読みもの
2020.10.16
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.20

水墨画と弦楽四重奏——モノクロームで「五彩」を表現する

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキスト、小川敦生さんの連載。根津美術館で開催中の展覧会「モノクロームの冒険」の水墨画から感じ取った、弦楽四重奏の単色の「多彩」さ。そして、ラクガキストは楽器演奏表現の極意に辿りつく......?

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

長沢芦雪《赤壁図屏風》展示風景

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水墨画の「多彩」さ

「墨に五彩あり」という言葉がある。「墨」と「彩」という矛盾した内容をあえて結びつけることによって、水墨画や書の表現の豊かさに思いを向かわせる秀逸な言葉である。これは、音楽にも深くつながる内容と筆者は考えている。

あまりに印象が強いからか、水墨画を見るといつもこの言葉が頭をかすめる。根津美術館(東京・表参道)で開かれている展覧会「モノクロームの冒険」を訪れたときもそうだった。同展の出品作の多くは、日本の水墨画だ。江戸時代の狩野派の絵師や、復古大和絵派の冷泉為恭(れいぜい・ためちか)、大正時代の日本画家、吉川霊華などのさまざまな作品が並んでいた。ではそれらは実際にどれくらい「多彩」なのか?

白黒の漫画にも通じる多彩な表現

会場でまず眺め入ったのは、江戸初期に京都で活躍した個性派、狩野山雪の《梟鶏図》という対幅(2枚組)の作品だった。梟(ふくろう)が描かれた右の軸を見る。ぐいと奇妙に曲がった枝に載る梟のひょうきんなこと。目がなぜか右上を向いているのがまたユーモラスだ。左の軸に描かれた黒い鶏は、梟と目を背けるかのように左上を見ている。この2羽のあいだには、何か気まずいことでもあるのだろうか。

日本の絵画の定番である龍虎図では龍と虎がにらみ合っていることが多いから、パロディとして描いているのかもしれない。ほぼ単色によるこうした描写は、現代の漫画の表現の多彩さにもつながっているように思う。

狩野山雪《梟鶏図》展示風景(根津美術館蔵)

幻想的で柔らかな濃淡

歩を進めて強いインパクトを受けたのは、江戸中期の画家、長沢芦雪(ながさわ・ろせつ)の《赤壁図屏風》という作品だ。中国の故事に題を得た作品なのだが、まずは岩の形が造形的で素晴らしい。実景のようにゴツゴツしたものではなく、柔らかな筆致による心象風景の趣。絶妙な濃淡が幻想性を増している。

モチーフとしては船や人間、さらには波なども描かれているが、もっともリアリティが高く、つまり濃く描かれているのは、岩から生えた樹木である。ひょっとすると、そのほかのモチーフはすべて夢の世界のものではないかとさえ思わせる。

長沢芦雪《赤壁図屏風》右隻の展示風景(根津美術館蔵)
長沢芦雪《赤壁図屏風》左隻の展示風景(根津美術館蔵)

ダイナミックな線の肥痩

もう1作品、どうしても挙げておきたいのが、桃山時代の絵師、海北友松(かいほう・ゆうしょう)の《呂洞賓・鷺・鶴図》という三幅対(3枚組)だ。3枚で織りなす造形美もさることながら、真ん中の仙人を描写した線の肥痩によるダイナミックな表現に目を向けてほしい。おそらくは、色を捨象したモノクロームの表現だからこそ、際立って目に入ってくるのだ。

海北友松(かいほう・ゆうしょう)《呂洞賓・鷺・鶴図》展示風景(根津美術館蔵)

かように、墨のモノクロームは「五彩」というにふさわしい。またそれらは、色がないからこそ強みを増して訴えかけてくるものでもある。モノクロームゆえに多彩という、一見矛盾したことが起きているのだ。

モノクロームで「色彩」を描くベートーヴェンの弦楽四重奏曲

では、モノクロームの音楽とは? ここでは弦楽四重奏曲に目を向けてみたい。多くの種類の楽器の編成による管弦楽曲を形容する時には、しばしば「多彩」という言葉を使いたくなる。「音色」という言葉もあるくらいで、楽器による音質の違いは間違いなく「多彩」さを生んでいる。比べれば、弦楽四重奏曲は同じ仲間の擦弦楽器4台の演奏ゆえ、単色であることは明らかだろう。4つの楽器の動きによる音の構成は、それぞれの楽器が単音で線を描くことが多く、極めてシンプルな作りだ。

ハイドンの時代に編成が2台のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに定まった弦楽四重奏。
写真はロゼ四重奏団 ©︎ÖNB(オーストリア国立図書館)

さて、そこに水墨画のようなモノクロームの魅力を見つけることはできないか。せっかくのベートーヴェン生誕250周年記念イヤーなので、弦楽四重奏曲第15番を取り上げてみる。

チェロのゆっくりとしたソロで始まる第1楽章の序奏にほかの楽器が少しずつ重なって、響きが豊かさを増していく。和音が次々に変化し、序奏の段階ですでに「色彩」が見える。速い動きの主題が出てくる「提示部」に入ると、一気に異なる風景が見えてくる。文字にするだけでも十分に「多彩」であることがわかる。

ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第15番~第1楽章

秀逸な奏者は、肥痩や緩急、動と静といった表現をする技術と心を、秀逸な水墨画家と同様に持ち合わせているように思う。筆者には、それぞれの楽器の弓が、自在に表現を操る筆のように見える。

近いこととして、日曜ヴァイオリニストを自称する筆者が、コロナ禍の下におけるこの半年ほどの孤独な練習の中で気付かされたことがあったので、書き留めておきたい。曲を一人で練習するときに、目を閉じて行なうと、精度が増すということだ。音程や音の処理などの細部に自分の耳が行く。視覚情報がいかに多くの雑念を脳に与えていたかがわかった。

過度な情報を削ぎ落とすことによって表現の精度を高める。これも水墨画の教えである。

Gyoemon作《スケルトン・クァルテット》
人間から余計なものすべてを削ぎ落とした4体の骸骨(スケルトン)が奏でる音楽とは! #とか♭まで削ぎ落としている可能性もありますが、聴いてみたいものです。Gyoemonは筆者の雅号
展覧会情報
モノクロームの冒険 -日本近世の水墨と白描-

会期: 2020年9月19日(土)~11月3日(火・祝)※日時指定予約制

会場: 根津美術館(東京・表参道)

詳細はこちらから

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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