読みもの
2021.08.31
大井駿の「楽語にまつわるエトセトラ」その62

テンポ:メトロノーム発明以前に基準になっていたものは? テンポの歴史を見てみよう

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

ヤン・ステーン《恋愛に悩む少女の脈を数える医者》(17世紀半ごろ)
この絵とテンポ、一体どのような関係があるのでしょうか……?

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曲の速さを指す言葉、テンポ。演奏するときに、その曲の根幹を担い、同じ曲でもテンポが違えば印象もガラッと変わります。

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テンポという言葉は、ラテン語のtempusに由来するイタリア語で、もともとの意味は時間季節、調子など、幅広い意味を持ちます。

英語の「温度」を意味するtemperatureや、「調律」を意味するtemperamentの語源も、元をたどればラテン語のtempusからきています。

さて、このテンポという言葉が音楽で使われたのは、16世紀初頭だと言われており、ここでは拍の速さの単位として使われました。

例えば、「遅いテンポ」というと拍の間隔が広くなり、「速いテンポ」というと拍の間隔が狭くなるような感じです。

しかし、遅いテンポや速いテンポというのは、基準となるテンポがないと比較できませんよね。その基準として、普通のテンポ(テンポ・オルディナーリオ)というものがありました。普通のテンポとは一体、何なのでしょうか……?

ヘンデル:二重協奏曲第1番 変ロ長調 HWV332〜第5楽章 テンポ・オルディナーリオで

「普通のテンポ」とは?

人によって感覚や感じ方は違います。なので、単に普通といっても、「普通って何?」となってしまいます。しかし、実は私たちの身近なところに、「普通のテンポ」は存在するのです。

…….そう、脈拍です。

この分野は現在も研究が勧められている最中ですが、普通のテンポとは、脈拍を基準にしていたとされます。すなわち、音楽の中でのテンポが、心臓の鼓動のテンポとなるわけです。

このことについて、18世紀の作曲家が詳細に述べています。音楽の速度記号(例えばアレグロラルゴなど)にはたくさんの種類がありますが、普通のテンポを基準とすると、それぞれどれくらいの速さになるのでしょうか。重要な証言・著述をいくつかご紹介します!

クヴァンツ(1697~1773) 著書『フルート奏法』より

・4/4拍子のアレグロ・アッサイにおける1小節の速さは、2回の脈拍に相当する。

・アレグレットにおける4分音符は脈拍の速さ1回分に相当する。

クヴァンツ
ドイツの作曲家、フルート奏者。フリードリヒ大王にフルートを教えており、バッハの息子カール・フィリップとは大王の元で同僚でした。
テュルク(1750~1813) 著書『クラヴィーア教本』より

・基準となるテンポは、脈拍だけではなく、秒針の速さも助けになるかもしれない。

テュルク
ドイツの作曲家、オルガン奏者。バッハの孫弟子で、教育活動にも力を注ぎました。

しかし、こんな意見もありました。

シャイベ(1708~1776) 著書『音楽の作曲法について』より

・脈の速さなんて人それぞれなんだし、そんなにテンポを守って欲しいのなら、楽譜の上に曲の秒数でも書いておけ!

シャイベ
ドイツ/デンマークの作曲家。ドイツとデンマークで活躍し、特にデンマークにおける音楽界の基盤を作りました。

ちなみに人間の平均的な脈拍は、1分間あたり60〜90回。

もちろん振れ幅もあり、精神状態によってかなり変わってきますが、ここで生まれる振れ幅も、生身の人間が演奏する音楽の良さでもあるかもしれません。

これが、基準となるテンポ、その名もテンポ・オルディナーリオなのです!

メトロノームがテンポの概念を変えた!

脈拍を基準とするテンポ設定は、人それぞれ違います。そして、テンポが違うと、曲の印象をガラリと変えてしまいます。

そこで、音楽界に革命が訪れます。メトロノームの登場です! どの時代でも、どの分野においても、やはり文明の利器は歴史を変えてしまうのです。

19世紀初頭よりメトロノームが登場し、ベートーヴェンが積極的に自作曲に取り入れたことで、多くの作曲家たちがメトロノームによってテンポを指定するようになります。

ベートーヴェンも亡くなる直前、「メトロノームの革命的な登場によって、これからはテンポ・オルディナーリオ(普通のテンポ)を基準にして曲を書く必要がなくなった」と述べている通り、演奏者の個人的な感覚を頼りとせず、作曲者の意のままのテンポを指定することができるようになったのです(詳しくは「ベートーヴェンとメトロノームを参照)。

こうして、作曲家の指定したテンポで演奏することが可能となり、現在に至るのです。タイムマシンがない今、バッハやベートーヴェンなどの作曲家が生きていた時代の演奏を聴くことができず、そのテンポの様子を正確に知ることはできません。

しかし、かつての作曲家たちが脈の速さを基準に作曲していたなんて、本当に人間的だと思いませんか……?

たしかに速いテンポを表すアレグロ(もともとは「陽気に」の意)や、遅いテンポのアダージョ(もともとは「落ち着いた」の意)も、それぞれの意味をたどると精神状態を表す言葉も多いのです。楽しくなれば脈も速くなるし、落ち着いた気分になれば自ずと脈もゆっくりになります。

まさに、音楽には命が宿っていることを、テンポの歴史を通して知ることができるのです。

テンポに注目してみよう

1. ヘンデル:二重協奏曲第1番 変ロ長調 HWV332〜第4楽章 テンポ・オルディナーリオで
2. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調 BWV1051〜第1楽章 (テンポ表示なし)
3. メンデルスゾーン:4つの小品 作品81〜第4曲「フーガ」(テンポ・オルディナーリオ)
4. オッフェンバック:バレエ音楽「パリの喜び」〜行進曲のテンポで
5. マーラー:交響曲第3番〜第2楽章 メヌエットのテンポで
6. シュルホフ:弦楽四重奏と管楽のための協奏曲〜第3楽章 アレグロ – 遅いフォックスのテンポで

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

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