読みもの
2022.11.16
川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#6

即興演奏の天才たちの作品を演奏するということ

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

モーツァルトの《ピアノ協奏曲 第12番 K.414》を自分のカデンツァと共に演奏してみた2016年のブルージュ国際古楽コンクールのファイナルより

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

モーツァルトの作曲様式を熟知したレヴィンが生み出す「モーツァルト的な」即興演奏

続きを読む

これまであらゆる演奏会に足を運んできて、自分にとって衝撃的な感動や強い印象を残した演技や演奏は嬉しいことに今でも記憶に残っています。その中の一つが2013年の10月に東京で演奏されたロバート・レヴィンによるベートーヴェンの「ピアノ協奏曲 第1番」(NHK交響楽団/ロジャー・ノリントン指揮)と、アンコールとして演奏されたJ.S.バッハの《トッカータ》(どの番号か忘れましたが)です。

レヴィンが演奏するベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番

スタインウェイのモダンピアノの音が、ベートーヴェンでは18世紀末のウィーンのワルターの音になり、バッハではチェンバロの音になった衝撃の演奏でした。「え?なんでこんな音がするの!?」と驚愕しました。レヴィンは、歴史的鍵盤楽器の大家であると同時に、モーツァルトやJ.S.バッハでは世界的な権威とも言えるような音楽学者です。彼の頭脳が引き起こしたマジックに触れてから、僕もモダンピアノを弾くときは自分の古楽での経験が大きく反映される演奏をしたいと思うようになりました。

ロバート・レヴィン(1947〜)
アメリカ出身のピアニスト・音楽学者・作曲家。
幼少期はパリでナディア・ブーランジェにピアノを師事。ハーバード大学に進学し、モーツァルトの未完作品を研究し、ピアノの研鑽も積む。フォルテピアノとモダンピアノの演奏者として活躍。ハーバード大学で20年間教鞭を執った。

レヴィンによるこの衝撃体験の3年後、アムステルダム音楽院で開催されたレヴィンによるモーツァルトのピアノ協奏曲のマスタークラスで、またしても僕は彼に驚かされました。フォルテピアノと共に行なわれたそのマスタークラスのトピックは、即興演奏にまつわるもので、レヴィンはお手本としてモーツァルトが作ったのではないかと思ってしまうほどに「モーツァルト的」なカデンツァやアインガング(次の楽節を導くための即興的なパッセージ)を即興で見事に聴かせてくれたのでした。

「私は演奏会の本番でもカデンツァをその場で即興的に生み出すことができます」と自らを語るレヴィンは、「そしてそのようになりたければ、毎日即興演奏の練習をしなさい。日々の練習で即興演奏ができないのであれば本番でできるわけがありません」と僕に伝えてくれました。

和声進行、和音の分散方法、倚音(いおん)の使い方などが、モーツァルトの作品に見られるものと近しいものであることが「モーツァルト的」と感じさせる要因でした。彼の即興は、まさにモーツァルトの作曲様式を熟知しているからこそ生み出される、信じられない次元のものでした。

ヴァイオリンとの合奏、プレリュード、カデンツァ……モーツァルトが行なっていた即興演奏

「即興演奏」と言えば、ジャズを多くの人が思い浮かべるかもしれません。しかし、クラシックの音楽家も、演奏会において即興演奏で新しい曲を生み出してしまったり、即興的な要素を既存の作品に盛り込んだりすることがあります。そして、そういったことは19世紀以前には当たり前に行なわれていました。

例えば、1784年4月29日に行なわれたモーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.454の初演は、完成されたヴァイオリンパートに対して、モーツァルトが即興的にピアノパートを弾いたと伝えられています。演奏会にピアノパートの楽譜が間に合わなかったようで、メモ書きなどを見ながら演奏したのではと思います。天才なので、もしかしたらヴァイオリンパートを踏まえたうえでの完全なる即興演奏だったこともありえますが……。

さらには、彼と演奏した天才女流ヴァイオリニストのレジーナ・ストリナザッキの音楽家としての技量も段違いで、二人は事前にリハーサルをすることなく、ストリナザッキは初見で演奏したそうです。練習してきたものを披露するのではなく、演奏会でようやく楽譜と対面したことを考えると、ストリナザッキの演奏も楽譜を参考にしながら即興的に展開されるものだったのではないかと思います。

モーツァルトの肖像
レジーナ・ストリナザッキの肖像

またモーツァルトは、自身のソナタを弾くときには、しばしば即興でプレリュードを奏でていたことが演奏記録から今日に伝えられています。「プレリュード」は指ならしのために弾かれたり、前に演奏した曲から調性的に自然に移行するために奏でられたり、これから演奏する作品の世界観を提示したり、時と場合によってさまざまな形で演奏されるものでした。 

「協奏曲」におけるカデンツァも、まさに即興演奏の見せ場です。モーツァルトが自分の協奏曲を弾く際には、カデンツァを即興的に弾いていたと思われますが、楽譜にもカデンツァを書き下ろしてくれているので、今日の我々はモーツァルトが作ったカデンツァも楽しむことができます。

同じ曲を2度と同じようには弾かなかったショパン

ショパンもモーツァルト同様に即興演奏の天才で、演奏会では即興演奏を度々披露して聴衆を魅了しました。例えば1829年8月11日のウィーンデビューの際には《ラ・チ・ダレム変奏曲 op. 2》を演奏したほかに、ポーランドの民謡フミェル (Oj Chmielu, Chmielu)で即興演奏を行なったと言われています。

また彼は、楽譜に書かれた作品を弾く際にも、即興的にオーナメント(装飾)やヴァリアント(モティーフの変形)を加えながら演奏していたようで、《夜想曲 第2番》 Op. 9-2に関しては弟子のために一例として書かれたオーナメントやヴァリアントが今日に伝わっています。フィールドの夜想曲を即興的に音を加えながら演奏していたというエピソードもありますし、自身のマズルカでも同じことをしていました。

ショパンの《夜想曲第2番 op.9-2》の作曲者自身によるオーナメントやヴァリアント

弟子の証言によると、ショパンは同じ曲を2度と同じようには弾かなかったそうです。「作品を演奏する」ということは「練習してきたものをそっくりそのまま披露する」というレベルではなく、その場のイマジネーションと共に即興的に再創造する、ライブ感を伴ったものであるべきだと考えさせられます。

もちろん、作曲家や作品によっては即興的に音を加えるべきでないものもあると思いますし、万が一加えるにしてもその分量は問題になりうるもので、演奏者のセンスが問われます。化粧も濃すぎたら悪趣味になりかねないし、どんなに美しい宝石も身につけ過ぎたら目障りになってしまうことだってあります。C. P. E. バッハやクヴァンツなどの18世紀の音楽家が度々言葉にする「良い趣味」というものが演奏には常に問われてきます。

即興性は聴く者を楽しませる重要な要素だった

コレッリ(1653~1713)の『ヴァイオリン・ソナタ集 op.5』 のエティエンヌ・ロジェ (1665/6~1722) によってアムステルダムで1710年に出版された版には、アダージョの楽章のヴァイオリンパートに装飾が付け加えられています。これはロジェによってコレッリ自身によるものとされていますが、その証拠は今日ではありません。しかしながら、この時代の装飾様式を知るうえでかなり重要な資料です。

(左)アルカンジェロ・コレッリ
(下)コレッリ「ヴァイオリンソナタ」Op. 5-1の第1楽章(アムステルダム版)より

これを見ると、アダージョ楽章の元となる楽譜の音は、単に音楽の核を示しただけであって、装飾することを前提に書かれた楽譜であるということがよくわかります。コレッリに限らず、バロックの音楽作品には、そういう楽譜が多く見られます。こういった楽譜を見ると、18世紀の音楽において演奏における即興性は、聴く者を楽しませる重要な要素だったのだろうと思います。

即興的なオーナメントやヴァリアントは作品をより魅力的にするためのもの

さて、昔の偉大な作曲家の作品をいざ昔のように即興的なオーナメントやヴァリアントを盛り込みながら演奏しようとすると、大きな壁にぶち当たります。J. S. バッハ、モーツァルト、ショパンなど、崇高な芸術家の作品に自ら音を加えることで「曲を台無しにしてしまう」ということが起こり得るのです。

何年も前に、ドイツを代表する歴史的鍵盤楽器奏者であるクリスティーネ・ショルンスハイムにC. P. E. バッハの演奏を聴いてもらった際に、「あなたはC. P. E. バッハのカデンツァ集に目を通したことがありますか? 彼のカデンツァから彼のスタイルの即興様式を学ばなければなりません」というアドバイスをいただいたことがありました。僕はその時C. P. E. バッハの様式というものは考えずに、自分のアイデアで即興的に音を付け加えたのですが、彼の作曲様式を明確に把握している彼女の耳には違和感があったようでした。

「即興」は、やはり無から生み出すことが理想です。しかし、アカデミックな演奏アプローチにおいて、演奏者の即興演奏のレベルが作品を壊しかねないものである場合は、楽譜に書き起こしたものを演奏会で披露することが好ましいでしょう。即興的なオーナメントやヴァリアントを入れる目的は作品をより魅力的にするためであり、作品に傷をつけることになるのではまったく意味がありません。

僕は、例えば古典派の時代のピアノ協奏曲を弾く際に、自分のカデンツァを弾いてみたいと思ったら、予め楽譜に書いたものを演奏会でも弾いています。ロバート・レヴィンのような「モーツァルトと同じレベルで」即興的にカデンツァを弾けるような次元に自分の能力が達していないから仕方がないことです。でも、いつかレヴィンのようにその場でモーツァルトを再現するかのようなカデンツァを生み出してみたいものですが。

最後に、自分の宣伝のようになってしまいますが、僕は学生の頃から「即興演奏で自作曲を録音する」ということを趣味で行なっていて、即興による自作自演をSoundCloudに公開しています。フォルテピアノ、モダンピアノ、電子ピアノをこれまで演奏に使っています。完全なる自己満足な世界ですが、もしご興味がありましたらどうぞよろしくお願いします!

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ