嫌われ『現代音楽』の悲しい思い出
音楽って本当に良いものなのか!? 『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』(飛鳥新社・刊)で、ポジティブ一辺倒の風潮にうんざりしていた人たちの心を鷲掴みにした頭木弘樹さんが、「トラウマな音楽」について語る連載。
第2回は、ややこしい「現代音楽」のはなし。たいがい嫌われてしまう悲しき現代音楽。日本を代表する作曲家、タケミツにはじめて触れた田舎の中学生たちの反応とは……! 11月にぴったり、武満徹の《ノヴェンバー・ステップス》とともにお楽しみ下さい。
筑波大学卒業。大学三年の二十歳のときに難病になり、十三年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文...
現代音楽って、現代の音楽?
私は「現代音楽」が好きです。
そう言うと、たいていこう聞かれます。
「現代音楽? 最新の音楽が好きって意味?」
まあ、もっともな疑問です。
「現代音楽」という名称にそもそも問題があります。
これは文学のほうでも同じようなことがあって、「ヌーヴォー・ロマン」というのがあります。
フランス語で「新しい小説」という意味です。
でも、実際には、1957年にその当時の小説の最新の潮流に対してつけられた名称で、1960年代後半くらいからはその流れは変化していきます。
今も日々、小説は新しく書かれていますが、それは「ヌーヴォー・ロマン」ではありません。
「ヌーヴォー・ロマン」は、古典というには早すぎるかもしれませんが、今はもう書かれていない、過去の文学です。
日本だとあまり問題ないですが、フランスだとややこしいんじゃないでしょうか?「ヌーヴォー・ロマンが好き」って言ったとき。ちがうかな?
こういうことは、まあ、よくありますよね。
映画でも「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」があります。
美術でも「未来派」って、かなり昔のものです。
「現代音楽」の場合は、さらにややこしくて、現代もまさに作られているのです。しかし、今の曲だけを指すわけではありませんし、今の曲のすべてを指すわけでもありません。
ああ、もうややこしいですね!
読む気の失せた人も多いかと思います。
「好きな音楽は何?」
「J-POP」
だと、もうすぐに「誰が好き?」とかいう話に進めて、とてもスムーズなわけですが、「現代音楽」だと、まずそれは何なのかという説明から始めないといけません。
そうすると、現代音楽がどういうものなのかわかる前にも、もうすでに、「ちょっと変わった、ややこしい音楽が好きな、面倒な人」という印象をもたれてしまいます。
気軽に「好きな音楽は何?」って聞いただけなのに、そんな面倒な説明、聞きたくないよ、とも思ってしまうでしょう。
なので、私もたいてい、現代音楽が好きとは言いません。
「ブルーノ・マーズ」(アメリカ出身の歌手)とか答えておきます。
ただまあ、せっかくなので、今回はもう少し説明を続けますので、もしよかったら、おつきあいください。
ますます“?”が深まる、「クラシック」の「現代音楽」
「現代音楽」は、現代のすべての音楽のことではなく、ある特定の音楽のことを指しています。
クラシックは、古典音楽のことです。しかし、その流れの延長線上で、今も作曲をしている人たちはいるわけです。
そういう音楽を「現代音楽」と言います。
なので、「クラシックの現代音楽」などという、矛盾しているような、ややこしい言われ方もします。
CDショップや音楽配信のサイトでも、クラシックの中の1ジャンルとして現代音楽が入っているのが普通です。
ただ、ここでさらにややこしいのは、進化というのはだいたいそうですが、一定速度でじわじわと変化していくわけではありません。
あるときに、ガクンと大きく変化します。
現代音楽も同じで、クラシックと現代音楽の境目というのが、わりとはっきりしています。
もちろん、諸説があるのはあるんですが、第二次世界大戦以降の音楽とするのが一般的かなと思います。
いわゆる「前衛」と呼ばれる、それまでとまったく異なる音楽があらわれてきて、それまでの音楽と区別するために「現代音楽」と呼ばれたわけです。
その当時、非常に現代的だったんでしょうね。
ですので、1950年代という、今からするとかなり昔の音楽も、「現代音楽」です。
私はまさに1950年代や60年代くらいの「現代音楽」が好きなので、それを言うと、相手はますます混乱します。
「現代音楽じゃないじゃん!」と言われてしまいます。
もっともなことです。
はじめて現代音楽に触れた中学生たちが見せた反応とは!
前置きがすっかり長くなってしまいました。
さてこの「現代音楽」、説明はややこしいけど、いざ聴かせてみれば、みんな「いいね~♪」と夢中になって……ということにはまずなりません。
たいてい嫌われます。
なぜ嫌われるのかという説明は、またいつかさせていただくとして、今回は、どれほど嫌われるのかという、私が体験した出来事をご紹介したいと思います。
それは私が中学1年生のときでした。
音楽の時間に、先生がなんと、生徒たちに現代音楽を聴かせたのです。
今考えると、なんとも素敵な先生です。誉め称えたいくらいです。
でも、当時の田舎の中学生は、ほとんどJ-POPしか聴いておらず、洋楽を聴いているだけでも、「なんだ、あいつ偉そうに」的な視線を浴びかねず、クラシックも、ピアノとか習っている人たちだけという感じでした。
そこにいきなり現代音楽ですから、これはハードルが高いです。
もちろん、何も知らない無垢な耳だからこそ、いいものがわかる、ということもおおいにありうるわけです。先生もそれを信じたのでしょう。
小学生から中学生になって、ちょっと背伸びしたい時期。「無垢」と「背伸び願望」の組み合わせ。新しい音楽を聴かせるには、絶妙のタイミングかもしれません。
先生が選んだのは、武満徹の《ノヴェンバー・ステップス》です。
見事な選曲だと思います。まず、日本人です。しかも、有名人です(クラスで、私も含め、誰も知りませんでしたが)。
そして、この曲は、琵琶、尺八とオーケストラのための作品です。日本の楽器が混じっているわけです。日本人にはそれだけ親しみやすい──ということはぜんぜんないんですね。当時の中学生にとって琵琶や尺八というのは、エレキギターやシンセサイザーよりも、はるかに遠い存在でした。
音楽教室に、この曲が鳴り響いたときの、生徒たちの反応は凄まじいものがありました。
クラシック音楽などがかかっているときは、みんな、「だりー」という感じでだらけているだけです。
しかし、このときは、退屈することさえできず、みんな苦しんでいました。なんだこれはという怒りがふつふつと湧いてきているのが、感じられました。
不穏という言葉がぴったりでした。
私も当時、まだ現代音楽というのを知らず、この音楽にはびっくりしました。
当時はよさがまったくわかりませんでした。不快な雑音の連続でした。
音楽の授業が終わった後、音楽の先生と曲への悪口で、みんな大変な盛り上がり方でした。
「なんだあれは!」とか「許せない!」とか。音楽の授業で、みんなが怒っているなんてことは、最初で最後だったような気がします。
みんな怒りがおさまらなくて、ついに暴力を振るい出す者まであらわれて、音楽室の高そうなスピーカーのウーハーのコーンに、パンチが加えられ、真ん中の丸く飛び出しているところが、ボコッと凹んでしまいました。
それでようやく気がすんだという感じで、「あんな曲かけるからいけないんだ」などと捨て台詞を残しながら、みんな音楽室から出て行きました。
音楽への反応って、最悪でも「つまらない」とか「退屈」とか、そんなものだと思っていました。
怒りや暴力まで誘発する音楽があるということに驚きました。
音楽の先生は、凹んだスピーカーを見て、どんなにショックを受けたことでしょう。
先生にとってトラウマ授業になってしまったのではないかと思います。
私は今では、武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』が大好きで、しょっちゅう聴いています。ほんとしびれます。大名曲です。
なぜ当時、よさがわからなかったのが、今となっては逆に不思議です。
音楽の先生の顔は思い出せないのですが、凹んだスピーカーのことは、ふと思い出してしまいます。
関連する記事
-
内田百間の『サラサーテの盤』と映画『ツィゴイネルワイゼン』と伊坂幸太郎 『フィッ...
-
せっかく部屋に来てくれた女の子が青ざめて逃げ出すゲンダイ音楽 “クセナキス”
-
通の助言という呪い~クラシック入門者の芽を摘まないで
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly