ベートーヴェンとフランス語
年間を通してお送りする連載「週刊 ベートーヴェンと〇〇」。ONTOMOナビゲーターのみなさんが、さまざまなキーワードからベートーヴェン像に迫ります。
第37回は、ベートーヴェンとフランス語。ドイツ語圏のボンで生まれ、ドイツ語圏のウィーンで暮らしたベートーヴェンですが、実はフランス語も堪能だった?!
1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...
ベートーヴェンが生まれたのはケルン大司教領のボン。現在のドイツで、当時もドイツ語圏でした。そして22歳から56歳で亡くなるまで過ごしたウィーンは、オーストリアの首都でした。オーストリアもドイツ語圏です。活動した場所からも、ベートーヴェンというとドイツ的な印象が強いかと思います。
さて、ベートーヴェンとフランス語……一体どういうことなのでしょう。
フランス語、それは貴族の言葉
1066年、フランス北西部のノルマンディー公ギョームがイングランド(イギリスの一部)に攻め込み、そのままイングランド王になりました。簡単に言えば、フランス人がイギリスの王様になったということです。それまでイングランドでは、ゲルマン民族の移住などによりゲルマン語(ドイツ語系統の言葉)が話されていました。しかし、この出来事以降、イギリスの王家をはじめ上流階級の人もフランス語を話すようになります(ノルマン・コンクエスト)。
やはり上流階級の人たちは、社交の場を大切にします。そこではさまざまな国の人と交流することが多く、その際の共通語としてフランス語が話されました。
それまでの共通の言葉はラテン語でしたが、次第にフランス語が優位となりました。その結果、論文もフランス語でも書かれるようになり、ドイツやイタリアの学者や文化人も、当たり前のようにフランス語を習得しました。
ベートーヴェンとフランス語
前置きが長くなりましたが、本題のベートーヴェンへ移りましょう。
ベートーヴェンは、幼少期よりボンの宮廷に仕えていました。宮廷ではフランス語が優勢だったので、ここである程度のフランス語力は問われたはずです。ベートーヴェンの時代の公文書もフランス語で書かれることがほとんどでした。さらに、彼が拠点としたウィーンはまさに貴族社会。パトロンと話をするにも、上流階級のなかで一目置かれるためにも、フランス語ができるというのは重要なことでした。
英語は今のような共通語としての地位はなく、ベートーヴェンも英語は話せませんでした(モーツァルトは英語を話せたものの、そこまで上手ではなかったそうです)。
英語が話せないベートーヴェンが、イギリス人とやりとりをする際に使用したのは……そう、フランス語です。特に、イギリスで出版業を営んでいたジョージ・トムソンから、民謡編曲の依頼を引き受けた際のやり取りは、フランス語で行なわれました。読んでみると、きれいなフランス語で書かれています。
下:ベートーヴェンがジョージ・トムソンへ宛てて書いたフランス語の手紙(1818年3月11日)の裏面。©Beethoven-haus Bonn
どこまでフランス語が流暢だったかはわかりませんが、
ベートーヴェンの先生であるF.J.ハイドンもフランス語が堪能で、イグナツ・プレイエル(ハイドンの弟子)とのやり取りのなかでは、同じオーストリア人にもかかわらず、フランス語でやりとりをしていました。
こうして当時のヨーロッパの歴史や、国同士の関係を紐解いてみると、作曲家の意外な一面が垣間見られます。フランス語を話すベートーヴェン……見てみたいです!
ジョージ・トムソンとのフランス語のやりとりで生まれた作品
スコットランド民謡集 作品108より第1番「音楽、愛、そしてワイン」
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