「坂本龍一のいなかった世界」を想像してみる
世界的な音楽家・作曲家として知られる坂本龍一さんが3月28日に71歳で亡くなりました。生前、Eテレの音楽教養番組『スコラ 音楽の学校』で共演するなど、親交の深かった小沼純一さんに、坂本さんの音楽家・文化人としての功績を中心に追悼文をご寄稿いただきました。
世のなかの事象のどこかに「ある」坂本龍一の波動
坂本龍一さんが亡くなった。もう世界は、坂本龍一のいない世界、だ。
☆
「坂本龍一のいなかった世界」を想像してみたら、どうだろう。
YMOはあったか、なかったか。あったとしてもほかのひとがやっている。
《い・け・な・いルージュマジック》はつくられただろうか。80年代の(もしかしたら早すぎた)ジェンダー・レスなイメージはCFにながれたろうか。歌謡番組に忌野清志郎は出演したか。
『戦場のメリークリスマス』や『ラスト・エンペラー』は撮影される、が、音楽とともに出演した「ヨノイ大尉」や「甘粕正彦」は別人だ。
今井美樹や中谷美紀のオリジナル・アルバムは、リリースされたとして、違っている。
バルセロナ・オリンピック開会式、マス・ゲームの音楽はないかもしれない。
「アダージョ」ブームの余韻はあっても、《energy flow》に代わるものはどうだろう。
『坂本龍一 スコラ 音楽の学校』は制作・放送されない。
『八重の桜』のテーマ音楽は、どうだろう。
おもいつきだ。それも、音楽にまつわるものばかり。とはいえ、これらにとどまりはしない。インターネットが広がりはじめたころの著作権の問題。東日本大震災後の反原発運動の高まり。東北ユース・オーケストラの発足。ごく最近なら、100年かけて育ててきた神宮外苑イチョウ並木の伐採に反対。こうしたことどものなかに、坂本龍一の名がない、としたら――。
何かが「ある」ことは、「ない」ことを忘れてしまう。あることがあたりまえになっているところに生きていれば、なお。関心はなくても、世のなかの事象のどこかに、「ある」ことの波動が伝わっているかもしれない。
坂本龍一という固有名を知らなくても、その音楽を耳にしている、坂本龍一に影響をうけた音楽に親しんでいる、かもしれない。音楽が似ていなくても、ちょっとした節まわしやサウンドが、坂本龍一「以後」のものになっていることもある。
あらゆる人にひらかれた「commmons」な音楽
テクノ。ミニマル。ダブ。ノイズ。アンビエント。フィールド・レコーディング。ワールドミュージック。
またおもいつきだから、勘違いもあるだろう。そのうえで、音楽におけるちょっとしたジャンルとかテクニックとか、坂本龍一を経由して、広まることもあったとおもう。1970年代の終わりから80年代のはじめは、一種の分岐点でもあった。カラオケ、TVゲーム、ウォークマンもかさなる。
ラジオ番組をとおして、リスナーのことば、リスナーのつくった音・音楽、録音したものを聴き、電波にのせる。音楽を生活の糧にしていない、プロではないけれども音楽をつくっている、そんなひとにむけて、「うん」という。こうしたひらかれた姿勢は、みずからのレーベルを「commmons(共有地を意味するcommonsの中心に、musicのmが足されている)」と名づけたこととつながってくるだろう。
先に引いた社会活動をも重ねられもしよう。音楽家は音楽だけやっていればいい、ではかならずしも、ない。音楽するための土壌――ひとが生き、生活するための場、社会や政治、自然環境についても、知らぬ存ぜぬではなく、目を、耳を、そむけない。必要とあれば、一個人として発言する。音楽家が音楽家という特別な、隔離されたところにいる生きものではなく、どんなところでも、ごくふつうに過ごしている、暮らしている、ほかのひとたちと変わらないことを忘れない。
あくまで仮の言いかたではあるけれど、意識せずとも、20世紀の四分の三が過ぎ、21世紀にまで敷衍できるジョン・ケージの思考=志向=試行する音楽と生活の一致が、生きていないか。
「うた」だけが音楽ではないことをみんなに気づかせた
2021年――奥付には令和3年とある――検定、翌2022(令和4)年発行の「高校生の音楽1」(教育芸術社)のはじめの2ページには、孔子やアウグスティヌスから現在の作家・ダンサー、マンガ家、建築家まで、15人が「音楽って何だろう」との問いにひと言ずつコメントをしている。
坂本龍一もいて、「耳を傾ける行為が、音楽なのです」とある。半世紀前の教科書だったら、こうしたことばは載らなかっただろう。ケージもしくはケージにちかいところからの思想が、このようなかたちでひろまっているのは、坂本龍一がさまざまなかたちで、つまり音楽作品のみならず、映像やことばや行為でおこなってきたうえで、といえないか。
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