「アカデミック」という秘密のスパイス
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで続く、古楽や古楽器に親しみがわいてくる連載です。
1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...
音楽の道を夢見るようになった中高時代
音楽大学を受験する人、あるいは音楽を生業にすべく何か行動を起こしている人の中には、将来について頭を悩ませている人もたくさんいると思います。本人よりもそのご両親が子どもの将来への不安を抱える場合も数多くあるでしょう。僕も中学、高校時代に将来について大きく迷いました。
僕は小学生から高校2年生頃まで両手のアトピーがやや酷く、少しでも動くとヒリヒリする指をバンドエイドだらけにしてピアノを練習していた時期がありました。それでもピアノが大好きだったのでずっと続けてきましたが、聖光学院という横浜の中高一貫の男子校に進学した当初は、「皮膚科医になってアトピーで困っている人を救いたい!」と将来を思い描いていた時期もあったものです。
けれど、この学校でヴァイオリンが上手な親友と出会い、彼の影響から僕はますます音楽にのめり込んでいきました。その友達の誘いで陸上部の他に弦楽オーケストラ部にも入部し、音楽が大好きな仲間や先生方にも出会いました。そんな環境の中で次第に音楽の道を夢見るようになっていきました。
さらに聖光学院が歌手の小田和正さんの出身校だったこともあり、「じゃあ僕だって音楽したい!」と若いゆえに思ってしまったのでした。
「とりあえず藝大に入りたい!」と楽理科を目指す
なんとなく音楽を志し始めた中学3年の頃に、両親が東京藝術大学の「楽理科」というものを見つけました。どうやら、音楽を学問的に勉強するところらしい……。でも今の僕はピアニストになりたいと思っている……。うーん、やっぱりピアノ科を目指してみたいなぁ。でも今通っている学校では勉強が忙しくてピアノの練習時間がほとんど取れない……。などなど、いろいろなことを頭の中でぐるぐると考えましたが、結局モヤモヤはしているけれど「楽理科」を目指すことにしました。将来について細かく考え過ぎず、「とりあえず藝大に入りたい!」という気持ちでした。
英語、国語、小論文、ソルフェージュ、楽典、和声、ほんの少しの楽器演奏が試験課題の楽理科は倍率が比較的低いこともあり、「もしかしたら頑張れば合格できるかも」という希望の光が見えました。さらに楽理科なら就職も含めて将来の選択肢も増える気がして、両親も少しは安心したようでした。
さて、受験勉強真っ只中の高校生の頃、家族で湯布院に行ったことがあります。そこで「小林道夫」という、当時の僕は恥ずかしながら名前を知らなかった演奏家のピアノコンサートのチラシを見つけました。そのチラシが、僕が大きく影響を受け、尊敬してやまない楽理科の大先輩、小林道夫先生との初めての出会いでした。
無事に入学した藝大の楽理科は自由な場所でした。22人の同期の仲間、そして先輩や先生方は皆それぞれ音楽の好みも異なる個性派ぞろい。程よいペースで開かれる飲み会では結局みんな音楽が大好きだから、音楽の話で盛り上がることばかり。みんなの好きなものを知る度に自分の音楽の興味も今まで以上に広がっていきました。
楽理科は邦楽や民族音楽も勉強しますが、ガムランの授業や、京都で早朝の声明を聴いた古美術研究旅行は本当に貴重な体験でした。また副科実技で東儀秀樹先生に篳篥を、野村萬斎先生に能を教わったこともあり、今思うと信じられないような贅沢な経験をしていました。
小林道夫先生との出会いが音楽観を変えた
そんな楽理科生活の中で、僕はバッハ・カンタータ・クラブに大学1年生の時だけ入部しており(ピアノの練習時間を確保するために辞めました)、名誉指揮者でいらした小林道夫先生にようやく本当に出会うことができました。
フィッシャー=ディースカウ、ヘフリガー、ランパル、ニコレ、フルニエ、カラヤン指揮ベルリン・フィルなど様々な一流音楽家に信頼を置かれてきた先生の、音楽への真摯な向き合い方は、まだ19歳の頃の僕には「新しい世界」でした。
「華やかなピアニズムで己の感性を剥き出しにしながら、大ホールいっぱいの聴衆を魅了する」、そんな演奏家を心のどこかで夢見ていた若造は、自分の考えを一度見直すこととなりました。今年90歳になる小林先生は、音楽を深く追求したことで「ピアニスト」を超えてチェンバロやフォルテピアノの演奏に至った、日本の古楽界のパイオニアでもあります。僕にとって先生のソロリサイタルが、初めて生で聴いたチェンバロの演奏会でした。
先生が特に思いを寄せているJ.S.バッハの音楽が、ピアノではなくチェンバロで先生の指によって紡がれていく。作品自体にじっくりと耳を傾けて、心の中でその音楽を取り巻くものすべてに深く感謝するような時間。僕は先生のように作品、そして演奏と向き合えるような人になりたい、と心から思いました。
僕はこの人ほど音楽を愛しているだろうか……
小林先生は1972年から毎年年末に《ゴルトベルク変奏曲》をチェンバロで演奏されていますが、僕が伺ったいくつかの公演のプログラムノートも印象的で、先生が毎回新しい気持ちでステージに立っていることが伝わるものでした。その「新しい気持ち」に起因するものは、先生の音楽への弛まぬ好奇心、そしてそこから派生する勉強量だと思っています。
様々な演奏家の録音に常にアンテナを張り、新しく発売された音楽書にも積極的に目を通し、先生は音楽に関わる情報のインプットがものすごいという印象があります。同じような印象を、僕が小林先生と同様に尊敬するピアニストおよびフォルテピアノ奏者のアレクセイ・リュビモフからも受けました。
2018年に彼が来日した際に、東京巡りに1日付き添わせていただいたのですが、「日本の仏教の声明で今気になっているものがあるから、御茶ノ水のディスクユニオンに連れて行ってくれ」と言われた時には驚きました。いざお店に着くと、中学生のように無我夢中になってレコードを漁り始め、その後ろ姿には頭が下がりました。
この人は僕より遥かに強い好奇心で、宇宙に溢れるすべての音を知り尽くそうとしているに違いない、と大きな敗北感を感じました。僕はこの人ほど音楽を愛しているだろうか……。小林先生を前にしても同じように感じます。
パフォーマーよりもインタープリターでありたい
リュビモフや小林先生のような音楽家の強い好奇心は、もちろんアカデミック(学術的)なことにも及びます。演奏者は、作曲家が残した楽譜を元に音楽を呼び起こす媒介者であり、「音楽それ自体のため」のアカデミックな思考が演奏に必要とされる場面は多々あります。
例えば18世紀や19世紀の音楽では、トリル一つをとってもどのように演奏されるべきか論議が生まれます。シューベルトにおけるdim. (ディミヌエンド)と decresc. (デクレッシェンド)の違い、ショパンにおけるペダリング、C. P. E. バッハにおける即興的な装飾音やカデンツァのスタイル、ベートーヴェンの協奏曲における弦楽器奏者の人数……あらゆることが、「再現芸術」である音楽において議論になり得ます。
中には、どんな文献を読んだとしても確信的な答えが得られないものも多々あります。だからこそ演奏家は、あらゆる知識や感覚を取り入れた上で自ら実験し、模索しなければなりません。
サルヴァドール・ダリが、あらゆる画家を採点した表を作っていますが、採点項目の中に「真実性」というものがあります。演奏における「真実性」とは何だろうとたまに考えますが、作品自体を尊重する場合は、やはりアカデミックな音楽的教養が作品の真の姿を導き出す一つの鍵になると思っています。そしてその知識ゆえに、己の感性だけでは引き起こされなかったような表現が生まれたりもします。
演奏にはあらゆるアプローチがあり、そもそもアカデミックなことを完全に放棄することも一つの形として存在します。少なくとも古楽器奏者の多くは、アカデミックな部分も尊重している演奏家が多いでしょう。
「演奏する」という言葉は、英語ではplay, perform, そして「解釈する」という意味でもあるinterpretがあります。昔、僕の演奏を聴いて「川口くんはさ、パフォーマー過ぎるよ」と言ってくださった方がいました。語源的にはperformも魅力的ですが、自分の頭と心で隅々までinterpretできる音楽家になりたいと思っています。
関連する記事
-
音楽が「起る」生活#1 新国立劇場開幕、エマール、読響&テツラフ、ギターと歌
-
柴田俊幸×アンソニー・ロマニウク〜リスクを背負って、繋げていくコガク
-
気鋭のオルガニスト中田恵子が挑むパイプオルガン×バレエの融合!一流の振付・ダンサ...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly