻るつもりでいたものと思われる。

同じロシア出身の作曲家で、正式に亡命を表明していた作曲家が意外にもラフマニノフの住居近くにいるとの噂が耳に伝わった。
ストラヴィンスキーだった。
たくさんの才能ある音楽家たちがロシアから海外で活躍の場を見つけようとしている。それはラフマニノフだけではなかったということだ。

そのような国外でも活躍を続けるロシアの音楽家たちへ、ラフマニノフは格別の気持ちを寄せていたという。
ロシア出身の音楽家がいると聞けば、どの国にいようとも多額の寄付など惜しみなく支援した。
「ロシアのために、ロシアの音楽家たちのために、わたしにできることがあるならどんなことでもやろう」そう心に定めていたようだ。

いまは別の国々へと散らばってしまったが、祖国を同じくする音楽家仲間へ寄せた熱い思いにほかならない。

最後の作品に込めた秘かな思い

1940年、ラフマニノフはオーケストラ作品《交響的舞曲》作品45を作曲した。
当初は「朝」「昼」「夜」をイメージする3楽章構成の作品をめざしたようだが、作曲が進むにつれてその表題性は自身の手によって取り払われた。

▼ラフマニノフ《交響的舞曲》(トラック5~7)

その構成は、ラフマニノフがまだロシアで活動をしていた1913年の作品、合唱交響曲《鐘》作品35にみられる青春の鐘・壮年の鐘・晩年の鐘という人の生涯を反映させた内容に似ている。

▼ラフマニノフ:合唱交響曲《鐘》(トラック1~4)

ラフマニノフはこの《交響的舞曲》の中にとある密かな願いを結実させている。
第1楽章後半のコーダにかつて初演の酷評で苦しめられた「交響曲第1番」の主題を忍ばせ、長く記憶の底に沈んでいた作品を自らの手で昇華させたのだ。

「交響曲第1番」全曲の磨き直しは叶わなかったが、こうすることでどうにかそのエッセンスだけでも残すことになった。
それは、野心と創造力が泉のように湧いていた若き日へのオマージュのようでもあった。

▼ラフマニノフ「交響曲第1番」(トラック1~4)

結局、この《交響的舞曲》がラフマニノフ最後の作品となった。

作曲された1940年から3年後、病弱になっていたラフマニノフは医師のすすめで温暖なカリフォルニアに居を構えていたが、フロリダで息を引き取った。享年69歳。

ラフマニノフはそのわずか1年前にアメリカ永住権を取得したという。
いつかロシアへ帰るつもりでいたが、どうやら叶わぬようだと悟ったのだろうか。

故郷ロシアを出て25年もの間アメリカで生活していたが、永住権を取るまでの間はいつでもロシアに帰る準備をしていたのだろう。
アメリカでのラフマニノフは、ずっと望郷の念を支えに生活していたかのようでもある。

留守key
留守key 創作マンガユニット

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