読みもの
2020.09.07
林田直樹のミニ音楽雑記帳 No.27

マエストロ若杉弘の功績と人間性を振り返る~N響とのブルックナー交響曲全集

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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マエストロ若杉弘(1935-2009)が74歳で亡くなってから、もう11年にもなる——。

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かつてサントリーホールの10周年記念公演としておこなわれた「若杉弘&NHK交響楽団 ブルックナー・チクルス1996-98」のライヴ録音が、『ブルックナー:交響曲全集』という形でリリースされた。

あれは、「二つの世紀のカトリック」と題して、1996年に没後100年だったブルックナーのみならず、そこに20世紀フランスの大作曲家メシアンを組み合わせ、しかもプレ・コンサートとして、この二人のオルガン曲も演奏するという、凝ったプログラミングだった。

いまこうしてブルックナー全集の形で改めて聴き直すと、ああ、これは90年代のN響の音だなあという思いが湧き上がってくる。当時のN響はサヴァリッシュ、シュタイン、ヴァント、マタチッチらの薫陶を受けた楽員が多く残っていて、ドイツものを得意とする重厚な響きを志向するオーケストラだったのだ。

それを尊重しながらも、ここでの若杉さんはバランスよく設計された端正なブルックナーを演奏している。聴いていると、あのときの熱気がよみがえってくる。

2009年までの日本の音楽界を、若杉さんがどれほど牽引してこられたことだろう。都響とのマーラー、二期会のワーグナー、東京室内歌劇場でのリーム「狂っていくレンツ」やプレヴィン「欲望という名の電車」などの名演、そして在任中に亡くなる形となってしまった、新国立劇場オペラ芸術監督(2007-2009)の職は、オープニング当初から当然のように約束されていたと思う。

若杉宏のTOPトラック(オーケストラは都響やドレスデン・シュターツカペレ)

演劇や文学にも造詣の深い教養人であり、洒脱なダンディストだった一方で、妥協を許さないがゆえに、ときに冷酷な一面さえ持つ人だった。

そんな若杉さんを2009年の2月頃、ご自宅の病床をインタヴューに訪ねたことがある。明るいオレンジ色のセーターを着て、ベッドから起き上がった若杉さんは、新国立劇場の次期シーズン発表の記者会見に体調が悪く登壇できなかった代わりに、そこで話そうと思っていたことを、暗記でもしていたかのように、弁舌見事に語ってくれた。

そして、語りながら、若杉さんは、声を震わせ、涙をボロボロ流しながら泣いた。大切な記者発表の場に、新国立劇場オペラ芸術監督として自分が出られなかったことを、病で身体が思うように動かないことを、さかんに悔しがった。

あの無念の涙は、私がこれまでに取材してきたなかでも、もっとも激しく心を動かされた場面の一つである。

今回のブルックナー全集には、マエストロ若杉の足跡を振り返る興味深いエッセイもいくつか収録されていて、その業績と人間性を改めて知るいい機会になることだろう。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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