マエストロ・プレトニョフとの夏の思い出 そしてピアニストにとっての「技術」の話
人気実力ともに若手を代表するピアニストの一人、牛田智大さんが、さまざまな音楽作品とともに過ごす日々のなかで感じていることや考えていること、聴き手と共有したいと思っていることなどを、大切な思い出やエピソードとともに綴ります。
譜読みに追われているうちに練習室の外の世界では春を追い越し、梅雨を感じるまもなく、早くも夏が訪れようとしていることに驚いています。私は毎年この夏の時期に新しい作品の譜読みをしたり、マスタークラスを受けに行ったりと充電期間として過ごしていて、この時期の過ごしかたがその後1年の仕事の質を決めると言っても過言ではありません。
偉大な巨匠のレッスンと 垣間見た日常
夏の思い出のなかでとくに印象に残っているのは、マエストロ・ミハイル・プレトニョフと過ごした2014年の夏のことです。その翌年にマエストロと共演することになっていた私は、夏の数週間、マエストロが当時住んでいたスイスのバーゼルにある自宅を訪れ、集中レッスンを受けることになりました。
マエストロのレッスンは、言ってみれば演奏家としての基礎を徹底させるものでした。スケールとアルペジオの質を高めること、作品を演奏するときに指遣いを固定すること、和声の進行を理解して、常に「バス」とその上に乗る「倍音」との関係を理想的に保つこと、音量の上限を決めてからダイナミクスを計算すること、速く弾きすぎて「圧迫された音」が発生しないようにテンポを計算すること……「こんなことも知らないのか!?」などと驚かれながら(呆れられながら?)進んでいくレッスンに赤面させられることも少なくありませんでしたが、いまから思えばこんな基礎的なことから教えてくださったことに本当に心から感謝しています。
レッスンの前後にマエストロの音楽家としての生活を覗けたことも大きな刺激になりました。朝早くからずっとスケールを弾き続けていたこと、休憩時間にはずっとYouTubeでいろいろな演奏家の録音を聴いていたこと、机の上のスコアにはアナリーゼを途中まで進めた形跡があったこと……どれほど偉大な巨匠と讃えられても、日々の積み重ねという意味では誰もが変わらないのだということを改めて感じさせられたのでした。
2時間かけてバーゼルから車でチューリッヒまで移動し「アルパマーレ」というウォーターパークに遊びに行ったこともありました。マエストロが車を運転してくださったのですが、バーゼルへ帰るとき真っ暗な高速道路を時速200km近くで走りながら「なんだか眠くなってきたな……」と仰られたときには、それはそれは怖かったことをいまでも思い出します。
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