読みもの
2021.03.01
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.23 アーティゾン美術館「STEPS AHEAD」

ユーフォニアムが柔和に響く「未来派」の絵画

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、素敵な“ラクガキ”に帰結する連載。今回はイタリアの「未来派」画家が、「キュビスム」の手法で描いた一枚の絵。そこに描かれた、柔和な響きを放つ金管楽器の正体は?

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

ジーノ・セヴェリーニ『金管奏者(路上演奏者)』(1916年頃、石橋財団アーティゾン美術館蔵)部分

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カレンダーの表紙を飾った、マイナーな「未来派」画家

印象派の巨匠ルノワールや、日本近代絵画史に大きな足跡を残した青木繁の名作を所蔵することで知られるアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)。今年のカレンダーは、筆者にとって極めて興味深いものだった。

目を引いたのは、表紙に採用された、イタリア出身の画家ジーノ・セヴェリーニの『金管奏者(路上演奏者)』という油彩画だ。

セヴェリーニの《金管奏者(路上演奏者)》が採用された2021年のカレンダー(表紙にも使われていたが、この写真は5月のページ)

とりわけ興味深く感じたのは、表紙に採用されたにもかかわらず、画家がさほど有名ではないことだった。セヴェリーニは20世紀前半にイタリアで勃興した前衛的な美術運動「未来派」のメンバーの一人だが、「未来派」自体、日本ではそれほど広くは知られていないだろう。

しかし、そんなこととは関係なく、つまり画家の知名度に引きずられずに、この作品を表紙に選んだカレンダーの担当者を称賛したい。

前衛を旨とする「未来派」の画家の作品に対して言うのも何だが、色づかいがポップで、造形がかなり洒落ている。描かれた人物が楽器を演奏していることもあって、眺めていると明るい音楽に満ちたような楽しい空気が伝わってくるのだ。いたずら描きが許されるなら、音符が楽器からあふれ出る様子を描き加えたくなる。

ジーノ・セヴェリー二(1883~1966)

金管楽器奏者が吹いているのはトロンボーン?

この作品は、アーティゾン美術館で開かれている「STEPS AHEAD」展に出品されており、このほど実物と対面することができた。会場で作品名が記されたパネルを見ると、英文表記は“Trombone Player(Player on the Street)”、つまり『トロンボーン奏者(路上演奏者)』となっている。

ジーノ・セヴェリーニ『金管奏者(路上演奏者)』(1916年頃、石橋財団アーティゾン美術館蔵)展示風景

しかし、この楽器は普通に見る限りは、トロンボーンではない。宗教音楽でもよく使われたトロンボーンは「神の声」を伝える楽器でもあり、現在のスライドタイプのものは15世紀から存在したと聞く。おそらくどこかで誤認識があったのだろう。

中世イタリアの画家フィリッピーノ・リッピ(1457~1504)のフレスコ画に描かれた、サックバット(トロンボーンの原型で、形は現代とほぼ変わらない)奏者。

そして、吹奏楽を知っている人なら、この楽器はユーフォニアムだと思う方が多いだろう。近年は『響け! ユーフォニアム』という小説・漫画・アニメ等で知られるようになったので、一般的にもずいぶん身近になったのではなかろうか。

武田綾乃『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ』(宝島社文庫刊)

この奏者が楽器を路上で吹いているというのもおもしろい。ユーフォニアムを路上で吹いている場面には、少なくとも筆者は日本でもヨーロッパでも遭遇したことがない。しかし、おそらくは実際にあった光景ゆえ、セヴェリーニは描いたのだろう。ヨーロッパの街角では楽器を演奏する路上パフォーマンスは今でも多い。

ユーフォニアムは柔らかく落ち着いた、周囲を包み込むような音で聴衆を魅了する。こうした、やや特殊な楽器を路上で吹いている人が存在すること自体が、街に飛び交う美しい音色のヴァリエーションを想起させ、なにかしらの豊かさを世の中にもたらしているように感じるのだ。

ユーフォニアムはオーケストラではなぜかあまり使われないが、マーラーの「交響曲第7番」の第1楽章などでは、よく似た楽器テノールホルンが、やはり包容力たっぷりの音でとびきり魅力的なソロを聴かせてくれる。そして、セヴェリーニはやはり、路上で実際の演奏に接して、その音に魅了されたのではないだろうか、などと想像している。

ピカソとは違う、柔らかな調和が聴こえる「キュビスム」

さて、「未来派」は、近代社会の機械化やスピード化を芸術上で表したとされるムーヴメントだが、セヴェリーニは、この作品においてはピカソやブラックがフランスで始めた「キュビスム」の手法を取り入れている。ローマにいたセヴェリーニは、1906年にパリに拠点を移しており、ちょうどピカソが『アヴィニョンの娘たち』(1907年)というエポックメイキングな「キュビスム」の名作を生み出した時期に美術の大変革に接する幸運を得たのだ。

「キュビスム」は、現実に存在する物の形をさまざまな断片に分解して組み立て直したような技法と言い換えればいいだろうか。たとえば福笑いのような……などと言ったら、ほかの美術の専門家に叱られることは間違いないが、わかりやすいたとえと思われるので、そのまま書いておこう。その結果ピカソらは、目の前にあるものをそのまま描くことから解き放たれ、まったく新しい絵画世界を世の中に出現させた。

そして、セヴェリーニが描いた金管奏者もたくさんのパーツに分かれている。ただ、福笑いのようにはなっておらず、美しく秩序立った構成になっている。そこが、この作品とピカソらの描いたキュビスム作品との大きな違いだ。セヴェリーニの絵には、柔らかな調和=優しい和音が画面に満ちているように見えないだろうか。絵を通じて楽器の音を「聴く」のは、なかなか楽しいことだと改めて思う。

Gyoemon作《キュビスムはどこへ行った?》
ピカソやセヴェリーニの画風を再現するのは恐れ多いため、福笑いとも何ともつかない不思議な絵になってしまった。せめて画面から何らかの音が聴こえてきたら幸いだ。調和はしていなそうだが…...。Gyoemonは筆者の雅号
展覧会情報
アーティゾン美術館「STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」

会期: 2021年5月9日(日)まで

 

開館時間: 10:00 – 18:00(毎週金曜日の夜間開館は、当面のあいだ中止)入館は閉館の30分前まで

休館日: 月曜日(5月3日は開館)

 

詳しくはこちらから

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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