ミロが戦時下のマジョルカ島で描いた『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』
日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、“ラクガキ”に帰結する連載。
第31回は、シュルレアリスムの巨匠ジュアン・ミロ作『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』に注目。第2次世界大戦中、フランコ政権下のスペインで描かれた大きな作品が伝えるものとは?
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...
シュルレアリスムの巨匠が戦時下の「非日常」で生み出した1枚
ウクライナへのロシアによる軍事侵攻が進んでいる。何ということだろう。ロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフがウィーン・フィルのニューヨーク公演を降板するなど、音楽の世界も無縁ではいられない状況になってしまった。とにかく第三次世界大戦になる前に収束することを強く願いたい。
芸術に武力紛争を直接止める力はない。また、紛争下では演奏会や展覧会を開いたり、それらに聴衆・観衆が出かけたりするのは難しいことが多いだろう。しかし、それでも芸術は人々の心を救う。人々は何とかして芸術に触れる努力をする。それが人々をポジティブな気持ちへと向かわせる。それは、昨今のコロナ禍でも実行・証明されてきたことである。
ここでは、戦時下に生まれた作品の一つとして、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開かれている「ミロ展—日本を夢みて」に出品されている1点の油彩画『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』に注目したい。1945年に制作された縦約2メートルの油彩画だ。
スペイン出身の画家ジュアン・ミロ(1893〜1983年)は、シュルレアリスム絵画の巨匠として知られている。「シュルレアリスム」すなわち「超現実主義」の画家は、現実とはかけ離れた世界を画面上で創出する。ミロはそれまで世の中にはなかったさまざまな形のモチーフを創造し、画面に描き留めている。
一方で、『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』という作品は、タイトル自体が極めて具体的な情景を物語っている。しかし、ゴシック聖堂であることも、オルガンの音が鳴っていることも、踊り子がいることも、作品画面を見ただけではわからない。シュルレアリスム絵画たるゆえんである。
聖堂でオルガンの演奏を聴くのは、西洋では日常的によくある光景だ。しかし実は、この1枚の絵画には、戦争との大いなるかかわりという極めて特別な意味が込められている。むしろ、非日常が生んだ1枚だったのである。
フランコ政権下での不安の中、ミロがパルマ大聖堂で聴いたオルガン
この絵画の元となるモチーフが制作されたのは、スペインのマジョルカ島(マヨルカ島とも)だった。タイトルにある「ゴシック聖堂」は、マジョルカ島の中心都市パルマに立つパルマ大聖堂を指す。
ミロは同じスペインのバルセロナ生まれだが、母親のドロールスが、そして妻のピラールがマジョルカ島出身だった。今ならバルセロナから飛行機で約50分、船で7時間半ほどの距離にある島だ。ミロは祖父母のいたこの島を子どもの頃からしばしば訪れており、1956年にアトリエを構えて以降は亡くなるまで暮らした。
パルマ大聖堂の公式映像はこちら。ステンドグラスやパイプオルガンが映っている。
戦前、世界の芸術の中心地だったフランスで活動していたミロは1940年、ドイツ軍の侵攻を避けるためにスペインに戻り、ほどなく妻の実家のあったパルマで「隠遁生活」を始める。
島でミロは、頻繁にパルマ大聖堂に通い、パイプオルガンの音色に耳を傾けていたという。松田健児・副田一穂著『もっと知りたいミロ 生涯と作品』(東京美術)には「誰とも会わずに黙々と制作を続けるしかないミロの心を慰めたのは、バッハやモーツァルトの音楽だった」という言葉が載っている。ミロが音楽を愛していたことがよくわかる言葉だ。
第二次世界大戦当時のスペインの立ち位置は、フランコ独裁の下にあって枢軸国寄りだったり中立だったりと微妙だった。フランコ政権から睨まれていたミロにとっては、バルセロナのような都会で暮らすことは危険であり、マジョルカ島のほうが安心できる土地だったゆえ移ったようだ(ただし、42年にはバルセロナに戻る)。
『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』は、フランスからパルマに移った頃に描いたドローイングから生まれた作品の一つだった。同展の図録によると、ミロが書いた当時のメモには、このような記述があるという。
これらのドローイングは、大聖堂で歌を聴きながら描かれた。ほとんど人気のない夕暮れ時に、ステンドグラスの窓から降り注ぐ光は素晴らしく、いつも祈りのカノンにはオルガンの伴奏が付いていた。(中略)大きなキャンバスに描く際には、パルマの大聖堂の中の魔術的な色を思い出し、その精神で背景を塗ること
暗闇、オルガン、踊り子......ミロの表現と対話する
13世紀に建設が始まり、17世紀に完成したというパルマ大聖堂は、円形窓の美しいステンドグラスを特徴とする独自の美しさをもつ。『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』の画面周辺部分の黒は大聖堂の暗がりを、真ん中の部分が明るいグレーになっているのは、降り注いでいる光を表しているのだろうか。円形窓からの光にしては少し歪んでいるところが、いかにもミロらしい。
そして、何人も描かれている人間らしきモチーフの真ん中辺りにいるのが踊り子なのだろうか。聖堂の中で踊り子が踊ることは、普通はありえない。この描写をどう受け止めるべきか。
画面の黒すなわち、先ほどのミロの言葉にある「背景」は、むしろ時代を表しているようにも思える。ミロは、フランコ政権とは相容れない側面をもっており、フランコの生前はスペイン国内では画家としての評価はされていなかったという。
この作品の中で繰り広げられている踊り子などの躍動的な造形も、心のうごめきを表しているという見方をしてもいいのではないか。こんなときだからこそ、時を超えて語りかけてくる美術作品と対話してみてはいかがだろうか。
会場: Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)
会期: 開催中~4月17日(日)
※会期中すべての土日祝および4月11日(月)~4月17日(日)は事前に【オンラインによる入場日時予約】が必要
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