『レコ芸』歴代編集部員が選ぶ 心に刺さった批評#8 ブルックナーの版問題がクリアに
昨年7月号で休刊した月刊誌『レコード芸術』を、内容刷新のONLINEメディアとして再生させるべく、2024年5月24日までクラウドファンディングによる『レコード芸術』復活プロジェクトを実施中! それにちなみ、『レコ芸』歴代編集部員の記憶に残る“心に刺さった批評”をご紹介していきます。
高校時代まではピアノ、大学時代は声楽科。音楽之友社入社以降、『レコード芸術』編集部、営業部を経て、現在はMOOK編集。普段聴く音楽はほぼピアノ曲。休日は、魚市場通い→...
ブルックナー作品の版と演奏史を端的に解説しながら、当該ディスクの立ち位置が明確に示されています。版にまつわる問題があまりにも複雑なブルックナーの交響曲ですが、大船に乗ったつもりで演奏に集中できると意欲的になれました。
(高間裕子)
ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》〔第1稿/ノーヴァク版〕 フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団〈録音:2021年9月〉[Myrios Classics MYR032]
ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》〔第1稿/ノーヴァク版〕
フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
特 布施砂丘彦
ピリオド演奏の可能性を提示する
ロトのブルックナー第4番
2024年に生誕200年を迎えるブルックナー。彼は100年以上前に死んだにも関わらず、その交響曲はいまだにあたらしく生まれ続けている。音楽は不死なのだと、そう思わせる作曲家だ。
特に成立状況がややこしい交響曲第4番は、一昨年、新しい楽譜が相次いで登場した。一方は国際ブルックナー協会とオーストリア国立図書館が共同で進めている「新アントン・ブルックナー全集」による、コーストヴェット校訂の第1稿だ。彼はすでに第2稿、第3稿も校訂している。もう一方は亡きアーノンクールが中心となっていた「アントン・ブルックナー原典版全集」によるコールス校訂の第2稿で、これがくせものだ。ここではひとつの稿にひとつの正解を与えるのではなく、第2稿周辺のさまざまな段階を選択肢として提供する、複合的な楽譜である。
そもそもブルックナーにおける版問題は、「答え」か「選択肢」かという問いのなかで語られてきた。最初に出版された初版はどれも弟子たちによる介入が大きかったため、作曲者自身の考えたかたちに最もふさわしい原典的な楽譜を作ろうとしたのが、ハースらによる「旧全集」(1931年)である。つまりここで目指されたのは、唯一の正しい「答え」だった。
戦後、ノーヴァクのもとで誕生したのが「新全集」である。彼はかならずしもひとつの楽曲にひとつの正解を求めることはせず、楽曲をそれぞれの段階に分類して、複数の稿を別々に出版した。「選択肢」の出現である。これの最も過激な後継者が先述のコールスだろう。
「選択肢」とはすなわち多様性であるから、現代社会との相性が良い。無数の楽譜、無数の演奏が溢れる現代において、たったひとつの「答え」は、かつてほど重要なものではなくなっているからだ。
そして、これまで唯一の正解だと思われていたものに真っ向から異を唱え、新しい視点を与えることで新鮮な体験を作り出すことは、古楽の大きな役割のひとつである。そういった意味で、いま最も話題性のあるピリオドの指揮者ロトが、「(稿の)選択肢」という多様性を最初に作ったノーヴァクの第1稿を使用したことは、非常に感慨深い。単に注目を集めたいのならば、最新の楽譜を使うだろうから。
すでに紙幅も半分に達してしまった。本稿の批評対象はロトとケルン・ギュルツェニヒ管によるブルックナーの交響曲第4番第1稿ノーヴァク版だ。この演奏は過激である。しかし、これはブルックナーのピリオド演奏ではない。
ブルックナーがこれを作曲した19世紀後半のウィーンにおいて、音楽演奏のテンポは一定のものではなかった。楽譜に特段の指示がなくとも、テンポは遅くなったり、あるいは急に速くなったりしたのだ。しかし、この演奏においては徹底して「楽譜通り」が追求されており、表記がないところでは決して遅くなることも速くなることもない。作曲された当時のじっさいの演奏方法とは一致しない、モダニズムの系譜にある演奏だ。
さらに、音符自体が楽譜通りではない。第1楽章冒頭、ホルンによって提示される第1主題の終わりは、バスが7度上昇して和声的に解決することで最初の小節と同じサウンドへ戻るように書かれているが、ギュルツェニヒ管はこの終止音を1オクターヴ下げ、なめらかに2度下降するよう演奏した。これは前世紀に流行した手法だ。第2楽章はより顕著で、ヴァント時代のように楽譜に書かれていない低音域を演奏することで、地響きのようなベースを轟かせている。
そもそも第4番第1稿は当時演奏を拒絶されたもので、作曲者の生きた時代に演奏されることはなかった。ロトはこの「拒絶」を仄めかすように異形の要素を露悪的に強調している。音の強弱は過剰に表出され、フレーズ構造はその歪さを剥き出しに提示される。一方で、突如として現われる美しい楽節が生の臓器を手のひらに乗せるようにそっと奏でられる。興味を駆り立てられずにはいられない。
第1稿を作曲者が耳にすることはなかった。その受容史は拒絶によって始まり、作曲者本人ではなくノーヴァクによって20世紀にはじめてこの世に生を受けた。ロトが立ち返ったのはこの2点なのだ。ブルックナーそれ自体ではない。
ここにピリオド演奏とブルックナーの新しい可能性が提示された。
(海外盤Review 2023年5月号)
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