ベートーヴェンとピアノ(その5:ブロードウッド)
年間を通してお送りする連載「週刊 ベートーヴェンと〇〇」。ONTOMOナビゲーターのみなさんが、さまざまなキーワードからベートーヴェン像に迫ります。
第32回は、5回に渡って紹介しているベートーヴェンとピアノの最後、ブロードウッドです。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
ウィーン式アクションのピアノが好きだったが……
ベートーヴェンが他界するまで自室に所持していたピアノは、イギリス製のブロードウッドである。
ベートーヴェンが亡くなった直後の部屋の様子を描いた絵がわりとよく知られているが、そこに描かれているピアノこそがブルードウッドである。ピアノの上は散乱していて、書き散らされた譜面か何かがごちゃごちゃと置かれている。
実は、少し前まではもう1台、この部屋にピアノがあった。ウィーン式アクションによるグラーフのピアノで、当時もっとも鍵盤数の多い6オクターブ半の楽器がベートーヴェンに貸し出されていたのだが、返却されたばかりだった。
ベートーヴェンの元に残った最後の1台、ブロードウッド。そのピアノは、のちにリストの手にわたり、現在はハンガリー国立博物館が所蔵している。
新しい音域をイギリス式アクションのブロードウッドで得て
だが、そんなベートーヴェンの元に、ふたたびイギリス式アクションのピアノがやってきた。それが、1818年にロンドンのブロードウッド社から送られてきたブロードウッドである。その贈り物には、ありがたいことに、カルクブレンナーやクラーマー、フェラリなど当時イギリスで大活躍していた音楽家たちのサインまで刻まれている。その中には若い頃にかわいがった弟子のリースの名前もあった。
ベートーヴェンはそのブロードウッドも、例によってナネッテの工房に運ばせて、いくらか調整を済ませてから自宅に置いた。エラールとはいい別れ方をしなかったけれど、このブロードウッドはそれまでにない音域をカバーしている。低音側に伸びて、それまで一番低かったファ(F1)よりも5つ下のド(C1)のキーまであるのだ!(その分、高音域はウィーン式の一番高いファf4よりも5つ下がったc4までしかなかったのだが)
この新しい音域を手に入れたベートーヴェンは、第2楽章まで書き進めていたピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」において、さっそく新しい音域を駆使した第3、4楽章を書いた。続く第30番の第2、3楽章も、このブロードウッドの音域が活かされている。
ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」、第30番(演奏はロナルド・ブラウティハム。フォルテピアノはポール・マクナルティ氏の製作によるレプリカ)
巨大補聴装置をつけて
ところで、このブロードウッドを手にしたころのベートーヴェンは、すでにかなり難聴が進んでいた。人々とは「会話帳」を介してコミュニケーションを図るようになっていた。
その「会話帳」によると、ベートーヴェンはブロードウッドを手にしてから2年たった1820年、ナネッテと決別した弟のマテーウス・アンドレアス・シュタイン(André Stein)が手掛けた、巨大な補聴装置をこのピアノに付けたことがわかっている。
「会話帳」の1829年3月19日から、同年9月7日までの記録によると、その装置の素材は木材よりブリキが良いとか、コスト面はどうなるかとか、形状やアーチ型が良さそうだ、などといったことが周囲の人物たちとやりとりされている。
ブロードウッドに付けられた巨大補聴装置の姿形は、残念ながら残されていない。しかし、実在したことは確かで、1820年の9月には、シュタインのウィーンの工房で仕上がったものを、夏の滞在先メートリングへと運ばせたことがわかっている。9月の終わりに、ベートーヴェンの肖像画を描くためメートリングを訪れた画家のクレーバーが、「大きなブリキの丸屋根のついたピアノ」の存在を証言している。
だが、冒頭で紹介したベートーヴェン亡きあとの部屋のブロードウッドには、この巨大装置が付いていない。装置は実際のところどのようなものだったのか、どの程度の効果があるものだったのかは、今やだれも知ることができない。
*
2016年、鍵盤楽器奏者のトム・ベギンとそのチームは、さまざまな資料をもとに独自の研究を進め、その補助装置付きの形でブロードウッドのレプリカを作った。その楽器で、ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタを収録している。
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